1 アルバム制作には失敗したが
「ゲットバック・セッションは失敗だった」と言われます。確かに、レコーディングはしたもののテープはお蔵入りしてしまい、アルバムとしてリリースされたのは解散後のことですから、そう言われても仕方ないかもしれません。そもそもポール以外のメンバーは全くやる気がなく、モチベーションはずっと低いままでした。
それでも、その中にはビートルズとしての名曲も、彼らがソロになってからの名曲も数多く含まれていたのです。アルバムを完成できなかったという意味では失敗でしたが、数々の名曲を作り出したという意味では、成功だったと言えるのではないでしょうか?
そもそもメンバーの関係が険悪になっていたにもかかわらず、あれだけの作品を作ってしまったところがビートルズのすごいところだと思います。アルバム制作に失敗したため、メンバー全員がこのままでは終われないと気持ちを入れ直したからこそ、「アビイ・ロード」という傑作を作り上げたとも言えます。その意味においてゲットバック・セッションは、ビートルズ史上最悪でありながら次の傑作の試金石になったわけです。
2 レコーディング状況
(1)冗談も交わしていた
2021年11月に配信で公開される予定の映画「ザ・ビートルズ:ゲット・バック」は、レコーディング・セッションはもちろん、1969年1月にサヴィル・ロウのアップル・コア本社の屋上で行われた42分間の「ルーフトップ・コンサート」の全貌も収められています。その後名曲として広く世に知られることになる作品を、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人が、冗談を言って笑い合ったり、カメラに向かって演奏したりしながら、楽しそうに創り上げていくスタジオ内での制作風景に焦点を当てています。
この編集方針には「ノスタルジーに浸りすぎではないか?」との批判も当然あり得ます。しかし、前作の「Let It Be」がビートルズの解散を強調するために、意図的とも思えるほど暗いシーンばかりを使って編集されたとも思えます。今回の作品は、前作が一面的な見方であり、必ずしも真実のすべてを描いたものではではなかったということを人々に訴えかけているのではないでしょうか?
(2)大量の海賊版が出回った
演奏のサウンドを映画やテレビ番組で使用するためには十分な音質が必要なので、ナグラ社のオープンリール式1/4インチモノラルテープマシンでレコーディングしました。1本のテープには16分しか録音できないため、2本のテープを別々の間隔でスタートさせたのです。
この頃はテープなどの管理がズサンで、ゲットバック・セッションは大量に海賊版が出回りましたが、それらはビートルズの仕事ぶりを知る上で興味深いものでした。1969年1月、ビートルズは、膨大な数の曲を演奏しましたが、その多くは日の目を見ることはありませんでした。しかし、その中のいくつかは「アビイ・ロード」や彼らのソロ・アルバムに収録されました。
(3)多くのジャムセッション
また、ビートルズは、数多くのジャムセッション(即興演奏)を行いましたが、その中には童謡(Baa Baa Black Sheep)やロックンロールの名曲(All Shook Up)、「Love Me Do」以前のオリジナル曲や即興曲(未発表曲のSuzy's Parlour)などダラダラ演奏しただけのあまり芸術的価値のないものもありました。これらは本気でレコーディングする気がなかったとはいえ、当時のビートルズを知る貴重な資料であるといえます。
3 珠玉の名曲と怠惰な演奏の複合体
(1)「Don't Let Me Down」など
セッションは、1月2日から開始され、毎週月曜から金曜まで毎日11時から13時の間に行われました。初日の午前11時にトゥイッケナム・スタジオに到着したのは、ポール以外のメンバーで、ポールは、公共交通機関が遅れたため12時30分に到着しました。
初日の映画撮影は、午前9時30分頃に開始しました。ホッグ監督は、マル・エヴァンズとケヴィン・ハリントンがビートルズの機材をステージ1に設置し、グループが演奏を始める前から撮影していたのです。このショットは、後に映画「Let It Be」のオープニングで使用されることになりました。
ビートルズは、「Don't Let Me Down」「I've Got A Feeling」「Two Of Us」の3曲に多くの時間を費やしました。この日にレコーディングされた曲のセットリストには、未完成の曲の断片やタイトルから推定される未発表の曲を含んでいます。
