1 ドラマーがいない!
ノーマン・チャップマンが徴兵され、ビートルズとウィリアムズは、またまた窮地に立たされました。もうハンブルク巡業はブッキングされていたのに、肝心のドラマーがいないのです!
ハンブルクでカイザーケラーというクラブを経営していたブルーノ・コシュミダーがイギリスのバンドの派遣をウィリアムズにオファーしてきたのですが、そのリクエストは「5人編成のバンドであること」でした。つまり、誰かが交代でドラマーをやるわけにはいかなかったのです。そこで、また、急遽ドラマーをスカウトすることになりました。
2 歴代のドラマーたち
思えば、ビートルズは、その前身であるアマチュアバンドのクオリーメンの時からドラマーが定着せず、目まぐるしく交代を繰り返していました。彼らにとってドラマーは正に「鬼門」だったのです。
ここで歴代のドラマーを順に辿ってみましょう。ここでは正式なメンバーではなく、臨時にドラムを担当したドラマーも含めています。
ドラマーの名前とバンド名は多少ズレがあるかもしれませんが、この頃のバンド名は、ドラマーと同じようにコロコロ変わっていたので、その辺りはご了承ください。というより、どうせメンバー自身も正確には覚えていませんから(笑)
①コリン・ハントン(クオリーメン)
1956年6月にジョン・レノンがクオリーメンを結成した時、ギターを担当していたエリック・グリフィスがドラマーを探していたところ、近所に住んでいたコリン・ハントンが新品のドラムキットを所有していることを知り、彼をメンバーに加えました。
ですから、アマチュア時代を含めるとハントンが最初のドラマーです。しかし、後にポールやジョージがメンバーに加わると、彼の腕ではとてもバンドのドラマーは務まらないことが分かり、1959年の初め頃に脱退しました。
②マイク・マッカートニー(Beatals)
1960年1月にバンドは「Beatals」と名前を変えました。面白いことに、その時、マイク・マッカートニーがドラマーとして参加したのです。
「え?マイクって、ポールの弟じゃないの?」という声が上がりそうですが、はい、その通りです。
彼が正式なメンバーだったことがあるのかについては議論のあるところですが、バンドのドラムキットで演奏している彼の写真が残されています。もっとも、これだけでは、ただ単に遊びで座っていただけなのか、あるいは、ほんの一瞬だけドラムをやっただけかもしれないので、決定的な証拠にはなりません。
しかし、バンドを脱退したハントンは、バンドが再編成されたときに、もう一度加わりました。1960年4月に彼がいくつかのギグを欠席した時、彼もマイクもハントンの代わりにマイクがドラムキットに座っていたかもしれないと証言しています。二人が証言しているので、おそらく間違いないでしょう。
そのままマイクがドラマーを続けていてくれれば、苦労することもなかったのですが、すぐに辞めてしまいました。ポールほどバンド活動に熱心ではなかったんでしょうね。彼は、音楽よりカメラに関心がありましたから。
③トミー・ムーア( シルヴァー・ビートルズ)
スコットランド・ツアーに参加しました。彼については、過去の記事でかなり詳しくお話ししました。
④ジョニー・ハッチンソン(シルヴァー・ビートルズ)
ラリー・パーンズのオーディションを受けた時に遅刻してきたトミー・ムーアの代役を務めたキャス&カサノヴァスのドラマーです。彼もまた臨時のドラマーをやっただけですが、ピート・ベストが1962年8月16日に解雇され、リンゴ・スターが8月18日に就任するまでの2日間、また、臨時でドラマーを務めました。
⑤ クリフ・ロバーツ( シルヴァー・ビーツ)
1960年5月14日、ドラマーがいなかったので臨時に演奏しただけです。
⑥ロン( シルヴァー・ビートルズ)
1960年6月14日、テディボーイ(今で言うヤンキー)が臨時に加わりました。これもこの時だけです。
⑦ノーマン・チャップマン(シルヴァー・ビートルズ)
彼についても、前回まで詳しくご紹介しました。
⑧ピート・ベスト(ビートルズ)
1960年8月、ビートルズに正式なメンバーとして迎え入れられました。クルクルと交代を続けたドラマーもようやくここで落ち着きを見せました。しかし、それも2年で終わりを告げます。
リンゴ・スターは、1962年8月18日にビートルズのドラマーとして参加しました。これで長らく続いたビートルズのドラマーの交代劇がやっと終止符を打ったのです。
名前が知られているドラマーだけでもこれだけいるのですが、実は、彼ら以外にもパートタイムでドラムを叩いたドラマーがいました。しかし、もはや名前すら忘れられています。
3 なぜドラマーの確保に苦労したのか?
(1)キットが高価だった
ピート・ベストがドラマーとして正式に加入するまで、ビートルズには正規のドラマーがいませんでした。いや、トミー・ムーアやノーマン・チャップマンのようにいることはいたのですが、すぐに脱退してしまいました。他のバンドにはドラマーがいたのに、なぜビートルズだけにはいなかったのでしょうか?
