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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

「アビイ・ロード」をラストアルバムにするつもりはまったくなかった(330)

Re-Recording The Beatles - Abbey Road - Pro Mix Academy

1 「アビイ・ロードをラストアルバムにするつもりだった」というのは本当か?

ビートルズの解散を語る上で「ビートルズは、アビイ・ロードをラストアルバムにするつもりで、メンバー全員が最後の力を振り絞ってレコーディングしたため、ビートルズ史上最高傑作と呼ばれる作品に仕上がった。」という見解が、もはや「定説」であるかのように語られています。しかし、本当にそうでしょうか?

確かに、「Get Back/Let It Be」セッションは、メンバーの士気が低いままで満足のいくレコーディングができず、バンドとして活動している間にアルバムとしてリリースすることはできませんでした。その反省を踏まえて彼らは気合を入れ直し、対立していたジョンとポールも互いに歩み寄って、アビイ・ロードを完成させたのです。

しかし、だからといって、「彼らがこのアルバムを最後の作品にするつもりだった。」と結論付けるのは、いささか強引に過ぎるきらいがあります。この考えは、アルバムに対する思い入れが強すぎて感傷的になりすぎ、思い出を美化したいという気持ちが強く働いているのではないでしょうか?「そうであってほしいという願望」がいつの間にか「そうであったという事実」にすり換わってしまった気がします。

ビートルズ研究の第一任者であるマーク・ルーイスンは、ビートルズアビイ・ロードをラストアルバムにするつもりがなかったことを裏付ける事実を明らかにしました。

 

2 一本のテープが定説を覆した

(1)ビートルズが開いた会議

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アビイ・ロードを手にするマーク・ルーイスン

2019年9月、ルーイスンは、ガーディアン紙の記者リチャード・ウィリアムズのインタヴューに応え、ちょうど50年前の1969年9月8日に開催されたビートルズのメンバーによる会議の会話を録音したテープを再生しました。このテープに含まれた内容は、ビートルズの解散をめぐる議論に新たな一石を投じるものでした。

彼らは、結果的にラストアルバムとなるアビイ・ロードのレコーディングを終え、2週間後にリリースされるのを待っているところでした。リンゴは、腸の病気で検査のため入院中であり、この会議には欠席していました。 

彼が不在のまま、ジョン、ポール、ジョージがサヴィル・ロウにあるアップル本社に集合しました。ジョンは、ポータブル・テープレコーダーを持ってきていました。彼は、それをテーブルに置いてスイッチを入れ、「リンゴ、君はここにいられないけど、我々が議論した内容を聞けるように記録しておくよ。」と話しました。

彼らが議論していたのは、新しいアルバム、そしておそらくクリスマスに間に合うようにリリースされるであろうシングルを制作する計画であり、何とビートルマニアの初期の時代にさかのぼるかのような商業ベースの戦略方針について議論していたのです。解散を考えているバンドがこんなことを話し合うはずがありません。

(2)次のアルバムやシングルについて話し合っていた!

The Beatles: Get Back' Documentary—An Exclusive Look at Peter Jackson's  Revelatory New Movie | Vanity Fair

このテープについて「これは啓示だ。」とルーイスンは語っています。「どの本も、アビイ・ロードが彼らのラストアルバムであることを知っていて、芸術的な高みに達したいと考えていたと読者に訴えている。しかし、そうではない…彼らは、次のアルバムについて話し合っていたのだ。」

「誰しもジョンがビートルズを解散させたかったのだと考えている。しかし、このテープを聞くとそうではないことが分かる。これをきっかけに、我々が知っていると思っていたほとんどのことを見直すべきではないだろうか?」

ルーイスンは、テープのスイッチを入れて再び再生し、ジョンがシングルの候補としてメンバーそれぞれの曲を持ち込むべきだと提案している音声を流しました。彼はまた、次のアルバムに収録する新しいスタイルを提案していました。ポール、ジョージ、そして彼自身がそれぞれ4曲ずつ、そして「リンゴが望むなら」2曲を収録するというのです。

そして、ジョンは、「レノン=マッカートニーの神話」にまで言及しており、これまで彼らの神聖なパートナーシップとして一般に公開されてきた彼らの楽曲は、この時点でついにそれぞれの名前でクレジットするべきだと明確に主張したのです。

これは、驚愕に値する内容です。「ビートルズは、アビイ・ロードをリリースした後は全くやる気をなくしてしまい、まっしぐらに解散への道をひた走っていた。」と長い間思われてきました。しかし、テープに残されている会話では、解散など微塵も感じさせることなく、それどころか次のレコーディングへ向けての前向きで建設的な意見が交わされていたのです。

しかも、ジョンは、ついにレノン=マッカートニーという「伝説のクレジット」を捨てて、ポールとそれぞれの名前でクレジットすることまで提案していたとは驚くよりほかありません。ここまで踏み込んだことが語られている以上、もはやこのテープにおける発言の真実性を疑う余地はないでしょう。

