★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

失意のポールはスコットランドへ旅立った(339)

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1969年11月、スコットランドの農場で家族とともに

1 なぜポールが脱退を公表したのか?

ビートルズの解散について気になる問題は、最もビートルズの存続にこだわっていたはずのポールが自ら脱退を公表したことです。ジョンは、はっきりとポールとリンゴ、アラン・クラインに対して脱退の意思を表明しました。ですから、彼がそれを公表しても何の不思議もありません。

しかし、実際に脱退を公表したのはポールであり、ジョンではありませんでした。これが不思議なところです。つまり、これは、彼がビートルズ存続の望みを絶たれて、自ら去る決断をせざるを得なくなったことを意味します。そこに至るまでに、彼の心境はどのように変化したのでしょうか?

彼がジョンからの脱退宣言を受けた後の行動から、その心境の変化を読み取ってみます。ただ、それを検討する前に、ジョンが脱退することが法的に可能だったのかどうかを検討します。

2 ジョンは脱退すると言ったが…

(1)契約を更改したばかりだった

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契約書を手にするアラン・クライン(中央)

1969年9月1日、アラン・クラインの主導の下で、ビートルズとEMI、キャピトルとの間の契約が大幅に更改されました。

その内容は「ビートルズは、これまでの契約に基づいてレコードを納品したので、今後一切レコーディングはしない。しかし、今回の契約と以前の契約で発売されたすべての商品(新旧マスター)の印税率を上げる代わりに、一定枚数の音源を納品することを保証し、印税率の引き上げは、新譜の売れ行きに応じて行う。」というものでした。*1

つまり、ビートルズは、レコード会社との契約に基づいて楽曲を提供するという義務を果たしたので、もうこれ以上楽曲を提供する義務はない。しかし、すでに提供した楽曲の印税率を引き上げることと引き換えに新曲を提供するという内容です。

(2)契約上脱退は可能だったのか?

ここで問題となるのは、ジョンが一方的にビートルズを脱退すると宣言したとしても、果たしてレコード会社との契約の上で、それが法的に可能だったのかということです。リーダーである彼が脱退することは、とりもなおさずビートルズが解散することを意味しますから、もはやビートルズは、新しい楽曲を提供できなくなってしまいます。それでは契約違反になって、損害賠償責任が発生するというおそれはなかったのでしょうか?

彼らの新しいレコード契約には、必要な枚数のレコードをバンドとして、あるいはソロで提供するという内容が盛り込まれていました。したがって、ジョンがビートルズを脱退しても、契約上は問題はなかったとはいえます。  

3 適法に解散できたのか?

(1)ビートルズだからこそ契約した

John Lennon 1969 London Heathrow Airport (Photo by Chris Walter/WireImage)  | ビートルズ, ジョンレノン, 写真

ただ、実際、ジョンがビートルズを脱退すれば、それは、直ちにビートルズが解散することを意味しますから、そう簡単にはいかなかったのではないでしょうか?確かに、ビートルズが解散しないことなどという条項は、契約には記載されていませんでした。

しかし、レコード会社にとって、ビートルズが契約の当事者なのですから、彼らが活動を続けるのは当然の前提であって、それを契約条項に入れる必要もなかったと考えるのが自然でしょう。レコード会社としてはビートルズと契約したのであり、個々のメンバーと契約したわけではありません。ビートルズが解散してしまえば、当然、ビートルズとしての新曲は出せなくなりますし、ソロになった彼らがどれだけ活躍するかも全く予測できませんでした。

(2)告知義務違反にならなかったのか?

ビートルズは、解散するのが分かっていたのに契約したのだとしたら、契約を締結する上で重要な情報を相手方に提供するという告知義務に違反したとして、レコード会社が損害賠償を請求する可能性はあったのではないかと思います。

もっとも、ポールが脱退してビートルズが解散した時に、レコード会社がビートルズを契約違反で訴えたという事実はありません。法的に訴えることは可能だったが、ドロ沼になるのを恐れて敢えてスルーしたのか、そもそも法的に勝訴できる見込みがなかったのかは分かりません。

(3)あえて提訴しなかった?

