1 マスコミはあれこれ書き立てた
「ビートルズが解散した直後、私は、どうするか考えるために、少なくとも1か月は必要だった。世間からは、世捨て人とか隠遁者と呼ばれる時期に入った。『彼は、スコットランドでイスに座って、鏡を見ながら自分の姿を眺めている』というような、ちょっとした悪口のような記事が色々書かれていた。」
「しかし、そんなことはなかった。私は、ただ木を植えていただけだ。普通の生活に戻って、自分に考える時間を与えていただけなんだ。『バブルがはじけたらどうするんだ?』と世間から聞かれても、私には質問の意味が理解できなかった。それはジョークみたいな質問で、我々は、いつも『ハハハ、じゃあオレたちも一緒にはじけるさ。』と言っていた。私は、一度もそんな質問を真に受けたことはなかったよ。」*1
マスコミは、ポールがスコットランドで暮らしていることをすぐにキャッチし、あることないことを書きたてました。彼は、取材を拒否していたので、本当のことは誰も知りませんでした。
ですから、そこに書かれていたことはすべて憶測に過ぎません。彼が唯一取材に応じたのはライフ誌ですが、それは、彼の死亡説で世間が大騒ぎになっていたため、それを打ち消すためでした。
2 作曲を再開した
(1)リンダがポールを救った
絶望したポールは、アルコール漬けの毎日を送りました。体質的にドラッグをあまり受け付けなかった彼は、その代わりにウイスキーの瓶に手を伸ばしたのです。リンダは、そんなポールを見かねて、瓶に蓋をして飲酒をやめさせました。彼女がそうしなければ、彼は、アルコール中毒になっていたかもしれません。
プラスティック・オノ・バンドを結成し、トロントでのコンサートを大成功に導いたジョンはソロ活動に自信を深めていました。彼とは対照的に、プロになって以来、殆どビートルズとしての活動しかしてこなかったポールは、解散したら仕事がなくなってしまうという不安に苛まれていました。
ジョージやリンゴも、ビートルズ以外の分野に活動範囲を広げていました。ポールは、いつの間にか自分1人がビートルズという船に取り残されていることに気がついたのです。彼の焦燥感は、相当なものだったでしょう。
(2)作曲を再開した
スコットランドの農家の片隅には、いつものようにギターが置かれていました。彼は、それを手に取り、指で正しいコードを探り、頭で可能な限りのメロディーを考え、あとは鍛え抜かれた本能に任せるだけでした。失意のどん底からようやく立ち直り、作曲を再開したのです。
数日後には「The Lovely Linda」「That Would Be Something」、インストゥルメンタルの「Valentine Day」など、いくつかの新曲の基本的な構造ができあがっていました。彼がロンドンに戻ってきたときには、さらにいくつかの曲想が頭の中で膨らんでいたのです。また、「Every Night」や「Teddy Boy」など、ビートルズでは上手く制作できなかった曲がいくつか完成していました。 *2
3 自宅に戻った
ポールは、12月の終わり頃、ひっそりとロンドンの自宅に戻りました。アップルの誰も彼が帰って来たことを知りませんでした。彼は、ついにこれまで仕事をしてきたメンバーやスタッフとは離れて行動することにしたのです。
それから約6週間が過ぎ、その間、ポールは、リンゴやジョージとは断続的に電話で話しましたが、ジョンとは音信不通でした。彼の以前のパートナーは、ポール以外であれば誰とでも喜んで話しているようでした。
他の三人が思い思いに行動し始めていましたから、ポールも同じようなことを考えたのは当然の成り行きでした。後に彼は、こう語っています。「自分がしっかりしなければならないと思った。ジョンに状況をコントロールされ、まるで別れた恋人のように我々を捨てさせるわけにはいかなかった。」*3
ジョンは、シンシアと離婚しました。ポールは、次に捨てられるのは自分だと危機感を抱いたのです。
4 自分一人でレコーディングした
(1)シンプルな方法で自分一人で制作した
彼は、「(ビートルズでは)うまくできなかったから、自分のアルバムでやろうと思ったんだ。」と語っています。そう思い立つとすぐに自宅で「マイク1本と神経」を使ってレコーディングを続け、より多くのトラックを重ねていきました。すべての楽器を自分で演奏し、ミキシングトラックやVUメーターを使わず、意図的にローファイで原始的なテクニックでレコーディングを行いました。
しかし、それよりも重要なことは、ポールがそのことを秘密にしていたことです。「自分たちがやっていることを誰にも言わないようにしようと決めたんだ。」と彼は語っています。「そうすれば、スタジオが自宅のようになる。誰もこのことを知らないし、スタジオには誰もいないし、立ち寄る人もいない。」
後に彼は、その時をスコットランドで過ごしていた休暇の続きのように感じられたと語っています。そこでは、子どもたちの楽しそうな声や妻が食事を作る音だけが彼の気晴らしになっていたのです。*4
