1 ダイレクト・インジェクションとは
(1)レコーディング・テクニックにおける革命
レコーディング・テクニックの面でもビートルズが革命を起こしたことはよく知られています。今回は、ダイレクト・インジェクション(直接入力、DI)についてお話しします。
DIの革新性は、アンプや外部マイクをバイパスして、電気楽器を直接ミキシングコンソールに接続することにあります。これにより、アンプや部屋の音響から外部ノイズや歪みが取り除かれ、よりクリーンで明瞭なサウンドが得られます。
そして、ダイレクト・ボックスとは、電気楽器および電子楽器をミキシング・コンソールに接続するために用いるインピーダンス(電気抵抗)変換器です。レコーディングの現場などにおいて機器の間のインピーダンスの相違を調節し、直接つなぐ目的で用いられます。
エレキギターやエレキベースなどから出力されるハイインピーダンス信号を直接ミキサーやインターフェースに入力すると、ノイズが発生したり、高域が減衰するなどの現象が発生します。そのためダイレクト・ボックスを間に接続し、ローインピーダンスに変換する必要があります。これを通してミキサーに接続することにより、その楽器のサウンドをそのまま出力できます。
(2)EMIスタジオの技術陣によって開発
ビートルズがアルバム「Revolver」で初めてDIを実験したとき、彼らのサウンドに新たな深みと透明感をもたらしました。「Paperback Writer」のベースは、それまでのレコーディングよりもはるかに強調されるようになりました。また、後のアルバム「Sgt. Pepper’s Lonely Heart’s Club Band」でも、ポールのベース・トラックにDIが使用され、彼らの画期的なスタジオ・サウンドがさらに形成されたと言われています。
「ビートルズ・レコーディング・セッションズ:オフィシャル・アビイ・ロード・スタジオ・セッション・ノート、1962-1970」でタウンゼントは次のように語っています。「ダイレクト・インジェクションは、おそらくビートルズのセッションにおいて世界で初めて使われたものだろう。我々は、独自のトランスフォーマー・ボックス(DITボックス)を作り、ギターをその機器に直接差し込んだのだ」
2 開発に至った経緯
このテクニックが開発されるまでは、アンプから再生される音をマイクで拾って収録していたのですが、ロック音楽が進歩するにつれ、その方法ではサウンド全体がぼやけて物足りなくなってきました。レコーディング・テクニックや低音へ音域が拡大していくにつれ、アンプから再生される音をマイクで拾って収録する技法に限界があることがわかってきたのです。
そこで、エンジニアたちは、電気楽器をミキシング・コンソールやヘッド・アンプなどへ直結繋ぐというライン入力というテクニックを開発しました。この方法だと楽器のピックアップから出力されるサウンドを減衰させることなくレコーディングできることがわかり、広く普及したのです。この革新的な手法は次第に広まり、今ではギターやベースだけでなく、さまざまな楽器のレコーディングで標準的な手法となっています。
3 きっかけはポールの要求だった
(1)エメリックに相談した
レコーディング・エンジニアのジェフ・エメリックは、こう語っています。「ポールは最初から、『Paperback Writer』のベースギターの音に関して新しいテクニックを考案したいと考えていた。他のメンバーにパートを教えるという具体的な作業に入る前に、ポールは私に向き直った」
「『ジェフ、君にもっと考えてほしい。この曲は、これまで話してきたあの深いモータウンのベースサウンドが本当に必要なので、今回は全力を尽くしてほしい。いいだろう?』」
(2)モータウンに勝てない
「私は、うなずいて同意した。ポールは長い間、ビートルズのレコードのベースは彼が愛したアメリカのレコードのベースほど大きくなく、豊かでないと不満を漏らしていた。彼と私は、よくマスタリングルームに集まり、彼がアメリカから輸入した新しいレコード、たいていはモータウンのトラックの低音を熱心に聴いていた。DIボックスはあったが、ポールのベースをレコーディングするのにそれを使うことはほとんどなかった...」
「代わりに、EMI の標準指示に従って、彼のベースアンプの前にマイクを設置した。私たちが得たベースの音はまずまずだった。ポールが彼のトレードマークであるへフナーヴァイオリンの『ビートル』スタイルのベースから、より頑丈なリッケンバッカーに切り替えたこともある。それでもアメリカのレコードで聴いたものほど良くはなかった」
