★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ジョンの丸メガネは彼を表すアイコンとなった(508)

Lennon glasses. An iconic optical style.

1 プールで失くしたこともあった

リンゴは、こう回想しています。「プールで(1966年1月)ある休日に、モーリーン(リンゴの妻)、ジョン、シン(ジョンの妻のニックネーム)、そして私はトバゴ島へ行った。ジョンはコンタクトレンズを買ったばかりで、片方を落としてしまった。それがプールに落ちてしまったんだ。私たちはプールで3時間ほどこの忌々しいコンタクトレンズを探した。もちろん、見つからなかった」

そりゃ、プールにコンタクトレンズを落としたら見つかりませんよ。そもそもプールに行くならメガネにしなきゃ。よほどメガネをかけているところを見られたくなかったんですね。

 

 

2 角膜硬性レンズを使用した

(1)二種類のハードコンタクトレンズ

上:角膜硬性レンズ 下:強膜レンズ

ジョンのコンタクトレンズに関する様々なエピソードから何が推察できるでしょうか。彼は、1963年半ばから1966年後半までコンタクトレンズを着用していました。当時入手可能なレンズは、最大25mm直径の大きい強膜レンズと、かなり小さい全径9~12mmの角膜硬性レンズの二種類だけでした。

強膜レンズとは、強膜(白目)にのせるハードコンタクトレンズです。角膜硬性レンズは、先に開発された強膜レンズに取って代わりつつありました。現在、一般的にハードコンタクトレンズとして使用されているのはこちらです。

(2)ソフトコンタクトレンズはまだなかった

ジョンは、レンズが何度も外れたというエピソードがあるので、新しく開発された角膜硬性レンズを着用していたのは間違いないでしょう。強膜レンズは直径が大きいため上下のまぶたで部分的に覆われており、簡単には外れなかったのです。ただ、かなり大きいのでこれを着用するのは勇気がいりますね。

ソフトコンタクトレンズの素材は1960年代に開発されましたが、1971年まで市販されませんでした。これは、ジョンがコンタクトレンズの装用をやめて、トレードマークであるメガネをかけるようになってから数年後のことでした。もし、ソフトコンタクトレンズがもっと早く市販されていれば、ジョンはメガネをかけなかったかもしれません。

 

 

3 ジョンのコンタクトはなぜ外れ続けたのか?

(1)高度近視と中程度の規則乱視

初めてメガネをかけた撮影した映画「How I Won The War」

では、なぜジョンのコンタクトレンズはなぜ頻繁に外れたのでしょうか。この時代にコンタクトレンズが眼から外れることがいかに稀なことであったかを知るために、1950年から1970年までのオーストラリアの新聞のTroveデータベースを検索すると、硬質コンタクトレンズが眼から外れたという報告は2件しかなく、その両方ともラグビーリーグとオーストラリアでのフットボールの試合中の激しい身体接触によるものでした。

しかし、ジョンのコンタクトレンズは、彼が接触スポーツをしていないにもかかわらず、比較的容易かつ頻繁に眼から外れていたようです。2019年にロイヤルリヴァプール大学病院の募金キャンペーンを立ち上げるために妹が持ってきた1971年のジョンのメガネの処方箋に基づくと、ジョンは、高度近視と中程度の規則乱視でした。

(2)レンズが角膜の形に合っていなかった

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規則乱視とは、眼の角膜や水晶体が一定の方向に歪んでいる乱視です。つまり、彼は生まれつき眼球が歪んでいたため乱視になったので、生活習慣によるものではありません。現在ならメガネや乱視も矯正できるソフトコンタクトレンズで矯正することができますが、1960年代ではまだ後者はありませんでした。

ジョンの規則角膜乱視は、まぶたの位置と緊張とともに、コンタクトレンズが頻繁に外れる(おそらく右眼から)一因となっていた可能性が高いと思われます。上まぶたを持ち上げると、不安定で自由に動くコンタクトレンズが下まぶたに滑り落ちることがあります。

歪んだ角膜に合わない通常のコンタクトレンズでは、上まぶたがレンズの上縁と接触すると、レンズが眼から外れて飛び出してしまいます。現在ではコンタクトレンズが患者の角膜にピタリとフィットするように製造されていますが、当時はまだそこまでの技術はありませんでした。

また、ジョンの近視は「軸性近視」といって、眼の奥行きである眼軸が伸びて長くなることで、網膜から脳へ送られる光の情報がぼやけて遠くが見えづらくなるタイプだったと思われます。ジョンが7歳で近視になっていたという事実からすると、遺伝的要因が強い軸性近視であったのではないかと推察されます。

