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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ファンはビートルズ解散の予兆に気づいていたのか?(334)

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サヴィル・ロウでビートルズ解散の記事を食い入るように読むファン

1 一般的なファンの反応

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これは、1970年4月10日、ポールがビートルズを脱退すると宣言した報道を受けて、テレビ局が街頭でファンの女性にインタヴューした時の映像です。最初に発言した女性は、ビートルズの解散そのものを否定しています。「ポールがいなくても、ビートルズは活動を続ける。」どうやら彼女は、ポールのファンではないようですね。解散という事実が受け入れられなかったんでしょう。少し涙ぐんでいますね。

次にインタヴューを受けた女性は、「リンダ・イーストマン」つまり、ポールの妻が原因だと言っています。彼女がポールをそそのかして脱退させたと主張しています。
しかし、改めてインタヴュアーがなぜポールが脱退したのか理由を尋ねると、彼女たちは返答に窮してしまい、しばらく無言になってしまいました。彼女たちは、表面上は解散を冷静に受け止めてはいるものの、一様にショックを受けている様子がありありと窺えます。

もちろん、彼女たちが世界中のファンを代表しているわけではありません。ただ、多くのファンがビートルズ解散の報道にショックを受けたのは間違いありません。  

2 アニー・ナイチンゲールの証言

(1)アニーは気づいていた

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アニー・ナイチンゲール

アニー・ナイチンゲールは、ジョンと同い年の1940年生まれで、イギリスのラジオおよびテレビ局の司会者でした。彼女は、1970年にBBCラジオ1で最初の女性司会者となりました。彼女は、30歳の時に解散のニュースに接しました。

彼女はこう語っています。「私は、ビートルズの崩壊を間近で目撃した。私は、ビートルズのレーヴェルであるアップルの友人の一人であり、神聖なホールに入ることを許された数少ない一人だった。」

「私は、ジャーナリストやテレビ番組の司会者として活躍していたので、バンドのことはよく知っていた。私は、彼らのおかげでその年の2月に初めてラジオ1の仕事を得られた。しかし、誰もがみんなメンバー間の亀裂を覆い隠そうとしているように感じた。」

これは、ビートルズと親しかった関係者の証言です。ナイチンゲールは、ビートルズの異変を感じ取っていました。

彼女は、彼らととても親しい関係にあり、アップルにも自由に出入りしていました。そんな彼女だからこそ、初めて異変に気づいたわけで、彼らとそれほど親しくない部外者、ましてや一般市民が彼らの解散に気づいていたとはちょっと考えにくいのです。ただし、コアなファンは例外でした。それについては、後でお話しします。

(2)アップルの夢は破れた

彼女の話を続けます。「アップルは理想郷だった。バンドは、他のグループを育てることで成功の旨味を分かち合おうと考えていたが、(マネージャーの)ブライアン・エプスタインが亡くなって以来、彼らはとても傷つきやすくなっていて、方向性を見失っていた。」

「1970年の時点では、彼らは、もはやポップスターではなく、アーティストだったのだ。しかし、彼らは、まだ最初の頃の延長線上にあった…彼らは、親のようになる必要は絶対にないと初めて言ってくれた若者たちだったのだ。」

「(ビートルズが解散した)その日は本当に悲しい日で、彼らが苦労して築いた地盤が失われてしまうのではないかと、とても心配したことを覚えている。私は、支配階級の連中が戻ってくることが本当にイヤだったのだ。」*1

彼女は、ジャーナリストでした。ですから、彼女が「ビートルズ解散」という大スクープをものにすれば、とんでもない名声を得られたはずです。

しかし、彼女は、そうしませんでした。なぜでしょう?それは「彼女がビートルズの大ファンだったから」です。自分が大好きなアーティストが解散しかかっていると知ったからといって、彼らに引導を渡すようなバカなマネを誰がしたでしょうか?

彼女に限らず、ビートルズと親しかった周囲の人々は、彼らの異変に気付いていたでしょう。しかし、誰もそれを口外しませんでした。なぜなら、その一言がトリガーとなって、本当に彼らが解散してしまったかもしれなかったからです。

彼らがビートルズの異変に気付きながら、見て見ぬふりを通したのは、ビートルズが彼らにとってアイドルを超えて、親の世代から彼ら若者たちを解放してくれた救世主だったからです。彼らが解散してしまったら、またあの暗黒の時代に逆戻りしてしまうかもしれない。周囲の人たちはそれを恐れたのです。  

3 フリーダ・ケリーの証言

(1)愛しのフリーダ

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フリーダ・ケリー

ブライアン・エプスタインの秘書でビートルズの公式ファンクラブをずっと管理していたフリーダ・ケリーは、当時25歳でした。彼女は、ビートルズからもブライアンからも愛され、絶大な信頼を得ていました。後に彼女の体験談を基に「愛しのフリーダ」というタイトルの映画まで制作されました。彼女は、こう語っています。

「1970年初頭、ファンクラブではまだいろいろなことが行われていた。その頃、私には娘がいた。夫がシフト制の仕事をしていたので、私は、娘を保育園に預けて事務所に行き、たくさんの手紙に返信していた。ファンは、いつも『ビートルズは解散するんですか?』と尋ねてきた。私は、なるべく答えないようにしていた。」

「解散は、しばらく前から決まっていた。私は驚かなかった。人は成長するもので、妻や子どものように他の優先事項が出てくるものだ。ファンクラブは2年ほど続けて、古いレコードや報道関係者向けの写真を送った。」

(2)ファンの一部は気づいていた!

