★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

パーティーは終わった(218)

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1 ビートルズ解散の噂はあったのか?

(1)なぜ解散することを知っていたのか?

映画のルーフトップ・コンサートのシーンで、通りがかりの年配の男性がインタビューに対して「いいバンドだったが、解散するのは辛いだろう」と応えています。ここで、「ん?ビートルズが事実上解散したのは1970年4月で、その1年以上も前にそんな噂が流れていたのか?」と疑問に思いますよね。

ビートルズ自身は、1969年には「もう、オレたちは解散するしかないだろうな」という意識は持っていましたが、少なくともその思いを公けにはしていませんでした。そりゃそうでしょう、一言でも漏らしたら世界中がパニックになりますから。

何しろ噂なので、当然のことながら記録には残っていません。ただ、およそビートルズに関心のなさそうな年配の男性ですら知っていたぐらいですから、ファンの間では半ば公然と噂が流れていたのではないかと思います。

(2)噂はあった

それで、イギリスのファンに聞いてみたところ、やはり解散の噂は流れていたようです。なぜ、そのような噂が流れたかまでは分かりません。シングルやアルバムの売り上げは相変わらず好調でしたから、解散などあり得ないと思うのが普通でしょう。

しかし、その一方で彼らは、コンサートを長い間中止していましたし、メンバーが揃ってメディアに登場することがほとんどありませんでした。となると、メンバー同士うまくいっていないのではないかと思いますよね。

解散の報に接したファンの反応は、嘆き悲しみつつも、やはり来るものが来たと案外、冷静に受け止めていたのかもしれません。

 

2 「Get Back」はリクエストがあった

Paul, John, George, Ringo on Instagram: âPaulâs lil hip thing during the rooftop performance has me quaking ~ #thebeatles #beatles #cavernclub #johnlennon #paulmccartneyâ¦â

ビートルズは、既にスタジオでレコーディング済みの「Get Back」をリハーサルで演奏しました。その後、オーディエンスから「もう一回、本チャンのヤツをやってくれ」という無言のリクエストを受けました。

それを受けてジョンは、「マーティン・ルーサー(キング牧師アメリカの公民権運動の主導者だったが暗殺された。)からリクエストがありました。」とジョークを飛ばしました。それから、再度同じ曲を演奏しましたが、映画「Let It Be」で使用されたのは、この2回のパフォーマンスを編集したものです。

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3回目のテイクの時に、警官が屋根に登ってきました。ジョンとジョージのアンプは、ソロに戻る前の最初のコーラスの直前に切られてしまいました。とっさにポールは、「君はまた屋根でプレイしているけど、ママはそれが嫌いだから逮捕されちゃうぞ。」とふざけてセリフを入れました。

警官の登場でいよいよ逮捕されると誰もが身構えましたが、彼らは、ビートルズに近づいてきて一言だけ「ヴォリュームを下げてください。」と言いました。

「何だ、逮捕しに来たんじゃないのか。」とビートルズはがっかりしました。ポールは「逮捕されていれば、素晴らしいエンディングになっただろう。」と語っています。ビートルズが警官に連行されていくシーンが撮影できていれば、それこそ大成功でしたね。

この点でも「ヤラセ」ではないという傍証にはなります。ヤラセなら逮捕(のマネ)までやった方が絶対に盛り上がるからです。

紳士のジョージ・マーティンは、「騒音を出してサヴィル・ロウ警察署に連行されたら、頭がおかしくなってしまう。」と地下室に逃げ込んでいました。ローディーのニール・アスピノールは、扁桃腺炎で入院中でした。つまり、ビートルズにとって重要人物である二人を欠いたまま行われたのです。

3 おふざけもあり

「One After 909」の演奏の後にジョンがふざけて「ダニー・ボーイ」を歌いましたが、ポールもそれに乗っかったようです。その間にリンゴは、タバコに火をつけました。ジョンが「Dig A Pony」を演奏しかけると、リンゴが吸い終わったタバコの始末をしていたので、慌てて「ちょっと待った!」とタイムを掛けました。

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エンジニアがテープを交換している間に、ジョンがまたまたふざけて国家を歌うと、ビリー・プレストンが即興でエレクトリック・ピアノで伴奏しました。このシーンが、リメイクされた映画で観られると良いのですが。

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4 近所からはクレームの嵐

通り掛かりの通行人の大半は、この思わぬサプライズを歓迎したのですが、中には迷惑に思った人もいました。特に、近所の人には大迷惑だったようです。

その一人は、隣で毛皮の販売を営んでいたスタンレー・デイヴィスでした。「私は、この忌々しい騒音を止めたいと思った。とんでもなく不快だったよ。」確かに、通行人には嬉しくても、隣近所の人たちには、たまったものではなかったでしょう。

通行人の大半は「ファンタスティックだ!素晴らしい!」と感激しましたが、真面目な人は、「こういう音楽は、それにふさわしい場所で演奏すべきだ。」と応え、サプライズ好きの人は、「この国で、こんなステキな時間を過ごせたのは素晴らしいよ。」と応えました。人それぞれですね。

 

5 元々のセットリストはもっと長かったのか?

(1)他の曲も演奏するつもりだったのか?

警察は、42分間、コンサートを続けさせてくれましたが、本当は、もっと長くやれたかもしれないという人もいます。

ファンは、何十年もの間、ビートルズが他に演奏した可能性のある曲が何であるかを探求してきました。何人かの研究者は、余分なキーボード、ラップスチールギター、そしてポールが持ち込んたアコースティックギターのマイクっぽく見えるものなど、使用されなかった機材に注目しました。

元々「Two of Us」は、セットリストに入っていたのか?ポールは、「Let It Be」や「The Long and Winding Road」のようなピアノベースのバラードを演奏するつもりだったのか?