それに、もし仮に勝訴できる見込みがあったとしても、あえて提訴する必要はなかったのかもしれません。というのは、EMIもキャピトルも十分すぎるほどビートルズから利益を享受していたからです。彼らに対して訴えを提起すれば、ボロボロになっていた彼らにさらに追い打ちをかけることになり、解散で嘆き悲しんでいるファンの怒りを買って、企業のイメージダウンになってしまったでしょう。

ビートルズが正式に解散したのは、1975年1月9日に4人が「ビートルズ協定」に署名したときでした。

 

4 ロンドンからポールが消えた

(1)自宅に引きこもった

ジョンから脱退を告げられたポールはショックを受け、茫然自失となってロンドンの自宅に引きこもりました。ついこの間の9月9日に、リンゴを除く3人で次のレコーディングなどについて話し合ったばかりなのに、まさか唐突にそんなことを言われるとは予想もしていませんでした。その場にいたローディーのマル・エヴァンズは、ポールが涙ぐんでいるのを目撃しました。

もちろん、ポールもビートルズの終わりが近づいていることは感じていました。しかし、彼らは、契約を更新したばかりでしたから、これからも活動を続けるだろうと考えていたのです。

(2)ポール・マッカートニー死亡説

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ポール死亡説で溢れ返った新聞記事

1969年10月頃から「ポール・マッカートニー死亡説」がファンの間でささやかれるようになりました。もちろん、デマに過ぎませんが、これが大きく広まったのは仕方なかったのかもしれません。

何しろポールは、ショックのあまり自宅に引きこもってほとんど外出することがなくなってしまい、他の人の目に触れる機会が極端に減ってしまいましたから。彼は、ロンドンからも姿を消したため、ますます噂に尾ひれがつくことになりました。  

(3)スコットランド

1969年10月22日、ポールは、重い気持ちを引きずったまま、妻のリンダ、6歳の娘のヘザー、生まれたばかりの娘のメアリー、そして愛犬のマーサを車に乗せ、十分な食料を確保した上で、ロンドンから1966年に購入したスコットランドの農場へ向かいました。

彼は、後にこう振り返っています。「我々は、アップル社をボイコットするしかないと思い、とにかくそこから離れることにした。会議は頭痛の種だったから、スコットランドに来たんだ。子どもと犬を連れて、ありったけのものを持って、車の上にギターを置いて、赤ん坊のためのトイレを用意して、それで全部だった。」*2

5 どうしたらいいのか分からなかった

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スコットランドの農場にて

ジョンから脱退を告げられてからも、ポールは、バッドフィンガーと仕事をしたり、ジャッキー・ロマックス、ジェイムズ・テイラー、スティーヴ・ミラーなどとのセッションに参加していました。しかし、その間にもアップルやクライン、そして、自分の人生に対する憤りが尋常ではないほど膨れ上がっていました。

後に彼は、この時期に家族と暮らしながら、うっ積した怒りがこみあげていたことを認めています。3年後、ポールはメロディーメーカーの記者にこう語っています。「失業者やリストラされた人特有の症状がすべて現れていた。まず、ヒゲを剃らない。それはヒゲを生やすためではなく、伸びていても気にしないせいだ。何に対しても、深い怒りが湧いてきた。一番は自分に対して、二番は世界のすべてのものに対してだった。」

「そりゃ、そうだ。私は、仲間に騙されていたんだから。それで、しばらくの間、ヒゲを剃らなかった。起床もしなかった。朝は起きられなかった。起き上がっても、ベッドの上に少しいて、どこに行けばいいのか分からなくなって、またベッドに戻っていた。そして、起き上がったら、酒を飲む。ベッドから出てすぐにね。」

「私は、今までそんな経験をしたことはなかった。もっとひどい経験をした人はたくさんいると思うけど、私にとっては悪い知らせだった。私は、それまでは自分を奮い立たせて『ああ、もういいや。』と考えられる人間だったが、その時は、自分の役割はもう終ったと感じていた。」

ビートルズにいる間は、彼らの曲でベースを弾いたり、彼らが歌う曲や私が歌う曲を作ったりしてレコードを作ることができ、役に立っていた。でも、私がビートルズからいなくなった途端、本当に大変なことになってしまった。」*3

ポール自身が認めているように、彼は、4人の中でも一番楽天家でした。どんなに辛いことがあっても、楽天的に物事を考えて落ち込むことはあまりなかったのです。しかし、少年時代から一緒に活動していたジョンからストレートな脱退宣言を受け、さすがの彼もその衝撃で失意のどん底に突き落とされてしまいました。

ポールが精神的なショックを癒すために、スコットランドに滞在したのは正解だったでしょう。ただ、逆に外部との関係を遮断してしまったために、思考がより内向きになってしまい、悪い方へ悪い方へと考えが巡るようになってしまったデメリットもあったかもしれません。

ポールは、元々楽天的な性格だったからか、他人に悩みを相談するという習慣をあまり持ち合わせておらず、一人で悶々と日を過ごしていました。彼の悩みを聞いてくれたのはリンダだけでした。

 

(続く)

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*1:ミュージック・インダストリー・ニュースワイア

*2:アンド・イン・ジ・エンド(2020年 ケン・マクナブ)

*3:ウィングスパン