1 服役中に亡くなった
(1)殺人犯として服役中に死去
ビートルズの解散について記事を書いているうちに、触れないままで終わっていたのですが、ビートルズのアルバム「Let It Be」をプロデュースしたフィル・スペクターが2021年1月に81歳で亡くなっていたんです。いつもなら号外として特集記事を書いていたはずなんですが、何しろ、殺人罪で刑務所に服役中でしたからね~(^_^;)
彼の死因は、新型コロナウイルスに感染したことによるものとされています。しかし、世間とは隔離されている受刑者でも感染してしまうとは恐ろしいですね。生きていれば2024年に仮釈放される予定でした。
スペクターは、殺人という重い罪を犯して服役していたとはいうものの、それ以前は、プロデューサーとしてすばらしい才能を発揮していたことには違いありません。殺人犯について書くのもどうなんだろうというのが正直な気持ちです。しかし、それはそれとして、彼がビートルズのプロデューサーとして、彼らと共に仕事をしたことには違いないし、解散にも大きくかかわる人物なので、やはり取り上げるべきだろうと考え直して記事にすることにしました。
(2)数多くのアーティストを育てた
フィル・スペクターは、ザ・クリスタルズの「He’s A Rebel」、ザ・ロネッツの「Be My Baby」、ライチャス・ブラザーズの「You’ve Lost That Lovin’ Feeling」など数々のヒット曲を手がけたことで知られています。彼が手がけたアーティストには、ロネッツ、ビートルズ、アイク&ティナ・ターナー、レナード・コーエン、ラモーンズ、ライチャス・ブラザーズ、そしてソロとしてのジョンとヨーコ、ジョージなどそうそうたる顔ぶれです。
2 音楽界に革命をもたらしたウォール・オブ・サウンド
(1)ウォール・オブ・サウンドを開発
彼の音楽業界に対する最大の功績として取り上げられているのは、音圧を上げる音楽制作手法である「ウォール・オブ・サウンド」を開発したことです。
ウォール・オブ・サウンドは、ロックンロールのようなシンプルな曲であっても、まるで交響曲のような緻密な音の配列で聴き手を圧倒する、綿密で重層的なレコーディングシステムです。簡単に言えば、ヴォーカルや楽器のサウンドを重ね合わせて、非常に厚みのあるサウンドを作り出すということです。
例えば、一人のシンガーのソロヴォーカルも、何十にも重ね合わせるととても重厚なサウンドに聴こえるのです。この画期的なシステムは、当時の音楽関係者たちに強烈なインパクトを与えました。
(2)あえてモノラルにこだわった
1950年代後半になると、大手レコード会社は、ステレオ録音を開始していましたが、スペクターはその革新性を認めませんでした。彼は、自分がスタジオでやっていることをそのまま録音できるモノラルにこだわっていたのです。しかし、モノラルで作業すると逆にミキシングが複雑になってしまうという欠点がありました。
スペクターの手法が複雑だった点はそれに止まりません。彼は、3~4トラックの機材を使い、60年代のレコーディングでは一般的だったバンドの3倍の規模のミュージシャンを使いました。複数のギタリスト、ベーシスト、キーボーダーが同じトラックで同じラインを演奏し、彼とそのスタッフがその音源を手作業でミキシングするのです。今ならコンピューターで簡単にできることですが、アナログの4トラックの機材で作業するとなると、とても大変だったであろうことは想像に難くありません。
1964年、ディスク誌との別のインタヴューので、彼は、自身の制作スタイルについて堂々とした口ぶりでこう語っていました。「私のサウンドは、ミキシングの賜物じゃないんだ。全ては、スタジオで行われているセッションから得られるものなんだよ。いつかそれがどのように行われているかを説明しようとは思っているけど、ほとんどの人は理解できないだろうな。」
意外なことに、彼は、自分のミキシングのテクニックよりも、アーティストのセッションのサウンドが重要なのだと語っています。サウンド・オヴ・ウォールは、彼自身の感性によるところが大きく、他人に伝授できるものではなかったのかもしれません。
(3)ロック音楽の第一人者となった
このシステムを開発したことにより、スペクターは、ロック音楽の第一人者となり、ポピュラー音楽の隆盛期において、最も成功したプロデューサーの一人となりました。
数え切れないほどの音楽関係者がスペクターのテクニックを模倣し、彼は、ポピュラー音楽史上最も影響力のあるスタジオプロデューサーの一人となりました。その中には、ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンも含まれていました。彼は、「Be My Baby」に魅了され、1966年の名作アルバム「Pet Sounds」と画期的なシングル曲「Good Vibrations.」にウォール・オブ・サウンドの手法を採用しました。
スペクターは、1966年に一時引退しましたが、1969年に復帰し、ビートルズとして最後にリリースされたアルバム「Let It Be」、ジョージ初のソロアルバムでスペクターがグラミー賞に2度ノミネートされた3枚組アルバム「All Things Must Pass」、ジョンのソロアルバム「John Lennon/Plastic Ono Band(ジョンの魂)」と「Imagine」を制作しました。さらに、ジョージの主催した「バングラデシュ・コンサート」の豪華なライヴ盤をプロデュースしてグラミー賞を受賞し、ジョンの「Rock & Roll」のプロデューサーも務めました。
この時点で、スペクターは、ポップス史上最高のレコードプロデューサーの一人として広く認められており、さまざまなアーティストの18曲の全米トップ10シングルを手がけました。1989年にはロックの殿堂入りを果たし、1997年にはソングライターズの殿堂入りを果たしました。また、2000年のグラミー賞ではレコード・アカデミーのトラスティー賞を受賞し、彼がプロデュースしたレコードのいくつかは、グラミー賞の殿堂入りを果たしています。音楽業界人としては、これ以上ないといえる輝かしい経歴ですね。
3 ポールを脱退させた張本人?
