★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズはギリシャへ移住することを真剣に考えていた(445)

1967年、ギリシャを訪れたビートルズ

1 ギリシャを訪れたビートルズ

(1)イギリスの喧騒から逃れて

ギリシャに到着したジョンとポール

1967年7月の暑い日、ビートルズとその家族は、ギリシャを訪れていました。ジョンは、ギリシャ中部の湖畔に座っていました。ビートルズは、アラコバの山村を経由してデルフィに向かっていました。ジョンは、芝生の上で妻シンシアと幼い息子ジュリアンの隣でリラックスしていましたが、物思いにふけっているように見えました。他のバンドメンバーは日光浴をしたり、ビールを飲んだり、湖で水しぶきを上げていたりしました。

当時、ギリシャの日刊紙「トゥ・ヴィマ」の新人記者だったラビス・チリゴタキスは、これはビッグチャンスだと悟りました。スクープを予感した彼は、ジョンに近づいて尋ねました。「ジョン、少し質問してもいいですか?」「ああ、大丈夫だよ。会えてうれしいよ。」レノンはオーウェルの小説から顔を上げ、「ギリシャの印象」についてのチリゴタキスの質問について考えていました。その後に続いたのは、記者を驚かせるほどの熱弁でした。

(2)ギリシャ移住を真剣に考えていた

「残念ながら、イギリスの社会的不平等はあまりにも大きく、精神的に傷つく。ギリシャは素晴らしい国で、素晴らしい気候があり、素晴らしい人々がいる…だから、僕らは、ギリシャの小さな島を買って、1年の半分は、誰にも邪魔されずに暮らせるヒッピー・コミューンを作ろうと真剣に考えているんだ」

なんとビートルズは、1年の半分をギリシャで過ごすことを本気で考えていたのです。それも無理はなかったでしょう。ビートルズは、1966年にツアーこそ止めたものの、相変わらずファンやマスコミの注目を浴びていて、イギリスではとても落ち着いて生活できませんでしたから。そして、彼らは、ギリシャがまるで地中海に面したパラダイスであるかのように錯覚していたのです。

2 ギリシャは軍事政権だった

(1)軍事政権が誕生していた

軍事政権の閣僚たちとコンスタンティン2世国王(中央)

1967年、ビートルズギリシャにいたこと自体が異常でした。というのもその3か月前、ジョージ・パパドプロス大佐が率いる将校たちが軍事クーデターを起こし、政権を掌握して軍事政権となっていたのです。周囲を社会主義国に囲まれていたギリシャでも社会主義勢力が議席を伸ばし、それに危機感を抱いた保守派が1967年に武装蜂起し政権を奪取したのです。

右翼の陸軍下士官たちにとって、退廃的で不道徳な匂いのするものはすべて禁止されました。最初にやり玉に挙げられたのはミニスカートでした。禁止リストのトップはヒッピーで、彼らは「麻薬中毒者、セックス狂、泥棒」とみなされていました。東西冷戦時には、ソ連などの東側諸国がビートルズをはじめとするロック音楽やヒッピー文化などを「退廃的」とし、ロックを演奏したり、男性が長髪にしたりすることを禁止していました。それと同じようなことをギリシャもやり始めたのです。

ビートルズは、最後以外は全部当てはまっていたので、とてもプロパガンダに使えるような存在ではありません。それにしても、いかに軍人たちが世相に疎かったとはいえ、1967年になってもまだビートルズのことをよく知らなかったとは驚きです。

(2)ビートルズを政治的に利用しようとしていた

ジョンは口笛をポールはリコーダーを吹いていた

しかし、国家観光局であるEOTの役人たちは、軍事政権によって厳しく管理されているメディアと同様、ビートルズの訪問を利用して、政治的敵対者に対する拷問や迫害がまん延しているという報道によって引き起こされた国際的孤立を帳消しにしようと躍起になっていました。「政権は、明らかに彼らが目的を果たすことができる有名人だとみなしていた」とチリゴタキスは語り、完璧なプロパガンダとなる写真を撮影する任務を負ったEOT管理者らとチリゴタキスや写真家がいたちごっこを強いられたことを思い出しました。つまり、どちらが先にビートルズの写真を撮影して公表するかですね、

今のように情報化社会になる前の時代だったとはいえ、フラワーパワー(銃に対して花を向けることで反戦平和を主張する運動)全盛の60年代、世界で最も有名なバンドが暴力と戦争に本能的に反対しているだけでなく、心の底から彼らの思想に反対していたということを、今後7年間鉄の手で統治することになる独裁者たちが理解していなかったことには呆れます。

(3)同床異夢

それから50年以上が経ち、このベテランジャーナリストが最近出版した回顧録に関連したエピソードは、ビートルズを研究する学者たちに考えを巡らせるきっかけとなりました。2023年8月、リヴァプール大学の「ビートルズ研究ジャーナル誌」は、「プロパガンダとしての利用:ビートルズギリシャ島計画と国際政治」というタイトルの8,000語のエッセイを掲載しました。この本の著者であるジョナサン・ノットは、数年間の調査を経て、音楽家たち(ビートルズ:筆者注)は、知名度や名声のプレッシャーから逃れるために前哨基地を購入することに熱心だったが、ギリシャ当局も同様に観光促進というその欲求を利用することに熱心だったと確信しています。

