★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

「She’s Leaving Home」の美しいハープを演奏したのは誰?(346)

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1 「She’s Leaving Home」の美しいハープ

www.youtube.com

アルバム「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」に収録されている「She’s Leaving Home」では、イントロから美しいハープのサウンドが流れてきます。これはポールが制作した曲ですが、あのイントロを聴いただけで、リスナーはもうウットリしてしまいます。

この曲は、ビートルズの作品の中で、彼らが楽器を演奏せずヴォーカルだけをレコーディングした数少ないものの一つです。もちろん、ビートルズのメンバーはハープの演奏はできませんでしたから、プロのハーピストが演奏したわけです。そのハービストが誰であるかを知っているのは、相当コアなビートルズファンと言っていいでしょう。

それは、「シーラ・ブロンバーグ」という女性で、アルバムのレコーディングに参加した時には、すでに一流のハーピストとして名を知られた存在でした。彼女は、ビートルズのレコーディングにプロミュージシャンとして参加した初の女性でもありました。今回は、彼女がこのアルバムのレコーディングに参加した経緯についてご紹介します。

 

 

2  オーケストラはポールのアイディア

(1)オーケストラの譜面

Paul in London, 1967. discovered by Fernie on We Heart It

レコーディングを始める前に、ポールは、この曲をどのようにアルバムに収録するかを慎重に考えました。「ポールは、オーケストラをフィーチャーするというアイデアに非常に興味を持っていた。」と作家のバリー・マイルズは「メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」という本の中で述べています。

となると当然譜面が必要になりますが、ビートルズのメンバーは誰も書けませんでした。そこでプロデューサーのジョージ・マーティンの出番ということになりそうですが、この曲でオーケストラの譜面を書いたのは、意外なことに彼ではありませんでした。

(2)マーティンに依頼したが

ポールは、オーケストラの譜面の作成を最初はマーティンに対し、明日の午後にEMIスタジオに来て譜面を書いてくれと電話で依頼しました。しかし、マーティンは、その時間帯にすでに女性歌手のシラ・ブラックのレコーディングの仕事が入っていたため断ったのです。

は、ビートルズの大成功以来、他のたくさんのミュージシャンの仕事も引き受けていました。明日と言われてあっさり引き受けられるほどヒマではなかったのです。

細かい経緯は別稿に譲りますが、ポールは、矢も盾もたまらずロード・マネージャーのニール・アスピナルに電話し、譜面を書いてくれる他の音楽家を探してもらいました。ニールがマイク・リアンダーというミュージシャンを見つけて、彼に譜面を書くよう依頼したのです。

(3)マーティンは動揺した

Beatles Archive on Twitter: "Paul McCartney and George Martin 1967 The  #Beatles via @izumiman1961… "

リアンダーは、時間のない中で一生懸命に譜面を書き上げました。出来上がった譜面を受け取ったポールは、EMIスタジオに行ってマーティンに「はい、譜面が出来たよ。」と渡したのです。いきなり部外者が書いた譜面を渡されたマーティンは動揺しました。

ビートルズと彼は、デビュー当時からずっと一緒に仕事してきました。マーティンは、彼らのために譜面もたくさん書いてきたのです。それをあっさり他のミュージシャンに作られたのでは、彼のプライドが傷ついたのも当然です。

マーティンは、後に「人生最大の痛手だった。」とまで語ったほど落ち込みました。ポールが天然であることは、このブログでも何度か触れていますが、知らず知らずのうちに、他人を傷つけてしまう言動をやらかしてしまうんですね💦

 

 

3 輝かしいキャリア

(1)クラシック界で活躍

Sheila Bromberg, orchestral harpist picked to play solo on The Beatles'  She's Leaving Home – obituary

ブロンバーグは、「She's Leaving Homeでハープを演奏したハーピスト」と呼ばれがちですが、音楽界ではそれ以前から輝かしいキャリアの持ち主でした。彼女は、ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラを始めとする数々の名だたる交響楽団で演奏しました。また、ミュージカル「オペラ座の怪人」のロンドンでのロングラン公演では、オーケストラのピットに入って演奏しました。

(2)ポピュラー界でも活躍

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ジャクソン5時代のマイケル(中央)

1960年代から70年代にかけて、ブロンバーグは、当時イギリスで最も人気のあったBBCの音楽番組である「トップ・オヴ・ザ・ポップス」のオーケストラのメンバーとして演奏していました。そこには、マイケル・ジャクソン(当時はまだジュニアで、兄弟で構成されたヴォーカルグループであるジャクソン5のリードヴォーカルとして大人気でした)、オズモンズ、シャーリー・バッシー、トム・ジョーンズらが出演していました。

また、ブロンバーグは、フランク・シナトラサミー・デイビス・ジュニアビング・クロスビーといったアメリカのスーパースターたちがロンドンを訪れた際のレコーディングにセッション・ミュージシャンとして参加しました。彼女は、クロスビーのベストセラーとなったクリスマスアルバムのレコーディングにも参加しました。

また、ショーン・コネリー主演のジェームズ・ボンド映画「ドクター・ノオ」「ゴールドフィンガー」では、躍動感のある映画音楽の中でハープを演奏しました。

 

 

4 ビートルズのレコーディングだとは知らなかった

(1)何も聞かされずにスタジオに来た

ブロンバーグは、1967年3月17日、EMIのレコーディングスタジオ2で、その日の夜に3時間だけセッションミュージシャンとして参加してみないかというオファーを代理人から電話で受けました。ギャラは、9ポンド(約17ドル)と安かったのですが、幼い子どもの養育費の足しになるならと参加することにしました。

夜8時半にハープのチューニングをしにスタジオに来た彼女は、そこで初めて1枚の譜面を渡されました。彼女は、その時点でもまだそれがビートルズの「She's Leaving Home」の伴奏であることは全く知らなかったのです!

