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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ウィリアムズは、なぜハンブルクに目を付けたのか?(247)

1 なぜ、ハンブルクビートルズを送り込んだのか?

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ビートルズのファンになってからしばらくすると、下積み時代の彼らがドイツのハンブルクへ巡業に行ったことを知ることになります。ただ、そこで一つの疑問がわきますね。

わざわざドイツまで行かなくても、イギリスにだってたくさんクラブがあったはずなのに、なぜわざわざ遠いドイツまで行ったんだろう?しかも、たくさん都市がある中でなぜハンブルクを選んだのか?

これは、ファンなら誰しもが抱く当然の疑問です。初代マネージャーのアラン・ウィリアムズがハンブルクのクラブに興味を抱き、自分のバンドをそこへ送り込めば商売になると考えたのです。そのきっかけは、自分が抱えていたバンドをハンブルクのクラブに引き抜かれたことでした。

結果的にそれがビートルズハンブルク巡業」という副産物を生み出しました。下積みの苦労をイヤというほど味わいながら、彼らは、メキメキと実力をつけ、メジャーデビューできるまでになったのです。「人間万事塞翁が馬」という諺にもあるとおり、この世の中何がどう転ぶか予想するのは困難です。だからこそ人生も面白いんですがね。

 

2 ハンブルクに注目したきっかけ

(1)クラブの経営に熱心だった

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現在のジャガランダ・コーヒークラブ

ウィリアムズは、クラブが大好きで、客として遊ぶだけではなく、自分で経営もしたいと思い、ジャカランダ・コーヒークラブの経営を始めました。彼は、それに飽き足らず、もっと手を広げようと考えていたのです。彼は、いろんなクラブに客として訪れ、どの店のどこが良くてどこが悪いか、自分だったらどうするかなどをチェックしていました。

彼がビートルズハンブルクに送り込んだのは、ハンブルクのクラブ、カイザーケラーのオーナーのブルーノ・コシュミダーからの要請があったからだとされています。

確かにその通りなんですが、そうするとウィリアムズが他動的に、つまり、コシュミダーが主導的な役割を果たして、ビートルズハンブルクに招いたように聞こえます。しかし、実際はそうではなかったのです。元々彼自身が、自分がマネジメントしているバンドをハンブルクに送り込んで商売にしようと考えていたのです。

2)自分のバンドを引き抜かれた

ジャカランダの月曜日の夜にレギュラーとして出演していたザ・ロイヤル・カリビアン・スティール・バンドのメンバー数名が、ある日突然、仕事をキャンセルしていなくなったのです。彼らは、たまたまジャカランダにやってきたドイツ人に気に入られ、ハンブルクのクラブでの仕事を紹介してもらったのです。

彼らは、レギュラーの仕事をすっぽかしただけではなく、ハンブルクでいかに楽しく過ごしているか、ウィリアムズにハガキまで送ってよこしてきたのです。実にあっけらかんとしたもんですが、こういうことが許されるのどかな時代だったんですね(^_^;)まあ、彼も親分肌でしたから、こんな程度で目くじらを立てることもなかったのでしょう。

彼は、こう語っています。「リヴァプールは港町だから、外国の船員たちがよく来てたんだ。スティール・バンドがハンブルクから来た客に気に入られて、私に無断で彼らと一緒にハンブルクに行ってしまった。でも、憎めない性格でこっちでビジネスをすべきだと手紙を書いてきたのさ。だから、ビートルズの音源を持ってハンブルクのクラブを回ったら、カイザーケラーで演奏できることになったんだ。」

 

(3)男の楽園

自分のクラブのメンバーを引き抜かれたウィリアムズは、当然、頭にきたのですが、むしろ、「ウチをスッポかしてまで行くなんて、ハンブルクってそんなに面白いところなのか?」と逆に興味を抱いたのです。それなら、一丁乗り込んでこの目で確かめてやろう、もしかしたら、うちのバンドもそこへ送り込めるのではないかと思いました。

ちょうどその時、ビジネスマン向けのオランダのアムステルダム・ツアーがあったので、早速、友人のウッドバイン卿と共に1960年1月29日から31日にかけてハンブルクへ渡りました。ツアーの目的地はアムステルダムだったのですが、彼らは、到着してもそこには目もくれず、まっしぐらにハンブルクへと向かったのです。