(2)ジレンマに陥った
「私は、音楽を作るのが好きで、それを止めたくないと思うようになった...気がつくと、ビートルズの初期の頃と同じように、一人で仕事をするのが楽しくなっていた。」一点の曇りもなかった過去を懐かしみながらも、ポールは、自分を覆う闇を完全に払拭することはできなかったのです。
彼は、アップル社をめぐるアラン・クラインとの権力闘争やビートルズの将来について、毎夜悩んでいました。彼は、ジレンマに陥っていました。一方では、スコットランドにいる間にクラインへの嫌悪感が強まり、他方では、彼がEMIやキャピトルと結んだ印税の基準となる契約から皆と同じように大きな利益を得ていたため、板ばさみ状態に陥っていたのです。*5
もう一つの悩みの種は、クラインがビートルズのマネージャーとして君臨していたことです。彼がいる限り、ビートルズが彼に搾取され続けるという構図に、彼は苛立ちを募らせていました。
どうやら、この頃からポールは、ビートルズから脱退しようと考え始めたようです。一人で作曲してレコーディングすることで、ようやくアーティストとしての自分を取り戻したのでしょう。
5 ジョンのインタヴュー
(1)解散の危機について率直に語った
1969年12月、ジョンは、ジャーナリストのアラン・スミスから独占インタヴューを受け、その内容は、ニュー・ミュージカル・エクスプレス誌の12月13日号に掲載されました。この記事は「ビートルズは解散の危機にある」というタイトルで、ジョンがグループの問題点について考えていたことについて、興味深い洞察が掲載されています。
ジョンは、自分とポールとの間のアップル社の運営方法についての意見の相違や、ジョージが作曲の才能を発揮したことにより、ビートルズが今後レコードをリリースする際に、レノン=マッカートニーの作曲におけるパートナーシップにとって障害になってきていることなど、彼がビートルズの解散につながる可能性があると感じているバンドの不協和音について、いくつかの要因を挙げています。
ジョンはこう語っています。「私は、(自分の曲が)2曲しか入っていないアルバムを作るのに6か月もかけたくないんだ。それは、ポールもジョージもおそらく同じだろう。」ジョンとポールに加えてジョージまでがコンポーザーとしての才能を発揮しだしたため、三人の作品が一つのアルバムに収まり切らなくなっている難しい実情を率直に打ち明けました。
さらに、ビートルズの将来について、「...みんながどれだけ一緒にレコーディングしたいかにかかっている。私は、それについて何度も考えているんだ、本当だよ。」と続けました。*6
(2)ジョンは冷静に分析していた
さすがにこの頃になると、ビートルズが解散の危機にあることは、もう隠し通せなくなっていたようです。ただ、ジョンは、そのことについて語りはしましたが、ポールとの約束を守って、自分が脱退すると発言したことには一切触れませんでした。
饒舌な彼にしては珍しく慎重に言葉を選びながら、非常に冷静かつ客観的にビートルズが置かれている危機的状況を語りました。また、そのことについてリーダーとして悩んでいることも打ち明けています。彼としては、ビートルズはまだ活動を続けるのか、あるいは解散するにしてもどうすれば円満にできるか、慎重に着地点を探っていたのかもしれません。
(3)ポールの心境を見落としていた
ただ、ジョンは、ポールが精神的に追い込まれた状態になっていたことを見落としていました。ジョンは、すでに自分のバンドを結成してソロ活動を開始し、トロントのコンサートも成功していたので、解散後のことについても自信をもっていました。
しかし、ポールにはそのような準備がなく、ジョンからいきなり脱退を告げられて「ビートルズはもうおしまいだ。オレはどうすればいいんだ?」と頭を抱え込んでしまい、将来に対する不安しかありませんでした。
ジョンは、自分の将来について楽観的に考えていたのに対し、ポールは、悲観的に思い詰めていたのです。ジョンは、ポールの精神状態について深く考えておらず、ポールは、自分はジョンから捨てられたと思い込んでいました。
お互いに話し合えば分かることなのに、その機会を持たなかったのです。このように両者が意思の疎通を欠いていたことが「ポールの唐突な脱退宣言」という最悪の事態を招いてしまいました。
彼らがビートルズの将来についてもっとじっくり話し合っていれば、その後、メンバーを招集して、活動を継続するのか解散するのかきちんと方針を決められたでしょう。そして、解散するにしてもちゃんと記者会見を開いたうえで、ファンやマスコミに事情を説明し、質疑にも応えてスッキリとした形で解散できたのではないでしょうか?
(続く)
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