(2)夜中のセッション

セッションの資料では、レコーディングが午後7時に始まったことになっていますが、ブロンバーグは、2011年のBBCの番組でそれを否定しました。「代理人から電話がかかってきて、夜の9時から真夜中までスケジュールは空いているかと聞いてきた。私は、『9時から真夜中までのセッションだなんて…。』と思った。」

「でも、それを紹介してくれた代理人はアレックで、それまで私にたくさんの仕事を紹介してくれていたから、断る気にはならなかった。だから、私は、8時半にここ(EMIスタジオ2)に座ってハープのチューニングをしていた。」

(3)初めてビートルズだと知った

www.youtube.com

「突然、譜面台の上に譜面が置かれたのでちょっと見てみると...(アレックは)その時、それがビートルズのレコーディングの伴奏だとは言わなかった。誰と一緒に演奏することになるかなんて知らなかった...。」

「そうしたら、こんな声がした。『Well, whatcha got on the duss?』つまり、『譜面に何が書いてあるんだ?』という声を聴いて、リヴァプール訛りだと分かった。振り向くと、もちろんポール・マッカートニーだった。」

彼女がインタヴューで、ポールのリヴァプール訛りをマネしているのは、ちょっと笑っちゃいます(笑)彼にそんなに訛りがあったイメージはないんですが…。しかし、44年も前のことなのに細かいところまでよく覚えてますね~。

 

 

5 ポールは何度も注文を付けた

この曲は、6テイクがレコーディングされ、そのうち4テイクは、一流のプロばかりを集めただけにほぼ同じで完璧な演奏でした。ブロンバーグは、こう語っています。「まず、譜面に書いてある通りに弾いてみた。そうしたら、(ポールが)『いや、そうじゃない。』 と言ってきた。私が違う演奏をしてみると、ポールは、ただ『そうじゃないんだ。そうじゃなくて違うのが欲しい、え~っと…。』と言うだけだった。」

「彼は、頭の中にどんなサウンドにしたいかというアイデアを持っていたと思うが、それを表現できず、誰かがそれを彼の頭の中から引っ張り出してくれるのを待っていた。」

「セッションでは、我々が演奏するたびに、彼がコントロールボックスから『いや、そうじゃない。』と注文を付けてきた。だから、何度も演奏した。」

ポールの頭の中には演奏して欲しいサウンドのイメージがあったと思いますが、彼は、譜面の読み書きができなかったので、それをオーケストラに的確に伝えられなかったのです。

「真夜中になって我々は、本当にウンザリしていた。そして、オーケストラのリーダーであるエーリッヒ・グリュンベルクが立ち上がり、ヴァイオリンを脇に挟んで、『もう真夜中です。我々は、明日の朝から仕事があるので帰らなければなりません。』と言った。すると、コントロールボックスからの声(ポール)が、『じゃあ、そういうことで。』と言った。それで全員が帰宅した。」

完璧主義者のポールも、さすがにこれ以上オーケストラを拘束できないと諦めたんでしょうね(^_^;)すべてのテイクに大きな違いはなく、テイク1とテイク6がベストと評価され、午前12時45分にこの日のセッションは終了しました。ブロンバーグは、レコードを聴いてテイク1を使ったのだと気づきました。やはり、一流のプロは違います。

6 素晴らしい想い出

Sheila Bromberg joined Sgt Pepper's Lonely Hearts Club Band

2011年、オックスフォード・メール紙のインタヴューで、彼女は「Sgt. Pepper」への参加に触れ、次のように語っています。「私が選ばれて参加できたことにとても感謝している。そして、あの作品が皆に多大な喜びを与えたことを誇りに思う。しかし、驚いたことに、私が出演したすべての音楽の中で、私は、4小節の音楽で注目されている。私は、それを少し奇妙に感じた。」

彼女は、ビートルズのレコーディングのほんの一部に参加しただけなのに、世間がそこにばかり注目することについて、不思議に思っていたんですね。全世界で愛され続けているビートルズですし、あのサウンドは、本当に際立っていますから、彼女の他の演奏に言及されることが少ないのも仕方ないでしょう。

ブロンバーグは、2021年8月17日に92歳で永眠しました。素晴らしいサウンドを残してくれた彼女に感謝を捧げます。

(参照文献)ザ・ビートルズ・ミュージック・ヒストリー、ザ・ワシントン・ポスト

(続く)

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