最初に到着したのはジョンとジョージで、ジョンはヨーコを同伴していました。彼らは、ギターをチューニングしながら、「Don't Let Me Down」や「All Things Must Pass」の断片を演奏しました。「Don't Let Me Down」では、到着したばかりのリンゴがドラムで参加しています。初日の時点でもうこんな名曲に手をつけていたんですね。
(2)後のソロ曲もレコーディングした
ジョンは、「Dig A Pony」をソロで演奏した後、「Everybody Got Song」という曲を即興で演奏しました。ジョージは、「Let It Down」を提案しましたが、これは最終的に大ヒットした彼自身のソロアルバム「All Things Must Pass」に収録されました。
彼がいくら名曲を作ってもジョンとポールに認められず、そのことに対して不満を抱いたのも頷けます。しかし、彼が一時的に脱退したもののすぐに復帰したことを見ても分るとおり、この時点ではまだ本気で脱退する気はありませんでした。彼らは、解散は近いとは感じていたものの、まさか本当にそうなるとは思ってもいなかったのです。
ジョンは、即興でギターを弾いてチャック・ベリーの「Brown Eyed Handsome Man」を2小節歌い、ところどころジョージも加わりました。続いて「I've Got A Feeling」を歌いましたが、この段階ではまだポールは参加していませんでした。ジョンのパートは、1968年に自宅で録音した「Everybody Had A Hard Year」をベースにしています。
この段階では曲の断片に過ぎなかったのですが、ポールの曲とミックスすることで名曲が誕生しました。こんな神業をさらりとやってのけるのですから本当に恐れ入ります(^_^;)
ジョンの「Child Of Nature」は、後に「Jealous Guy」と書き換えられ、この日は「マラケシュへの道」として紹介されました。ジョンは2小節を歌い、ジョージも所々で参加しています。この曲は、ジョンが半年以上前にインドで書いたものですが、「Everybody Had A Hard Year」にしても、そんなに前に制作した曲を持ち込んだことで、この頃の彼が創作意欲を失っていたことが窺われます。
4 真剣勝負だった
(1)I've Got A Feeling
ようやく4人のビートルがそろったので、ゲットバック・プロジェクトの目的について話し合いが行われました。ジョンは、サウンドステージが大きいことや、リハーサルの段階でカメラが回っていることに不満を漏らしましたが、ポールがこのままでいこうと説得しました。彼らは、この時点ではトゥイッケナムで、観客を招待してテレビの特番を撮影するつもりだったようです。ストーンズの「ロックンロール・サーカス」のイメージでしょうか。
ポールは、「I've Got A Feeling」のいくつかのヴァージョンでリードヴォーカルを取り、他のメンバーに曲の構成を教えながら演奏しました。ビートルズは、アレンジに時間をかけ、最も完成度の高い「I've Got A Feeling」の制作が始まりました。何度もランスルーを行い、その間にディスカッションを行いました。
この制作過程の真剣ぶりを見ても、彼らに全くやる気がなかったとは思えません。レコーディングが始まってからもダラダラと時間を過ごしていた彼らでしたが、いざ本気になると、やはりそこは超一流アーティストとしてのスイッチが入って真剣に取り組んだのです。
(2)Don't Let Me Down~Two Of Us
彼らは、続いて「Don't Let Me Down」に取り組み、楽器の編成を検討しました。この段階では、キーボード奏者を入れることを検討しており、ニッキー・ホプキンスの名前も挙がっていたのです。もし、それが実現していたら、全く違った印象の楽曲になっていたかもしれません。
続いて「Two Of Us」の制作に移りました。長時間のリハーサルが行われ、ポールは、他のメンバーにコードやリズムの変更を指示しました。ビートルズは、まだこの曲に慣れていませんでしたが、この後、月に何度も演奏することになったのです。
ポールが完璧主義者の面を見せて、何度もテイクを要求することに他のメンバーはウンザリしていました。もう少し彼が妥協すればよかったのでしょうか?その結果がどうなったのかは、結果論ですから分りません💦
(参照文献)ザ・ビートルズ・バイブル
(続く)
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