これも貴重な証言です。フリーダは、ずっとブライアンの秘書を努め、ファンクラブの運営を任され、ビートルズの表も裏も知り尽くしていたので、彼らの異変に気づいていたのです。

ここで驚きなのは、ファンクラブの会員がビートルズの異変に気づいて、解散するのではないかと不安に思って問い合わせていたことです。表面上、ビートルズには何の変化もありませんでした。ライヴをやらなくなったのは、1967年以来変わっていませんし、シングル、アルバムともに絶好調で、とても解散するような兆候は見られませんでした。

ジョンの脱退宣言の後、ビートルズのメンバーは、一様に口が重くなり、公の場に姿を見せることが極端に減りました。もしかしたら、その辺りに異変を感じ取っていたのかもしれません。

(3)クリスマス・レコードはリリースされた

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1969年のクリスマス・レコード

とはいえ、それもほんの僅かな変化に過ぎませんでした。ファンクラブの会員へのサービスとして毎年配布されていたクリスマス・レコードも、1969年末でもちゃんとリリースされていました。

しかし、かつて仲の良いアイドルだった頃の四人はそこにはおらず、一人一人の音声が録音されているだけです。それを思うと、やはりファンは、彼らの悲しい変化を感じざるを得なかったでしょう。  

4 アラン・ジョンソンの証言

(1)プラスティック・オノ・バンド結成の衝撃

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プラスティック・オノ・バンドのヨーコとジョン

アラン・ジョンソンは、イギリス労働党の政治家で、トニー・ブレア政権などの閣僚に就任しました。彼は、こう語っています。

「ポールは、ジョンの批判的な性格を、ジョンはポールの気まぐれな性格をそれぞれ和らげていた。1970年になるとファンは、彼らが自分たちらしくありたいと思っていることに気づいていたし、1969年のプラスティック・オノ・バンドのアルバムがそれを決定づけた。しかし、ファンは、それでも彼らが再結成するかもしれないと思っていた。レノンが亡くなるまで、我々は、まだ彼らがそうしてくれるかもしれないと思っていた。」

1969年6月1日、ジョンが結成したプラスティック・オノ・バンドは「Give Piece A Chance」をレコーディングしました。彼は、この時点ではまだビートルズのメンバーでしたが、これは部外者にもはっきりわかるソロ活動の開始でした。

さすがにここまで来ると、ファンもビートルズが解散するのではないかと不安を抱いたでしょう。誰が見ても解散後のソロ活動の準備としか思えませんから。

(2)ファンも察していた

ジョンソンも認めているように、ファンももはやビートルズがアイドルではなく、大人のアーティストになっていることは認めざるを得ませんでした。大人になれば自分のやりたいことをやりたくなりますよね。そうなれば、いずれ近いうちに「解散」という現実が起きるだろうとは薄々感じていたでしょう。

それでも彼らは、ビートルズが活動を続けることに一縷(る)の望みを託していたのです。解散だけはしないで欲しい、何とかもう少し、あともう少しだけでいいからビートルズとして活動を続けて欲しい。そういう切ない願いを抱いていたと思います。

ただ、ビートルズが解散するという噂はそれほど強く流れていたわけではありません。1969年10月頃の状況を振り返ってみましょう。アメリカでは「ポール・マッカートニー死亡説」で大騒ぎになっていました。

これはもちろんデマですが、マスコミが市民を巻き込んでの大騒動に発展したことは広く知られています。では、ビートルズの解散の噂はどうだったか?ポール死亡説と同じように広まっていたか?そうではなかったのです。

ポール死亡説のような荒唐無稽なデマが広まっていたにもかかわらず、より現実的な解散の噂があまり広まらなかったのはなぜでしょうか?もちろん、ビートルズやその周囲の関係者が固く口を閉ざしていたことがその大きな要因です。

では、ファンの方はどうだったのでしょう?今となっては、当時のファンの心理を推し量るしかありませんが、ひょっとしたら解散するかもしれないと感じながら、それを信じたくないという心理状況だったのかもしれません。

(参照文献)ザ・ガーディアン

(続く)  

*1:アニー・ナイチンゲール『Hi Hey Hello』