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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

アンディ・ホワイトのドラミングはリンゴより優れていたのか?(436)

Love Me Do」でドラムを担当したアンディ・ホワイト

1 ピート・ベストのドラミング・スキルについて(補足)

The Real Reason The Beatles 1st Drummer Pete Best Never Meshed With John,  Paul, and George: 'He Was Slightly Different From Us'

前回の補足です。1962年6月6日、EMIでのビートルズの初めてのレコーディングが終わった後、プロデューサーのジョージ・マーティンは、バンドをコントロールルームに招いて多くのダメ出しをしたのですが、特に、ピート・ベストのドラミングについては、リヴァプールのキャヴァーンクラブのステージでは通用しても、スタジオでは通用しないと説明した、と記録にあります。つまり、マーティンは、彼のドラミングの問題点についてかなり具体的に突っ込んだダメ出しをしたということになります。

残念ながらその内容をメンバーは覚えておらず、記録にも残されていないので、どこがどう問題だったのか詳細は分かりません。ただ、前回に解説したように一曲において正確なリズムをずっと刻み続けるという、ドラマーとして最も基本的なことができていなかったことは指摘していたのだろうと思います。

ピートのドラミング・スキルに関してもう一つ証言があります。リンゴが加入したばかりの時、ビートルズの演奏を聴いたフォー・ジェイズ(後にザ・フォーモストと改名し、ジョンから「Hello Little Girl」を提供され、全英シングルチャート9位を獲得した)のベーシスト、ビリー・ハットンは、ビートルズから感想を聞かれ「今までよりよいサウンドになったと思う、と伝えた。それはピートがいた時のサウンドとは違っていた。ピートにはテンポが走ったり遅れたりする傾向があったが、リンゴにはそれがなく、彼にはカリスマ性もあった」と答えています。*1

 

 

2 最高のセッション・ドラマー

(1)アンディのテイクが採用

1962年9月4日、レコーディングに臨んだビートルズ

Love Me Do」は、ビートルズのデビューシングルで、ピート・ベスト、アンディ・ホワイト、リンゴ・スターという3人の異なるドラマーが参加しているという点で、ビートルズの最初期の不安定なバンド事情を示す興味深いケースです。今回はリンゴとアンディを比較してみましょう。

焦点は、「アンディ・ホワイトのドラミングはリンゴ・スターより優れていたのか?」という疑問です。プロデューサーのジョージ・マーティンがアンディのテイクをアルバムに採用しましたから、結果からいえばそうなります。しかし、このことについてもマーティンは具体的な理由を明らかにしていません。その後、リンゴがあまりに素晴らしいドラミング・スキルを披露したので、口にできなくなってしまったのかもしれません。

(2)優れたセッション・ドラマーだった

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ルルの「シャウト」

アンディ・ホワイトは、スコットランド出身のドラマーで、主にセッション・ミュージシャンとして活躍しました。セッション・ミュージシャンというのは、特定のバンドに所属せず、依頼に応じてパートタイムでレコーディングやライヴに参加する人です。現場でこれを演奏してくれといわれて、どんな曲でもすぐに対応しなければなりませんから相当なスキルが必要です。

彼は、チャック・ベリー、ビリー・フューリー、ハーマンズ・ハーミッツ、トム・ジョーンズなど、イギリスとアメリカの様々な有名ミュージシャンやグループと共演しました。トム・ジョーンズの「It's Not Unusual(よくあることさ)」は、イギリスのシングルチャート1位を獲得しましたが、このレコーディングにアンディが参加したという記録があります。もっとも、ロニー・ヴェレルだったという説もありはっきりしません。ただ、イギリスの歌手であるルルのデビュー曲「シャウト」ではドラムを担当したのは間違いないようです。この曲は、UKチャートの7位を獲得しました。

アメリカの音楽データベースサイトである「オールミュージック」は、彼を「1950年代後半から1970年代半ばにかけて、イングランドで最も忙しいドラマーの一人」と評しています。一流のプロミュージシャンから引っ張りだこだった様子が窺えます。

3 すぐにメンバーに溶け込んだ

(1)すぐに打ち解けた

1962年9月4日、EMIスタジオのジョンとポール

1962年9月11日、アンディは、ビートルズとスタジオで初めて顔を合わせました。そして、彼は、ジョンとポールと「Love Me Do」の演奏について打ち合わせた後、レコーディングを始めました。

アンディは、その時のことをこう語っています。「僕はロンドンで働き、たくさんのTV出演もした。ある金曜に、月曜にEMIで3時間の仕事ができるかと尋ねる電話があった。知らされたのはそれだけだった。リヴァプール出身の妻からビートルズの名前は聞いていたが、彼らについてそれ以外のことはほとんど知らなかった。」