ここからは、あくまで私の推測です。
まず、チャップマンも語っていたとおり、ドラムキットが高価で庶民にはなかなか手に入れられなかったことが挙げられます。職業を持っていた彼ですら自前のキットを買えず、レンタルキットで演奏していた位ですから。
ロックバンドなんて、大体庶民の男の子が組んだもので、お金持ちのお坊っちゃまは、クラシックの方に行くのが普通でした。キットがなければ練習もできませんからね。コリン・ハントンがメンバーに加わったのは、彼が高価なキットを持っていたからです。
(2)ドラマーをやりたい男子が少なかった
もう一つ、ドラマーがバンドの中では目立たないポジションだったこともあるのではないでしょうか?ドラマーは、バンドの一番後ろにいて、バンドにリズムを提供する「縁の下の力持ち」的存在です。サッカーでいえばキーパーですね。サッカー少年なら、誰しもまずはフォワードに憧れるでしょう。
ポールは、ジョンやジョージよりずっとドラムが上手かったので、チャップマンが脱退した後、やむを得ずドラマーを引き受けていましたが、内心はイヤで仕方ありませんでした。リードヴォーカルをやって目立ちたいのに、ドラマーではそれもままなりませんからね。
もちろん、ドラマーが全く脚光を浴びなかったのかといえば、そんなことはありません。ジャズドラマーとしては、ジーン・クルーパといった名プレイヤーもいました。現代のジャズ、ロックドラムの発展に大きな影響を与えたと言われています。しかし、ドラマーがこんな風にメインで演奏するなんてなかなかないですよね💦
Film Short: Melody In F - Gene Krupa and his Orchestra, 1949
リンゴの先輩には、ハル・ブレインという名ドラマーがいましたが、彼は、プレスリー、ビーチ・ボーイズ、ロネッツなどのセッション・ドラマーとして参加し、特定のバンドのメンバーではありませんでした。レッキング・クルーに所属していましたが、これはバンドではなくセッション・ミュージシャンの集まりでした。
誰もが知っているあの曲もこの曲も彼がドラムを担当していました。こんな風にスポットライトを浴びたドラマーがいたとはいえ、リンゴが登場するまで、ドラマーが女の子たちの人気を集めることはあまりありませんでした。
アイドル時代のビートルズで、一番女の子たちに人気だったのはリンゴなんです。彼のおかげでドラマーになりたいという男子が激増しました。
On Drums Hal Blaine.... Can one imagine????
(3)高いスキルを求められた
初めてのスコットランドツアーは、全く無名のバックバンドだった上に散々な出来だったにもかかわらず、もう、女の子たちから追いかけられる程、ジョンたちのパフォーマンスのスキルは高かったのです。当然、ドラマーにもそれだけのスキルを求めることになりますが、それは、結構高いハードルだったでしょう。
こういった理由は考えられるものの、それでも疑問は残りますね。だって、他のジェリー・アンド・ザ・ペースメーカーズ、ザ・サーチャーズなどのバンドにはちゃんといたんですから。ビートルズほどドラマーをメンバーに加えるのに苦労したバンドも珍しいでしょう。
4 アラン・ウィリアムズ、大陸へ向かう
さて、初代マネージャーのアラン・ウィリアムズに話を戻します。っていうか、彼が主役のハズだったのに、話があっちこっちに飛んじゃってすいませんm(__)mでも、まあ、スコットランド・ツアーとかトミー・ムーア、ノーマン・チャップマンの話も、それなりに面白かったとは思うんですよ。って、自分で言ってりゃ世話ないか(^_^;)
ウィリアムズは、マージーサイドを中心に色んなバンドのマネジメントを手掛け、彼らに仕事を与えていました。仕事を見つけてくるという才能に長けていたんですね。ビートルズがプロのミュージシャンとして何とか食いつないでいけたのも彼のおかげです。
そんなある日、一つの広告がウィリアムズの目に留まりました。それは、旅行会社によるビジネスマン向けのツアーの広告で、週末にイギリスから飛行機でヨーロッパ大陸に渡り、オランダのアムステルダムでのナイトライフを楽しむというものでした。彼は、友人で彼と同様にクラブを経営していたウッドバイン卿ともにそのツアーに参加することにしました。大陸でのクラブ経営がどんなものか大いに興味をそそられたからです。
…と、ここまでくれば、ファンの皆さんなら「ああ、次はあの話だな。」と予想が付きますよね。そうです、そのお話です(笑)
(参照文献)MENTAL FROSS, seattlepi, TUNE IN
(続く)
下の「読者になる」ボタンをクリックしていただくと、新着記事をお届けできます。
よろしければ、下の「このブログに投票」ボタンをクリックして下さい。