1 真実かどうかは分からない
(1)本当にあったのか?
最初にお断りしておきますが、これからご紹介する事件は、実際にあったのかどうか定かではありません。このことについて触れたいくつかの資料があるのですが、果たしてそれらが信頼できるものなのかどうか分らないのです。
この記事を最後まで読んで頂いたうえで、これを真実と考えるかどうかは皆さんにお任せします。また、もし、この事件に関して有力な情報をお持ちでしたら、お知らせいただけると助かります。
(2)映画の中の衝撃的なシーン
「リンダ・マッカートニー・ストーリー」という映画の中で、ジョンがポールの自宅の壁に飾ってあった絵を壁から外して床に叩きつけるというシーンが登場します。その絵はかつて自分が描いてポールにプレゼントしたものでした。もし、これが事実だとしたら、相当衝撃的なできごとです💦
日本の刑法なら住居侵入罪と器物損壊罪という犯罪行為にあたります。「レノン・ネイキッド」という映画でも同じようなシーンが登場します。どちらも史実を元にしたドキュメンタリー映画という触れ込みですから、観た人はこれが実際にあった事件だと思うでしょう。
2 ジョンがポールの自宅を襲撃した?
(1)塀を乗り越え、窓ガラスを割って侵入?
1969年1月、ビートルズは、ゲットバック・セッションを行っており、ある日、スタジオでレコーディングする予定で全員が集合することになっていました。ところが、ポールだけがいつまでたっても現れなかったため、頭に来たジョンは、ポールのキャベンディッシュ・ロードの自宅に車で乗りつけました。
チャイムを鳴らしてもポールが出てこなかったので、ジョンは、塀を乗り越え車に積んできたレンガで窓ガラスを壊して「マッカートニー!」と叫びながら、彼を探しました。驚いたポールがリンダとの記念日という理由でセッションに行かなかったと説明すると、ジョンは壁に飾ってあった、かつて自分がポールにプレゼントした絵を取り外して床に叩きつけ「記念日おめでとう、メイト!」と吐き捨てて立ち去りました。あまりのできごとに呆然と立ち尽くすポールとリンダでした。.
偶然、その時にポールの自宅前にファンの女の子たちが集まっていました。その時に撮影したと思われる写真もあり、確かにジョンが塀をよじ登っている後ろ姿が撮影されています。映画は、後世の創作ですから、そこで描かれた内容が真実かどうかは別として、写真は実際に撮影されたものなので、本当にあった事件のようにも思われます。
(2)アップル・スクラッフス
ここでギル・ピルチャードという女性が登場します。彼女は「アップル・スクラッフス(アップルの襟首)」と呼ばれたビートルズファンが結成した親衛隊の一員です。彼女たち自身がビートルズファンなのですが、他のファンがビートルズに殺到して彼らの邪魔をしたりしないように、彼らを護衛することを自らの任務と定めて1960年代後半に結成されました。
彼女たちは、ファンであるにもかかわらず非常に献身的で、ビートルズがアビイロード・スタジオでレコーディングしている間も、雨の日も風の日も夜遅くまで外でずっと立ったまま、他のファンからビートルズを護衛していました。
ジョージは、そんな彼らに親しみを込めてアップル・スクラッフスと呼び、解散後リリースした自身のソロアルバム「All Things Must Pass」では、その愛称をそのまま使って「アップル・スクラッフス」というタイトルの曲を作りました。そして、歌詞の中で「君たちをとても愛している。」とまで言及して、彼女たち(男性も少数ながらいたようですが)の献身ぶりに感謝の意を表したのです。
3 ギル・ピルチャードの証言
ピルチャードは、ある夜、アビイロード・スタジオの正面玄関からポールが涙を流しながら出ていき、自宅に帰ってそのまま戻ってこなかったと証言しています。*1
ポールがスタジオに姿を現さなかったのはその翌日でした。彼女は、自分の記憶自体もあいまいで、記憶違いの可能性もあると後に語っています。彼女が自らの証言の信憑性を否定したわけですが、証人が証言を翻すのは実際の訴訟でもよくあることです。それは、自分の証言のせいで自分にとって大切な人物が不利になるのを防ぎたいという心理が働くからです。彼女は、自分の証言がビートルズの「黒歴史」を裏付けてしまうことを恐れたのかもしれません。
ブラジル人女性で若い頃からジョンとポールの追っかけで有名なリジー・ブラボーさんによれば、写真に写っている女性たちは、アップル・スクラッフスのメンバーではないとのことです。*2
ただ、ジョンは、ルーフトップ・コンサートで演奏していた時と風貌も着用しているコートまでそっくり同じですから、本人に間違いないでしょう。そして、彼が壁をよじ登っているのも写真から明らかですから、まったく荒唐無稽なデマと決めつけることもできません。
写真のキャプションには「アビイ・ロードのセッションでのケンカの後、不機嫌なジョンがポールの自宅の壁をよじ登っているところ」とあります。しかし、これは、撮影当時ではなく後日つけられたものですから当てにはなりません。
4 解散後の訴訟での事件?
