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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ピート・ベストは解雇されるほどドラムがヘタだったのか?(435)

ビートルズの正式なドラマーだったピート・ベスト(右端)

1 ピートのドラミング・スキルが低かったことを示す資料は少ない

1962年7月6日、ロイヤル・アイリス・リヴァーボート

ピート・ベストは、1960年8月12日にドラマーとしてビートルズに正式に加わり、メジャーデビュー直前の1962年8月16日に解雇されました。ちょうど2年間在籍したことになります。2023年8月で彼が解雇されてから61年が経ちます。彼が解雇された理由についてはもう語りつくされたテーマですが、未だに謎が多く残っているので今回はこれを検討してみます。

メジャー・デビューする直前のビートルズは、既にリヴァプールティーンエイジャーで知らない者がいない程の人気を誇っていました。ですから、突然の解雇は地元の音楽紙でトップニュースとして取り上げられ、地元のファンは驚き怒りました。しかし、これほどの大事件であるにもかかわらず、公式なコメントはメンバーはおろか、マネージャーのブライアン・エプスタインからも一切ありませんでした。それで、解雇の理由を巡って当時からずっとさまざまな憶測が流れています。

その中でも今回は、特にピートのドラマーとしてのスキルについて考えてみたいと思います。解雇された理由として真っ先に挙げられるはずであるにもかかわらず、彼にプロのドラマーとしてのスキルがなかったことを示す決定的な証拠は少ないのです。メンバーも特にそのことについて具体的に語ってはいません。だからこそ、論争が終わらないともいえます。

 

 

2 なぜ資料が少ないのか?

(1)音質が悪い

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ビートルズのライヴ演奏

ビートルズ在籍時に残されたピートのドラム音源は、彼のドラミング・スキルについていくつかのヒントを与えてくれます。デッカのオーディション・テープやアルバム「アンソロジー1」などの音源は、その時期の彼のドラミング・スタイルを垣間見せています。

これらの音源を分析することで、リズム、タイミング、演奏に対する一般的なアプローチなど、ピートのドラミング・スキルのある側面を評価することは可能です。しかし、これらの初期の音源は音質が劣ることが多く、彼の演奏のニュアンスを完全に捉えていない可能性があることに注意する必要があります。

(2)音源だけでは判断が難しい

また、音源だけからドラマーのスキルを評価するのは難しいという側面もあります。技術的な熟練度、多才さ、創造性、バンドのダイナミズムの中で働く能力など、多くの要素がドラマーの総合的な能力に寄与します。これらの側面は、音源だけでは完全には明らかにならないかもしれません。ただ、後述するように音楽技術の発達により、レコードからドラムのサウンドだけを分離するなどの操作が可能になりました。そして、それを詳細に分析することにより、ピートのドラミングのどこに問題があったのかがわかるようになったのです。

 

 

3 タムの使い方

(1)初期は使わなかった

タムをキットに組み入れていない頃のピート

ピートが、そのドラム・スタイルにおいてタムを多用しなかったのは事実です。ビートルズの形成期におけるピート・ベストのドラム・スタイルは、主にバスドラム、スネアドラム、ハイハット、シンバルを使い、しっかりとしたリズムの基礎を提供することに重点を置いていました。このスタイルは、バンドの初期のロックンロール・サウンドと当時の演奏会場に適していました。

彼がドラムを叩いていたビートルズの初期のレコーディングやパフォーマンスでは、タムの使用を最小限に抑えたシンプルなドラム・セットアップが多く見られました。彼の初期のドラム・スタイルは、バスドラム、スネアドラム、ハイハット、シンバルを中心としたスタイルでしたが、特定の曲やパフォーマンスではタムを活用していました。

(2)やがてタムを取り入れた

タムをキットに組み入れたピート

ビートルズサウンドが進化し、より大きな会場で演奏するようになると、ピートは、ドラムキットにタムを加えるようになりました。バンドのサウンドと音楽のアレンジを高めるために、タムをセットアップに取り入れたのです。これによって、彼のドラミングにヴァラエティーと深みが加わりました。ただ、タムを使用するようにはなったものの、それは、後のリンゴのドラミング・スタイルほど突出したものでも、凝ったものでもありませんでした。

しかし、タムを使うか使わないかは、ピートだけの判断ではなかったことに注意する必要があります。バンドの全体的な音楽的方向性、使用可能な機材、バンドメンバーの好みが、その時期に使用されたドラムのスタイルやセットアップに総合的に影響していたことも無視できません。

 

 

4 いくつかの手がかり

(1)ロン・リチャーズの証言

ロン・リチャーズ

確実なのは、プロデューサーのジョージ・マーティンが1962年6月6日のセッションの後に、レコーディングはセッション・ドラマーにさせるとビートルズに通告したことです。彼は明言しなかったものの、実質的には「ピートのドラムはレコーディングに値しない」と判断したということになります。