「しかし、彼らはすばらしかった。僕はジョンとポールと綿密に打合せた。彼らは楽譜を書かなかったので、僕らはただ一緒に現場で作業した。」

「彼らはすごかった。リンゴとはあまり話さなかった。僕は曲を覚えるのに懸命で、彼はそのテイクではタンバリンを叩いた。僕はほとんど作曲者のジョンとポールと話をした。」

「それは本当に楽しい経験だった。僕が感心したのは、彼らは本当にいい曲をやり、しかもそれはオリジナル作品で、また斬新なものだったことだ。あの頃はみんなアメリカ音楽のコピーで、それなりに成功していたが、彼らは何か新しいことをやっていた。どこか違ってて特別だったことが誰でもわかったと思うよ。でもあれほど特別になるとは思わなかった。」*2

アンディは、初期のビートルズの才能に気が付いた数少ないプロミュージシャンだったといえるでしょう。

(2)優れたセッション・ドラマー

1962年9月4日、EMIスタジオのリンゴ

エンジニアのジェフ・エメリックは、こう語っています。「おそらくこれがセッション・ミュージシャンとして重要なことだろう。ホワイトはコツをつかんだようだった。そして、彼がどれほど早くそれを成し遂げたか、そして、彼がどれほど早くこれらのなじみのないミュージシャンたちにいかにうまく溶け込んでいるかに驚いた。それが偉大なセッション・プレイヤーの証だ」*3

エメリックは、あっという間にビートルズに溶け込み、彼らの音楽を理解し、必要なドラムを供給したアンディのスキルに舌を巻きました。セッション・ドラマーは、どんな相手でも要求でも、それに応えないといけません。ピートが2年かかってできなかったことを、彼は短時間でできたことになります。

セッションは、午後4時45分から6時30分までという短い時間でしたが、その間に「Love Me Do」だけでなく「P.S. I Love You」「Please Please Me」の3曲も レコーディングしました。素晴らしかったのは、その3つともレコードとしてリリースできるクオリティーだったことです。リンゴがあまりにも偉大なドラマーであるため、どうしてもアンディの影が薄くなってしまいがちですが、彼がセッション・ドラマーとして素晴らしい仕事をしたことは記憶に留めておく必要があります。

 

 

4 リンゴのドラミング

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リンゴのヴァージョン

リンゴのドラミングについてエンジニアのノーマン・スミスは「ポールは、リンゴのドラミングに不満があるみたいだった。あんまり良くないと思っていたんだ。技術編集にはかなり手がかかったよ」と語っています。これもポールが具体的にどんな不満を持っていたのかまではわかりません。

想像できるのは、リンゴはライヴの経験は豊富だったのですが、レコーディングは初めての経験だったので緊張していて、いつもの調子が出なかったのではないかということです。ただ、両者を聴き比べてもそれほど明確な差があるようには思えません。

 

 

5 正統派と個性派の違い?

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アンディ・ホワイトのヴァージョン

もし、違いがあるとすれば、アンディは、より正確でテクニカルなドラミングをする「正統派のドラマー」であったといえるでしょう。正確なリズムを刻み、メリハリが効いています。曲の全体的なバランスを重視し、しっかりとサウンドの基盤を作る。これは、マーティンの好みのスタイルだったと思います。

これに対し、リンゴは、より自由奔放で、クリエイティヴなドラミングをします。曲に合わせてその個性を際立たせるように個性的なドラミングをしました。後年、彼のドラミング・スタイルを人々は「ユニーク」と呼びました。「正統派」とは真逆の「個性派」です。

マーティンは、初めて聴いたリンゴのドラミング・スタイルが正統派でない個性派だったことに戸惑ったのかもしれません。私の勝手な思い込みですが、「Love Me Do」におけるアンディのドラミングが自信満々で力強くリズムを刻んでいるのに対して、リンゴのそれはやや自信がなさげで彼らしくない弱々しい感じがします。もっとも、リンゴのテイクが採用されなかったという先入観がそう聴こえさせるのかもしれません。

しかし、やがて本領を発揮したリンゴがユニークなドラミング・スキルを駆使して素晴らしいサウンドを提供し、数々の名曲が誕生したのもまた事実です。リンゴが残したドラミングは、ビートルズの作品に輝きを与えました。しかし、アンディがビートルズのブレイクに大いに貢献したことも忘れてはいけないと思います。

伝えられるところによると、リンゴは、アンディのドラム・サウンドに非常に感銘を受け、彼と同じラディック(ルートヴィヒ)のドラムキットを購入したとされています。そうすると、彼が元々持っていたプレミアのキットのサウンドがあまり良くなかったのかもしれません。

(参照文献)ノット・フォー・モダン・ドラマー、ザ・ビートルズ・レコーディング・セッションズ完全版

(続く)

 

 

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*1:TUNE IN(マーク・ルイソン)

*2:アンディ・ホワイト(デイリー・レコード)

*3:ブライトムーン・リヴァプール