★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

群がったシロアリに食い荒らされたアップル(315)

f:id:abbeyroad0310:20210326235631p:plain

サイケデリックな外観のアップル・ブティック

1 アップルは理想郷だったが

(1)自分たちのレーベルが欲しかった

f:id:abbeyroad0310:20210327004406p:plain

デレク・テイラーとジョージ

ビートルズがアップルを立ち上げたのは、節税対策という面ももちろんあったのですが、それよりはむしろ、自分たちのレーベルを作って好きなことをやりたいという気持ちが強かったのです。彼らは、アルバム「Sgt. Pepper~」のジャケットのデザインについて、EMIからコストがかかりすぎるという理由で強く反対されました。その時に、彼らは、EMIが自分たちのアイデアや若者の趣向を何も理解していないと感じたのです。

ビートルズは、そんな頑迷固陋なEMIから解放され、アップルを自分たちのブランドをコントロールできる理想郷と考えていたのです。しかし、ビジネスは、そんなに甘いものではありませんでした。

(2)金目当ての連中が殺到した

前回の記事では成功したアーティストについて書きましたが、それはほんの一握りで、ほとんどのミュージシャンは、モノになりませんでした。イギリスの「ニュー・ミュージカル・エクスプレス」やアメリカの「ローリング・ストーン」紙にアップルが掲載した新人アーティストの広告を見て、大勢の希望者がサヴィル・ロウに殺到しました。

彼らには小切手が惜しげもなく渡され、集まった「自称アーティスト」のほとんどは、その後音信不通になりました。つまり、最初からアーティストを目指すつもりなどまるでなく、金だけもらって去っていったのです。世界中から得体の知れない連中がやってきて、アップルの社内をうろついていました。

(3)乱れ切っていた社内の風紀

アップルは、無秩序に運営されており、ビートルズは、会議に出席して意思決定することでボスとして振る舞っていましたが、社員の統率は行き届いておらず、彼らは、すぐに好き勝手なことをやりはじめました。ドラッグを常用し、警察の家宅捜査があった場合は、ビル内のドラッグを集めて女性用のトイレに流してしまう係の社員もいました。

ところが、社内で社員が日常的にドラッグを使用していたにもかかわらず、驚くべきことに、アップル本社の社員は、一度も逮捕されることはありませんでした。その辺りは、巧妙に立ち回っていたんですね。

むしろ、ビートルズのことを思えば、誰かが逮捕されて大問題になった方が、アップルの経営の見直しにはプラスになったかもしれません。しかし、乱脈経営どころか無法地帯でしたね。呆れるほかありません💢

彼らは、会社の経費でドラッグや酒を注文したりして、仕事もロクにせず日々を無駄に過ごしていました。占い師やら、ドラッグを飲み物に混ぜることが仕事だった社員までいました。ビジネスどころか、ヒッピーの溜まり場と化したんですね💦

 

2 「アップル・ブティック」という名のお遊び

(1)ショップの体をなしていなかった

f:id:abbeyroad0310:20210327001145p:plain

オープン記念のパーティーに出席したシンシア、ジョン、ジョージ、パティ

1967年12月にベイカーストリート94番地にオープンしたアップル・ブティックは、この時期のビートルズのビジネスを象徴するものでした。この店のデザインを手がけたのは、オランダの「ザ・フール」と名乗るグループで、彼らは、ニュー・キャベンディッシュ・ストリートに自分たちのブティックを持っていました。彼らは、3人のオランダ人デザイナーとイギリス人広報担当者で構成されていましたが、ポールは、そのうちの一人と不倫していたんです(コラコラ(~-~;)ヾ(-_-;))

ブティックがオープンしたときの記念パーティーには、ジョンとシンシア、ジョージとパティ、エリック・クラプトンジャック・ブルース、シラ・ブラックが出席しました。なぜかヨーコは、出席しなかったんですね。このブティックは、パティの妹のジェニー・ボイドと、ジョンと幼なじみのピート・ショットンによって経営されていました。

 

大きくてサイケデリックな壁画がビルの両サイドに描かれていましたが、街並みにそぐわないあまりにも場違いな外観である上、地元の許可も取っていなかったため、周辺の地主や議会から抗議が出て、すぐに上から白いペンキで塗りつぶされてしまいました。おそらく、その塗装の下には、今でもサイケデリックな塗装が残されたままでしょう。

ショップ自体だけでなく、フールは、販売されている服や家具の多くをデザインしていましたが、それらは、すべてヒッピー的なデザインの最先端を行くものでした。ブティックは、開店直後から店員と客の両者の万引きに悩まされていました。