皮肉なことに、ビートルズは、ギリシャに移住することでイギリスでの喧騒から逃避したいと思い、ギリシャ政府は、彼らをギリシャを国際的孤立から救う格好のプロパガンダの材料とみなしていたのです。「同床異夢」とは、正にこのことですね。

3 ギリシャの圧政と反発

(1)ビートルズを観光に利用する目的

その数週間前、数千人の元共産主義者エーゲ海の島々の労働収容所に収容した軍事政権に対する抗議活動がロンドンで勃発していました。ある新聞は、アテネ商工会議所のカフェ・ロイヤルのレセプションで、「ギリシャの民主主義」を要求するプラカードを掲げてゲストの到着を出迎えたデモ参加者について報じました。その反面、ギリシャの主催者は「イギリス人観光客にギリシャに来るよう熱烈に懇願」していました。ギリシャは観光名所がたくさんありますが、さすがに軍事政権が市民の自由を奪っている国に観光客が行きたいとは思いませんよね。

(2)ビートルズは知らなかった

19 July 1967: The Beatles discuss purchasing a Greek island | The Beatles  Bible

「当時のギリシャの報道機関は厳しく検閲されていたため、ビートルズに関する報道はおそらく公式の許可を得ていたと思われる」とノットは書いています。「しかし、積み上がった証拠はそれ以上のことを示唆している。それは、1967年にギリシャの観光担当者がビートルズの訪問を有益な宣伝に利用しようとする試みがあったということである」

「はっきり言って私は、ビートルズの誰かが、自分たちの旅行がこのような形で使われたかもしれない、あるいは使われていたかもしれないということを、すでに知っていたと言っているわけではない」

資料がないのでここからは推測するしかありませんが、ビートルズは、ギリシャに軍事政権が成立していたことは知っていたはずですが、まさか自分たちが彼らのプロパガンダに利用されようとしていたなどとは夢にも思っていなかったでしょう。

4 「マジック」・アレックスの企画だった

「マジック」・アレックス

ノットは、グループが自分たちの島(スキアトス島沖のツォグリアス島と思われる)を見つけたとき、取引が決裂する前に「訴訟費用と不動産の改修に充てるため、総額12万ポンド相当のドル(現在の日本円で約3億6千万円相当)」を電信で送金するよう指示された」と説明しています。

このギリシャへの旅行はヤニス・アレクシス・マルダス(通称:「マジック」・アレックス)と呼ばれるエレクトロニクスの天才を自称した人物が企画しました。彼は、ビートルズが設立したアップル社の最初の社員の一人でもありました。ビートルズの資産を浪費したことで悪名高いマルダスですが、この頃からもうすでにビートルズと深く関わっていたんですね。

その後、ビートルズとは完全に決裂することになるマルダスは、大佐と密接な関係を持つ空軍士官の息子でした。「観光当局の代表者とアレクシス・マルダスが関与した可能性が高いようだ」とノットは書いています。この事実を示す確たる証拠はありませんが、いかにもって感じがしますよね。インドならビートルズ自身が熱望して行った場所ですが、ギリシャとは縁もゆかりもありませんでしたから。

5 ビートルズは食い物にされた

その後、グループの友人でポールの伝記作家であるバリー・マイルズは、ビートルズの姿勢に「恐怖を感じた」と述べ、著書「暴動が起きている:革命家、ロックスター、そして60年代のカウンターカルチャーの台頭と没落」の中で作家のピーター・ドゲットに語りました。「私が記憶するところでは、ポールはそのすべてにかすかに当惑していたが、ジョンは気にしていなかった。しかし、私が調査した限りでは、ギリシャへの旅行全体はただLSDのもやのようなものだった。彼らは、誰も自分たちがどこにいるのかまったく知らなかったのだ」

ビートルズが表向きギリシャの私有島を購入するという考えは、ちょっとしたロマンスと奇抜さとともに思い出されがちだが、記事はそのプロセスが決してそうではないことを強調している」と同誌の共同編集者であるホリー・テスラー博士は「ビートルズ研究ジャーナル誌」で語っています。

「アップル社の従業員の一部にしばしば影響を受け、時には幻惑されるビートルズだが、買収寸前ということは、彼らの純朴さと無邪気さの両方を示しており、時には側近の人々に利用されることもあった」

結局、ビートルズは、ギリシャでもマスコミに追われることとなり、島を買う計画はあえなく頓挫したことがせめてもの救いです。ファンとしては腹立たしい限りですが、ビートルズがいかに周囲の人物から食い物にされていたかがこの事実だけでもよくわかります。ブライアンが生きていた頃でもすでにその兆候は現れていましたが、彼の死後はもっとひどいことになりました。つくづく彼が生きていてくれればと思います。

(参照文献)ザ・ガーディアン

(続く)

(追記)

大阪市恵美須町駅近くのin→dependent theatre 2ndで10月27~30日に上演される舞台「24の青い鳥」の上演がいよいよ1週間後に迫りました(全6公演)。LGBT問題がテーマですが、ユーモアを混じえた肩の凝らない作品です。お近くの方はぜひお越し下さい。ご来場が難しい方はアーカイブ配信もご利用下さい。下のURLをクリックしてチケットサイトに必要事項をご記入ください。

https://ticket.corich.jp/apply/272675/016/

24の青い鳥パンフレット