 

3 大いなる矛盾をはらんだ言動

Beatles John, Get Back Sessions, 27 January 1969 - A Photo On | Chainimage

重要なのは、「このテープに記録されているビートルズの会話は彼らの本音なのか?」ということです。改ざんでもされていない限り、テープに論音された音声はメンバーの肉声です。もちろん、「ジョンがこういうことを言った。」ことと「それがジョンの本音である。」こととは違います。

しかし、ビートルズのメンバーがバンドの将来について話し合うという重要な会議で、ジョンがウソをつくことなどあり得ないでしょう。彼に限らずこのテープの中でメンバーが語ったことは、多少の脚色や誇張はあったとしても、それぞれの本音であると考えるのが常識的です。

そうだとすると、このテープにおけるジョンの発言をどう解釈すれば良いのでしょう?彼は、この日から僅か二週間足らず後に、ポールとリンゴに対してビートルズを脱退することを告げたのです。

ビートルズの将来について語った人物が、それから二週間も経たないうちに脱退すると発言する…これほど矛盾した言動はありません💦一体、ジョンは、何を考えていたのでしょうか?ここが最も理解に苦しむところです。

(264)で触れましたが、ジョンは、9月19日に出版されたメロディーメーカー誌のリチャード・ウィリアムズに、さらに多くのレコードが制作中であることをほのめかしています。その発言内容は、このテープと一致します。つまり、メンバーとの話し合いにおいても、外部とのインタヴューにおいても、ジョンは、ビートルズとしての活動を続ける趣旨の発言をしているのです。

それとほとんど時を同じくして、ポールとリンゴにはビートルズからの脱退をはっきりと告げています。とても同一人物の発言とは思えません。

 

4 自分が解散を宣言するつもりだった?

John Ono Lennon Portrait – Paul King Artwerks

そこで、ジョンの言動が全く矛盾していないと考えるためには、一つのロジックが必要となります。ここからは推測するしかありませんが、おそらく、どちらもジョンの本音だったということではないでしょうか?

つまり、彼としては、いずれ自分はビートルズを脱退する。しかし、今すぐというわけではなく、何らかのけじめがついたところで脱退しようと考えていたと思われます。

もちろん、リーダーである彼が脱退し、彼に代わるメンバーが交代してビートルズがそのまま活動を続けるだろうとは彼も想定していなかったでしょう。自分が脱退すれば、それはすなわちビートルズの解散を意味することになると考えていたと思います。

そうすると、彼としては、どこかの時点でメンバー全員が公式の場で記者会見して、ビートルズの解散を宣言するというつもりだったのではないでしょうか?ですから、ポールの脱退宣言は、彼にとっては青天の霹靂であり、全く想定外の出来事だったということになります。彼がポールの抜け駆け的な行動に激怒したのも、上記のような理由であれば説明がつきます。

これは、あくまでも私の推測であって真実かどうかはわかりません。ただ、このようにでも説明しなければ、どうにもジョンの言動のつじつまが合わなくなってしまうのです。

 

5 ポールはジョージを評価していなかった

George Harrison Would Have Gotten More Songs on Next Beatles LP

もう一つテープから明らかになったのは、ポールが相変わらずジョージのコンポーザーとしての実力を認めていなかったことです。彼は、リラックスしているような話しぶりですが、ジョージが今やジョンやポールと作曲家として対等な立場にあるという報道に反応して、穏やかではあるものの挑発的な言葉をつぶやいています。「このアルバムが完成するまで、私は、ジョージの曲はそれほど良くないと思っていた。」とポールは語っています。

裏を返せば、これ以前のアルバムには「Taxman」や「While My Guitar Gently Weeps」などの楽曲が含まれていましたから、ポールがそれらをそれほど評価していないという意味に取れます。これは、ちょっと穏やかではありませんね。ポールのこの発言に対し、ジョージは、苛立ちながら反論しています。「それは好みの問題だよ。結局のところ、リスナーは、僕の曲を気に入ってくれているからね。」 

ポールの空気を読めない性格がここにも出てしまっている気がしますね(^_^;)彼としては、ビートルズのシングル曲を自分がほぼ独占していて、自分の曲が誰よりも一番いいと思っていたフシがあります。ただ、それを口に出して言う必要はなく、黙っていれば波風は立たなかったのですが、どうしても口をついて出てしまったのが彼らしいところです。

ジョージを過小評価してきたのはジョンも同じですが、次のアルバムには自分やポールと同じ数の曲を採用すると提案したところをみる限り、ジョンは、ジョージの実力を認めはじめていたのではないかと思われます。彼は、インタヴューでも同様な発言をしていました。

このテープの続きはまだありますが、長くなるので次回に回します。

(参照文献)ザ・ガーディアン

(続く)

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