ジョンが「For You Blue」で使用したラップスチールギターを使った可能性はあったのか?ジョージに彼の最初の(そして唯一の)ソロ・ヴォーカルを担当する機会はあったのか?

(2)他の曲を演奏する可能性はなかっただろう

The Beatles - I've Got A Feeling (Live on the rooftop) from Some Other Guy on Vimeo.

ジョージは、彼がソロになってから発表した「My Sweet Lord」のごく初期のヴァージョンを持ち込んでいたのです。しかし、結局この曲は、演奏されませんでした。彼が、このセッションの途中で一時的にせよ脱退したため、このプロジェクトが完成した時に彼がメンバーとして在籍していたかどうかがはっきりしなかったからです。

脱退する時に「音楽雑誌のNMEでオレが脱退して他のメンバーと交代したことを、このプロジェクトの宣伝に使えばいいさ。」とまで言っていたほどです。つまり、ジョージの曲を演奏するチャンスはなかったということですね。

バラードは、強風をコントロールできない状況でレコーディングすることは不可能だった、などと様々な議論があります。ビートルズが他の曲を演奏するつもりだったのなら、多くの曲を繰り返し演奏したはずがないという説もあります。しかし、それなら、なぜ、使用されない楽器が置いてあったのでしょう?

おそらくローディーが、ビートルズから全ての機器を屋根の上に持ってくるようにと大雑把な指示を受けて、ともかく彼らが使う可能性のある全ての機材をただ持ち込んだだけなのでしょう。

そして、今日に至るまで、セットリストは発見されていません。もし、出てきたらとんでもないお宝になります。セットリストがどうであれ、ビートルズは、自信のある曲だけしか演奏しないと決めていたのでしょう。

 

6 ビリー・プレストンは、ビートルズと共同クレジットされた唯一のアーティスト

(1)またまたジョージのファイン・プレイ

Billy Preston and George Harrison, 1969

1962年にリトル・リチャードとヨーロッパをツアーして以来、ビートルズと友人になっていたビリー・プレストンは、「Get Back / Let It Be」プロジェクト全体のMVPと言っても過言ではありません。

当時、メンバーの関係はひどく悪化していて、ジョージは、実際にセッションを抜けてビートルズから一時脱退しました。頭の中をリセットするために、彼は、プレストンがオルガンを演奏していた、ソウルの大御所、レイ・チャールズのコンサートに出席しました。

ジョージは、プレストンのパフォーマンスに感銘を受け、彼をスタジオに招き、ビートルズの他のメンバーとジャム・セッションしました。彼の暖かい性格がその場の緊張をほぐし、彼のキーボードの素晴らしいテクニックが、それまで退屈だったレコーディングを盛り上げました。

(2)5人目のビートルになれた?

プレストンの「Let It Be」への素晴らしい音楽的貢献は、それ自体が雄弁に物語っています。ジョンは、プレストンをビートルズの正式なメンバー、つまり、5人目のビートルになるよう働きかけさえしました。

しかし、「4人で十分だ。」というポールの冷淡な反応で、彼がメンバーに加わる可能性はついえたものの、彼の重要性は「ビートルズともう一人のビートルの共演」と称される「Get Back」のシングルリリースで認識されました。

プレストンは、素晴らしいパフォーマンスを発揮しただけでなく、険悪だったメンバーの雰囲気を一時的ではあれ、和らげるという貢献をしてくれました。しかし、彼が5人目のビートルになることはやはり違和感がありましたし、仮になったとしても解散は避けられなかったでしょう。

 

7 宴のあと

(1)ルーフトップはこれでおしまい

最後の曲「Get Back」が終わると、ジョンは「グループと我々を代表してお礼を申し上げます。これで我々がオーディションに合格していると良いのですが。(笑い、拍手)」とジョークで締めくくりました。

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それは、ビートルズが、メジャーデビュー前にオーディションに落とされるなど、散々苦労してきたことを面白おかしく伝えるとともに、それを乗り越えてこれまでにない成功を収めたことに対する自負心を、控え目ながらアピールしたものといえます。そして、この言葉が図らずもビートルズの墓碑銘となったのです。

(2)パーティーは終わった

スタジオに戻ってきたビートルズは、早速テープを聞いてみて、その素晴らしいでき栄えに興奮しました。マーティンが賞賛し、ジョンもそれに同意しました。

ただ、彼は「Don’t Let Me Down」の歌詞を間違えたことに気が付いて落胆しました。え?それまで気がついてなかったの?(^_^;)ポールが「編集すればいいさ」とフォローしました。

ハイになったジョージが「ロンドン中でやろうぜ。」とジョークを飛ばすと、ジョンが「明日はヒルトンだ。」とそれに乗っかりました。しかし、その言葉とは裏腹にジョージは、二度とこんなコンサートはやりたくないと思っていたのです。

ポールは「ルーフトップはもういいよ。スタジオでレコーディングしよう。」と冷静に提案しました。そして、でき上がったアルバムが「アビイ・ロード」です。

こうしてアルバム「Let It Be」はリリースされましたが、そのジャケット写真は、まるで遺影のように黒い枠で縁取られ四つに分断されていました。いつも一緒に写っていた彼らがバラバラになって登場したことで、人々は彼らが解散した事実を改めて思い知らされたのです。

Exile SH Magazine: The Beatles - Let It Be (1970)

(参照文献)RollingStone, MOJO, The Beatles Book

(続く)

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