(1)判決後に襲撃した?
一方でこの事件は、ゲットバック・セッションの時ではなく、ビートルズのビジネス上の関係を解消するための訴訟で、裁判所がポール勝訴の判決を下した1971年3月12日に起きたとする話もあります。
それによると、敗訴したジョン、ジョージ、リンゴの3人は、法廷を飛び出し、記者を振り切ってポールの自宅に向かい、到着するとジョンは、車からレンガを2個取り出して、一番近い窓から投げつけたとしています。
しかし、判決が下された日には、ビートルズのメンバーは、誰も法廷に出席していませんでした。いくら判決に不服があったとしても、こんな非常識な行動はしなかったでしょうから、これは流石にあり得ません。
このような話を聞かされたポールは、「最近、私がジョンに絵をプレゼントしたことになっていて、ジョンが私の家に来てそれを踏みつけたという話を読んだ。私は、ジョンに絵をプレゼントしたことはないし、したとしても彼がそれを踏みつけたことはなかった。」と事件そのものの存在を完全に否定しています。
(2)情報が錯綜
ポールもちょっと勘違いしていますが、この話では、ジョンがポールに絵をプレゼントしたことになっています。ポールがジョンに絵をプレゼントしたのなら、その絵がポールの自宅に存在したはずはありませんから。この事件は、ピーター・ドゲットの著書「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ヨー・マネー:ザ・バトル・フォー・ザ・ソウル・オヴ・ザ・ビートルズ」で取り上げられています。
2009年にイギリスで出版されたこの著作物は多くの批評家から高く評価されており、2010年12月、ロサンゼルスタイムズの年間トップ10の一冊に選ばれました。ビートルズの伝記の中でもこの著書は、公平な立場からかなり客観的に真実を明らかにしていると評価されています。これ以外にもこの事件については色々な文献や証言、写真などがあるのですが、それらが錯綜していて混乱が生じています。
4 スチュアート・ケンドール氏の意見
(1)ジョンとポールの共通の友人
そこで、私は、若い頃、ジョンとポールの共通の友人だったイギリス在住のスチュアート・ケンドールさんにこの事実が真実かどうかお尋ねしました。彼は、若い頃にジョンとポールの両者と親交があり、ポールの自宅の庭でジョンと音楽や政治などについ色々議論したこともある方です。
皆さんは、上の写真をご覧になったことがあるかもしれません。これは、ビートルズがアルバム「サージェント・ペパーズ~」のリリースについて記者会見を開いた時に、ポールの自宅で撮影されたものです。ケンドールさんが持っていたカメラで撮影したものですが、ミックとジョンの間に座っている人物がケンドールさんです.
私は、以前からこの方とFacebookで友だちになっています。彼にこの件について質問したところ、「それは事実だ。」との回答が返ってきました。ビートルズは、素晴らしい作品を作ったにも関わらず、著作権がないため少ない収入しか得られなかった。そのことでメンバーの不満が次第に大きくなり、その解消の仕方を巡って対立が生じていたことがこの事件の背景にあったとのことです。
(2)間違いであってほしい
正直、私は、この回答に結構ショックを受けています。この事件は、「ポール・マッカートニー死亡説」のようないわゆる都市伝説の類であって、いかに薬物中毒で情緒不安定に陥っていたジョンといえども、こんな常軌を逸した行動をするはずがないと考えていました。
実際にあった事件にもかかわらずあまり公けになっていないのは、騒ぎが大きくなるのを恐れて関係者がひた隠しにしているからでしょうか?それともやはり単なる噂話であって、こんな事件はもともと存在してなかったのでしょうか?私にはどちらとも判断できません。できるものなら、そんな事実はなかったと信じたいです。
ただ、そう信じたとしても、気になるのは、ジョンを撮影した2枚の写真、中でも壁をよじ登っている写真ですね。これがこの事件の写真でないとしたら、一体何を意味するのでしょうか?それが気になるのですが、残念ながら、私は、この事件に関してこれ以上解明できません。
(参照文献)ヨークビートルズ感謝協会、ミート・ザ・ビートルズ・リアル、ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ヨー・マネー:ザ・バトル・フォー・ザ・ソウル・オヴ・ザ・ビートルズ
(続く)
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