客が万引きするのは珍しいことではありませんが、店員まで万引きするなんて、とてもマトモなショップじゃありません。当然ながら、経営はズサンで赤字が膨らむ一方でした。

(2)1年ももたずに閉店

f:id:abbeyroad0310:20210327001408p:plain

行列に並ぶ人々

翌年7月、ビートルズは、既に発生した損失がそれ以上に拡大しないよう、やむなくショップを閉店することとし、在庫の中で最も気に入った商品を自分たちのものにしてからショップのドアを開け、一般の人々に残りの在庫を引き取ってもらいました。彼らは、閉店の前日、ブティックを閉鎖し、株式を譲渡すると発表しました。市民は、タダの商品を手に入れるチャンスを求めて、一晩中行列に並んでいました。

その時の様子について、ジョンはこう語っています。「大勢の人たちが来て、店にあるものすべてを持っていった。それがそのショップの経営を通じて最高のイベントだった。しかし、前の晩、我々は、全員ショップの中に入って、欲しいものを手に入れたんだ。それほど多くはなかった、Tシャツ…それは素晴らしかった。まるで強盗みたいだったよ。欲しいものは、すべて家に持ち帰った。」

ブライアン・エプスタインが生きていれば、絶対こんなことにはならなかったでしょう。要するに、これはビジネスではなく、単なるお遊びだったということです。

 

3 詐欺師「マジック・アレックス」

(1)インチキばかり

Magic Alex' Mardas | Register | The Times

アップルを食い物にしたことで悪名高い詐欺師といえば「マジック・アレックス」ですね。ビートルズから金をむしり取ったという点においては、アラン・クラインといい勝負かもしれません。

本名は、アレクシス・マルダスで、ギリシャから来たテレビの修理工でした。電子機器を自在に扱うように見えた彼に、マジック・アレックスというニックネームをつけたのはジョンでした。

 

彼は、アップル・エレクトロニクスに入社すると、音と光を発する電気壁紙、音声起動式電話機、ホームセキュリティなど、自分が持ち込んだありとあらゆる企画をアップルで実現しようとしました。当然のことながら、インチキなものばかりだったので、何一つ製品化できませんでした。

ただ、名称だけでどんな代物だったのかは想像するしかないのですが、音声起動式電話機が音声だけで電話をかけられる製品であるとすれば、現在盛んに使われているアップルやグーグルなどの音声認識システムに通ずるものがあります。本人も2010年にニューヨークタイムズ誌のインタヴューに応えて、自分は時代の先駆者だったと自慢しています。とはいえ、その当時、そんな製品を製作できるテクノロジーはありませんでしたから、インチキであったことには違いありません。

(2)シンシアを絶望に追いやった

Cynthia Lennon Dead: John Lennon's First Wife Dies From Cancer - Variety

こんな詐欺師だったにもかかわらず、ジョンは、彼を高く評価し、グループのミーティングで「私の新しい教祖」と紹介したのです。クラインにしてもそうですが、どうもジョンという人は、簡単に人を信用してしまうところがあったんですね💦

アップルで色々やらかして巨額の経費をムダ遣いしたことは、まだ金の問題だけですから許すとしても、許せないのは、ジョンの使者として彼の妻シンシアに残酷なメッセージを伝えたことです。ジョンは、マルダスにこんなメッセージを伝えさせました。彼は、シンシアの自宅を訪れ「私は、ジョンからのメッセージを持ってきました。彼は、あなたと離婚し、ジュリアンを引き取り、あなたをあなたが育ったホイレークに送り返すつもりです。」

このメッセージを聞いたシンシアは、ショックの余り、声を失い、熱を出して寝込んでしまいました。そりゃ、こんなことを言われたらショックを受けるのは当然ですよ。ホントにこいつは許せません💢彼女は、その後、離婚を決意しました。

(3)スタジオの設計と建設を任されたが

1969年、マルダスは、アップルの地下のレコーディング・スタジオの設計と建設も依頼されました。しかし、彼には音楽の業界人なら持っているはずのレコーディングの専門知識はありませんでした。

その結果は惨憺たるもので、スタジオとは名ばかりの使い物にならない施設になってしまいました。結局、ビートルズは、EMIから借りた機材を使って、最後にリリースされたアルバム「Let It Be」をレコーディングするハメに陥ったのです。クラインは、ビートルズのマネージャーに就任すると、マルダスをアップルから叩き出しました。

 

この記事が気に入っていただけたら、下のボタンのクリックをお願いします。

にほんブログ村 音楽ブログ ビートルズへ
にほんブログ村

下の「読者になる」ボタンをクリックしていただくと、新着記事をお届けできます。

(参照文献)ズイーズ・アイランズ、ビデオミュージック・イーユー、ビートルズアーカイブビルボード