(3)眼科医の証言

1970年代にニューヨークでジョンを診察していた眼科医の回想録には、コンタクトレンズ着用者としてのジョン自身の経験に関するコメントが含まれており、この理論を裏付けています。「長年の患者数名が私の診察室でジョンに会って、試着していたフレームについてアドバイスをもらったことを懐かしく思い出している。ある患者は、コンタクトレンズを試着していたとき、背後からジョンのこんな声が聞こえて驚いた。『コンタクトレンズを着用しようとしたけど、忌々しい眼にレンズを入れておくには、まず泥酔するしか方法はなかったよ』」

そりゃ誰だってびっくりしますよね。眼の診察で眼科医の所に行ったら、そこにジョン・レノンがいたんですから。それにしても、ジョンが眼球が血まみれになってもコンタクトレンズを着用しようとしていたとは驚きです。

 

 

4 着用するためにマリファナを使用した?

(1)上まぶたが下がってレンズを保持する

映画「Help!」に出演したジョン

ジョンを診察した眼科医が思い出したこの発言は、彼のコンタクトレンズが頻繁に外れていたことを裏付けるものですが、同時に患者の観点からは、マリファナを摂取した後、レンズが所定の位置に留まっていたという洞察も提供しています。これはおそらく、マリファナが誘発した上眼瞼下垂によるものでしょう。上眼瞼下垂(じょうがんけんかすい)とは、上まぶた(上眼瞼)が正常な位置よりも垂れ下がっている状態です。加齢に伴い上まぶたが下がってものが見づらくなるのはこれです。

マリファナと眼瞼の位置を結び付ける正確なメカニズムは不明ですが、マリファナは人間の眼瞼痙攣の治療に使用されており、いくつかの実験では動物モデルで副次的影響として眼瞼下垂が報告されています。つまり、ジョンがマリファナでハイになっているときに上まぶたがトロンと下がり、そのおかげでレンズを所定の位置に保持するフィット感が得られたと思われます。

(2)使用していた時期が一致する

ジョンがコンタクトレンズを装用していた1963年後半から1966年後半は、ビートルズマリファナを最も多く使用していた時期と一致しています。1965年のアルバム「Rubber Soul」をジョンは「ポット(マリファナ)アルバム」と呼んでいました。ジョンは、後に1965年に映画「Help!」を撮影したときのことをこう回想しています。

「その時期、僕らは朝食にマリファナを吸っていた。誰も僕らとコミュニケーションをとることができなかった。いつも眼がうつろでくすくす笑っていた」映画の撮影中、ビートルズ全員がマリファナにドップリ浸かっていて、まともに撮影できなかったというエピソードはよく知られています。ジョンの乱視は特に右眼の方がひどかったようですが、当時の技術では歪んだ角膜にコンタクトレンズを的確にフィットさせる技術はありませんでした。

 

 

5 ジョンが愛用したブランド

(1)オリバー・ゴールドスミス

ジョンが愛用したオーバル/プロモデル(復刻版)

ジョンが愛用した丸眼鏡「オーバル/プロ」を製作したのは、イギリスの著名人が愛したメガネブランドがオリバー・ゴールドスミスです。60年代以降は3代目のアンドリューと弟のレイがビジネスに加わります。女優のグレース・ケリージョン・レノンなどが愛用し、80年には英国王室御用達ブランドとなります。その後、メガネは大量生産の時代となり、ブランドは一時的に休止しました。

その後、かつてジョンが愛用していたオーバルシェイプのメタルフレームを復刻し、一山(いちやま)式ブリッジなどクラシカルなディテールはそのままに、素材を合金からチタンに替え、軽くて耐久性が高い製品を世に送り出しました。現在では日本で唯一ライセンスを持つ鯖江の青山眼鏡が「John Lennon」モデルを販売しています。

(2)一山メガネ

一山メガネとは、一般的なメガネには必ずある鼻パッドがないメガネのことです。今、世界中に流通している金属フレームのほとんどが、プラスチックのパッドが鼻の両横に当たるように作られています。しかし、戦前の日本人がかけていたメガネの金属枠は一山というブリッジ(左右のレンズを橋渡ししている部分)そのものを鼻梁に乗せて掛けるメガネでした。とてもクラシカルですが、「ジョンのメガネといえばこれ」というフレームです。

結局のところ、ジョンのコンタクトレンズが最適にフィットしていなかったことが、半世紀以上経った今でもすぐに認識できる彼の象徴的なメガネ姿の誕生に小さな役割を果たしたのかもしれません。ジョンの生まれつきの角膜の歪みとハードコンタクトレンズとの不適合、ソフトコンタクトレンズが市販されていなかったこと、これらの偶然があのアイコンを全世界に広めたのです。

(参照文献)ウィリー・オンライン・ライブラリー

(続く)

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