当時EMIのプロデューサーであったロン・リチャーズの証言が残されています。ビートルズが「ベサメ・ムーチョ」をレコーディングしていると、リチャーズは、ピートのドラムに面食らってしまう。容赦ないタムタムの打音がうねり、本来は強いアタックが必要なところに弱いスネアドラムのフィルやシャッフルが巻き散らされているのだ。「ピートはあまりうまくなかった」とリチャーズは振り返る。「ジョージ・マーティンに(あとで)『彼は使えない。ドラマーは変えないとだめだ』と言ったのは私だ」*1

(2)マーク・ルーイスンは酷評

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「Anthology1」に収録されているピートのヴァージョン

「何よりピートのスキップビートは悲惨だった。普通では考えられないテンポの乱れを引き起こし、それによってビートルズの演奏は不安定に、素人っぽくさえ聴こえてしまった。キャバーンではもう少しまとめに叩いたのかもしれないが、あのスキップビートを他の三人が特にジョンとポールが名案だと思ったこと自体不思議である。ここEMIではタイミングを合わせられないピートのドラミングは三人を走らせ、さらにピートは間奏の入口で躊躇(ちゅうちょ)してしまい、ストレートに入りながら突然スキップビートに転じるという失態を演じたのだ。ビートルズが各曲何テイク 取ったかは不明だが、残されたアセテート盤に残された<ラヴ・ミー・ドゥ>が欠陥だらけでありながら、複数のテイク中最高だったと考えざるを得ない。ジョージ・マーティンとロン・リチャーズは明らかに不満だった。彼らが通常仕事をしているドラマーは精密にテンポを刻み、バンドメンバーのサウンドを束ねることができるドラマーだ」*2

このようにビートルズ研究家のルーイスンは、ピートのドラミングを酷評しています。ただ、リズムを途中で変えたことについては、当然、他の三人と話し合った上での結論ということで彼の独断ではないでしょう。 

(3)データでも明らかにされた

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この曲におけるピートのドラミングに関して注目すべきなのは、ピートのドラミング・スキルに焦点を当てて分析した動画が公開されていることです。これによると曲の途中で目まぐるしいほどにテンポが変わって、もはや混乱の極みに達していたことがわかります。

この動画を制作した人は、一曲の途中でテンポがどれだけ狂っているか、分かりやすいように曲をパートに分割して並べ解説してくれています。これだけハッキリ証拠を見せつけられてしまっては、もはや、議論の余地はありません。マーティンやリチャーズは、プロの耳でテンポの狂いを聴き逃さなかったのです。やはり、ピートのドラムではプロとしてメジャーデビューできなかったのは当然だったといえるでしょう。

 

 

5 解雇の真の理由

(1)メンバーになじもうとしなかった

正式なメンバーになる前のリンゴ

ビートルズは、最終的にピートを解雇し、リンゴと交代させる決断を下しました。この決断の真の理由は、ピートのドラミング・スキルだけに基づくものではなく、個人的な力関係、相性、バンド全体のビジョンといった要素も関係していました。というより、そちらの要素の方が大きかったのです。

ビートルズに加わってから2年も経つのに、ピートは相変わらずメンバーになじもうとせず、ギグ以外は単独行動を行うことが多くありました。また、本業のステージも休みがちで代わりにリンゴが代役を務めることも珍しくありませんでした。つまり、彼の日頃からの態度に問題があったことは間違いありません。

バンドは、気持ちを一つにしなければ素晴らしい演奏をすることはできません。そのうえステージを度々休むなど、プロとしてはあり得ない態度です。「ピートではしっくりこないけど、リンゴとならとても楽しく演奏できる」そうメンバーが感じていたのです。それは、リンゴも同じ気持ちでした。

(2)メンバーから告知すべきだった

本来ならもっと早く見切りをつけドラマーを交代させるべきでしたが、それでも彼をメンバーに置いていたのは、アマチュア時代から散々ドラマー探しに苦労してやっと見つけた正式なドラマーだったので、ここで解雇してしまうと、またドラマー探しで苦労しなければならないというトラウマのようなものがメンバーにあったからでしょう。

ただ、何度かリンゴと一緒に演奏できたおかげで彼と一緒にやりたいという気持ちがメンバーの中で芽生え、日が経つにつれてどんどん大きくなっていきました。そして、マーティンがセッションドラマーを用意したということが最後のダメ押しになった気がします。惜しまれるのは、解雇の際にメンバー、少なくともリーダーであるジョンが直接ピートに対して、これまでのビートルズへの貢献に感謝を述べたうえで、理由をちゃんと説明して解雇を告知すべきでした。それなら、彼も納得せざるを得なかったし、後味の悪い思いをすることもなかったでしょう。

(続く)

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*1:「TUNE IN」下巻p472(マーク・ルイソン)

*2:「TUNE IN」下巻p474(マーク・ルイソン)