彼らは、ハンブルクのザンクト・パウリ地区にあるレーバーバーンという歓楽街へ繰り出しました。そこは、正に「男の楽園」とも言える場所で、男の欲望を満たすありとあらゆる物が揃っていたのです。ハンブルクは、リヴァプールと同じ港町で、世界中から気性の荒い船乗りたちが寄港してクラブで遊んでいました。

レーバーバーンのグロッセ・フライハイトという地区が最も賑わっていましたが、ウィリアムズがそこを訪れた時に、地下のクラブから音楽が聴こえてきました。そのクラブが後にビートルズが出演することになる「カイザーケラー」だったのです。

 

3 ハンブルクのバンドには魅力がなかった

(1)つまらなかったバンドの演奏


Kaiserkeller - Hamburg, early 1960

上の動画は、カイザーケラーのオーナーのブルーノ・コシュミダーがクラブの様子を撮影した貴重な記録です。

カイザーケラーを訪れたウィリアムズは、「ここには生バンドの演奏がない」と気づいたのです。いや、あるにはあったんですが、ただレコードをコピーして演奏しているだけで、ライヴ・パフォーマンスの生き生きとした魅力は全くありませんでした。

ですから、客はバンドの演奏は座って聴き、ジュークボックスでレコードから音楽が流れると始めて踊りだしたのです。その様子を見た彼は、「ここにウチのバンドを出演させれば、人気を呼んで店の看板になる。」そう確信したのです。

再び彼の言葉です。「その頃のハンブルクは、風俗店のメッカだった。ありとあらゆる商売が集まってたんだ。ビートルズは、)売春婦やトランスヴェスタイト(性別による区別から自由でありたいと考える人々)に常に声をかけられてたね。当然のごとく大人になっていった。みんなが思うほど純朴ではなかったんだ。」

彼らがデビューしてからのアイドル時代しか知らないファンは、「リヴァプールという地方からロンドンへやってきた純朴な若者たち」というイメージを抱いていたと思いますが、実際には大人の遊びをもう覚えていたんですね。

何しろジョージがチェリーボーイを卒業したのもハンブルクですから。しかも、メンバーみんながその瞬間を見届けて「おめでとう」と拍手したんですよ(笑)  

(2)ブルーノ・コシュミダーとの出会い

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ウィリアムズは、カイザーケラーのウェイターに、この店の経営者に会いたいと告げました。すると彼は、事務所に案内されたのです。そこにいたのが経営者のブルーノ・コシュミダーでした。コシュミダーは、全く英語が話せなかったため、ウェイターが通訳として呼ばれ、つたない英語でやり取りしました。

ウィリアムズは、イギリスで自分もクラブを経営しているが、自分のクラブには専属のバンドがいて、若者たちに人気のある音楽を客に提供し、店の看板になっていると熱心に説明したのです。ここにはそんなバンドはいないから、うちのバンドをここで働かせてくれれば、きっと評判になって店も繁盛するはずだと持ちかけました。

ギャラは週100ポンド、彼は手数料として10ポンドを受け取るがそれでどうかと提案したのです。コシュミダーも満更ではない様子でした。

ウィリアムズは、バンドの演奏を録音したオープンリールテープを持ち出し、これを聴いてみてくれとコシュミダーに促したのです。彼がテープデッキにかけて再生してみると、音楽とは何の関係もない単なる雑談が聞こえてきました。どうやら、ウィリアムズがせっかくバンドの演奏を録音したのに、その上からまた別の録音をしてしまったようです。

この頃のテープはもちろんアナログで、録音しても後から上書きしてしまえば消えてしまったんです。まあ、現代のコンピュータのデータだって同じことですが。それにしても、ハンブルクまで行ってとんだ赤っ恥をかいたものです(笑)

そんなこんなで、この日の商談は成立しませんでした。しかし、ウィリアムズがコシュミダーと知り合いになれたおかげで、後に「ビートルズハンブルク巡業」が実現することになります。 

(参照文献)The Beatles Story, TUNE IN

(続く)

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