「The long and winding road」は、ビートルズ最後の全米ヒットチャート1位となったシングル曲です。この曲のアレンジを巡って、スペクターがポールを激怒させたことは広く知られています。
この曲の制作の詳細についてはまた別稿で書くつもりですが、何しろメンバーが非常に険悪になっていた時期でしたから、レコーディングも一筋縄ではいきませんでした。完璧主義者のポールは、この曲の制作にあたっても他のメンバーに色々な要求を出し、何度もやり直しました。1969年1月26日になって、ようやくポールも納得のいったテイクが録音されたのです。
その後、スペクターが、「Let It Be」のサウンドトラック・アルバムの制作を担当することになりました。1月26日に録音された「The Long And Winding Road」を選んだ彼は、1970年3月26日にEMIスタジオ4で、ピーター・バウン、ロジャー・フェリスの両エンジニアの協力を得て、この曲のステレオミックスを一度だけ行いました。
4 オーケストラを勝手にフィーチャーした
(1)スペクターの独断
スペクターは、この曲については、どうやら他の曲とは違ったアレンジを考えていたようです。ポールは、スタジオのすぐ近くに住んでいて、1週間前に同じスタジオでソロアルバム「McCartney」の仕上げをしたばかりでした。スペクターは、彼に無断で1970年4月1日にEMIスタジオ1で、この曲にオーケストラや合唱団のオーバーダブをふんだんに付け加えたのです!
この日、スペクターは、事前にリチャード・ヒューソンに書いてもらったスコアを使い、35人のオーケストラと14人のコーラス、そして、ドラムのリンゴをスタジオで指揮しながら、スタジオ3のコントロール・ルームにサウンドの信号を送っていました。セッションは、午後7時に始まり、すべてが終わったのは予定時刻を大幅に過ぎた午前0時を過ぎた頃でした。
(2)ポールは激怒した
ポールは、このミックスを聴いて激怒し、後の著書「メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」で、これを彼がビートルズから脱退した理由の一つとして挙げています。彼は、このミックスの変更を要求したましたが、聞き入れられませんでした。
ポールは、著書でこう語っています。「数週間前、私の曲『The Long And Winding Road』にハープ、ホルン、オーケストラ、女性コーラスを加えたリミックス・バージョンが送られてきた。誰も私の意見を聞いてくれなかった。私は、信じられなかった。レコードには、アラン・クラインが『この変更は必要だと思う。』と書いたメモが付いていた。フィル・スペクターを責めるつもりはないが、私がスタジオのイスに座って自分の曲をコントロールできていると思っていても、そうではなかったことが明らかになった。とにかく、私はクラインに変更を求める手紙を何通か送ったが返事は来なかった。」
もし、このミックスがなければ、あるいはポールの要求に応じて外されていれば、ギリギリ彼の脱退、そして、ビートルズの解散は避けられたかもしれません。しかし、運命の女神は、ビートルズに解散への道を示したのです。ポールのヴォーカルは、壮大なオーケストラの中で静かにフェイドアウトしていきます。それは、あたかも解散したビートルズへのレクイエムであることを示しているかのようです。
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(参照文献) デッドライン、ユーディスカバーミュージック、ビートルズ・ミュージック・ヒストリー、チートシート
(続く)