マーク・ルーイスンの著書である「ザ・ビートルズ・レコーディング・セッションズ」では、「エンジニアのジェリー・ボーイズは、ジョン・レノンが、あるウィルソン・ピケットのレコードのベースがビートルズのどのディスクよりも優れている理由を尋ねたことをはっきりと覚えている」と記載されています。そのため、ジョンとポールはどちらも、自分たちのレコードのベースのクオリティーを高めたいと強く主張していました。
4 エメリックの大胆な発想
(1)スピーカーをマイクにすればいい
エメリックは、続けてこう語っています。「幸運なことに、ポールとジョンがジョージ・ハリスンに目を向けて『Paperback Writer』のコードを見せ始めたとき、閃めきが湧いた。マイクは、実際にはスピーカーを逆に配線しただけのものだから、スピーカーをマイクとして使ってみたらどうだろう、と考えた。論理的に考えれば、低音信号を送り出せるものなら、取り込むこともできるはずだ。そして、大きなスピーカーは小さなマイクよりも低周波によく反応できるはずだ。考えれば考えるほど、納得がいった」
「私は、フィル・マクドナルドに早速計画を打ち明けた。 彼の反応は予想通りだった。『君は馬鹿だ。完全に頭がどうかしている』」
(2)ケン・タウンゼントは認めてくれた
「私は、彼を無視してホールを歩き、メンテナンス・エンジニアのケン・タウンゼントと話し合った。彼は、私のアイデアにメリットがあると考えた。『なんだかうまく行きそうに聞こえる。そうやってスピーカーを配線して試してみよう』それから数時間、少年たちがジョージ・マーティンとリハーサルをしている間、ケンと私は、いくつかの実験を行った」
「嬉しいことに、スピーカーをマイクとして使うというアイデアはかなりうまくいったようだ。信号をあまり送れず、ちょっとこもっていたけれど、スピーカーをベース・アンプのグリルに当てて、スピーカーとスピーカーを接続し、コンプレッサーとフィルターの複雑なセットアップに信号を通すことで、良いベース・サウンドを得ることができた」
「自信を取り戻した私は、スタジオに戻って実際に試してみた。ポールは、ジョンほどテクニックに疎くはなかったが、これは、ビートルズの基準からしてもかなり風変わりなものだった」
5 ビートルズも慣れていた
(1)ラウドスピーカーをアンプの前にセットした
「私がいつものマイクの代わりに大きくてかさばるラウドスピーカーをアンプの前にセットすると、ポールは私を変な目で見たが、彼は何も言わなかったし、ジョージ・マーティンも私のルーブ・ゴールドバーグ的なレコーディング・アプローチに慣れてきていた。彼らはリハーサルに集中し、私は慎重にベース信号のフェーダーを上げる機会を得た」
「ルーブ・ゴールドパーク的」とは、簡単にできることをわざわざ大袈裟な機械を使って笑いを取るアメリカ漫画のようなことを指します。エメリックが色々な機械をスタジオに持ち込むことにもう慣れていたんですね。
(2)先輩が協力してくれた
「『Paperback Writer』のポールの独特の流れるようなベースラインは、ほとんどが低音弦の高い位置で弾かれる音で構成されており、それが音色をさらに丸くしていた。最終的にレコードにカットされるとき、針が溝から飛び出してしまうのではないかと心配になったほどだ。しかし、ポールは、このサウンドを気に入り、最終的にマスター・ラッカー(レコードを作る際に使用されるラッカー盤に音溝を刻むための機械)のカッティングは、私の仲間であるトニー・クラークに任された」
「私は、トニーがこの仕事を引き受けてくれて嬉しかったし、彼は見事な仕事をした。もし、他の先輩たちだったら、低音を全部削り取るか、ミックスをやり直せと送り返されていただろう」*1
(3)ケン・タウンゼントも協力した
「『大きなEMIスピーカーをマイク代わりにして、それを逆向きに送ったらどうだろう?』と考えたんだ。使用したスピーカーは、私たちが『ホワイト・エレファント』と呼んでいた大きな白いものだった。それをベース・スピーカーの真正面に置き、2番目のスピーカーの動く振動板が電流を作った。それをそのままミキシング・コンソールのマイク入力に流したんだ。素晴らしい低音が得られたが、建物内のあらゆるものを拾った!」*2
エメリックがいかにいいアイデアを思いついたとしても、上司や先輩に却下されてしまったらおしまいでした。
(参照文献)ビートルズ・ミュージック・ヒストリー、ポール・マッカートニー・プロジェクト
(続く)
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