1 お互いに音楽の方向性を変えた
(1)ビーチ・ボーイズの進化
ビーチ・ボーイズの「Catch A Wave」は、ブライアンがチャック・ベリー崇拝から脱却し、彼の最も革新的な楽曲の特徴となる予想外のコード進行に取り組んだ曲です。それから、ブライアンの最初の素晴らしいバラードである「Surfer Girl」があり、ファルセットで曲をリードすれば、それがどれほど強力に聴こえるかを彼が実感した瞬間でした。
しかし、1963年のビーチ・ボーイズの最も重要な曲は「In My Room」でした。今にして思えば、このゴージャスで内省的なバラードは、ブライアンが「Pet Sounds」のようなアルバムを作ることになる最初の兆候であり、今日でも、この曲は、そのアルバムのどの曲よりも衝撃的であり続けています。
(2)ビートルズの進化
一方、ビートルズは、1963 年のセカンド アルバム「With The Beatles」で、ポップ・イノヴェイションへの第一歩を踏み出しました。ブライアンが「Catch A Wave」で行ったように、ビートルズは、アルバムのオープニング曲である「It Won't Be Long」で、典型的なロックンロールのコード進行から脱却し始めたのです。
ジョンのパワフルなヴォーカルとポールとジョージの素晴らしいコーラスで構成されたこの曲は、一部では「ビートルズの隠れた名曲」とも評されています。この作品についての詳しい解説は別稿に譲りますが、アイドル時代の曲である「Please Please Me」から一気に飛躍したように聴こえ、今でも彼らの60年代半ばから後半の作品の大胆で革新的な楽曲の芽生えを感じさせる作品です。
(3)ポールもジョージも
ポールは「All My Loving」という、前作のアルバム「Please Please Me」のために書いたどの曲よりもスマートで優しい曲を作り上げました。そして、これは、多くの偉大なポールの曲がこれから次々と登場することを予想させました。
ジョージの処女作「Don't Bother Me」は、彼の作曲がジョンやポールの作品に追いつこうとする最初の兆候であり、ビートルズがチャートを席巻していた甘いラヴソングからすでに脱却した作品です。これは、レノン=マッカートニーですらまだ到達していなかった自省的な曲であり、打ちひしがれた主人公の心情を表すメランコリックなメロディーと内向的な歌詞で構成された作品です。
ジョンもそしてジョージ自身も高い評価を与えた作品ではありませんが、私は、この曲こそレノン=マッカートニーとは異なるジョージのコンポーザーとしての才能の片鱗を窺わせた記念すべき作品だと考えています。
2 1964年~競争が始まった
(1)ブリティッシュ・インヴェイジョンの開始
ビートルズとビーチ・ボーイズの本格的な競争は、1964年頃から始まりました。ビートルズは、1964年2月1日「I Want To Hold Your Hand」でアメリカにおける最初の No. 1ヒットを記録しました。これは、彼らが伝説的なエド・サリヴァンショーに出演した日の8日前のことです。ここから、「ブリティッシュ・インヴェイジョン(イギリスの侵略)」が始まりました。
ビートルズのセンセーショナルな全米デビューは、ブライアンに衝撃を与えました。彼は、これを聴いて「私は、腰を抜かした。全身に衝撃が走ったようだった。」と語りました。彼はまた、ビートルズの曲がアメリカのチャートでトップを占めた時に「すべてが変わったことがすぐに分かった。」とも語っています。それまでアメリカの独壇場だったポピュラー・ミュージック界にイギリスが踏み込んできたのです。
(2)「Wall of Sound」を取り入れた
ブライアンは、それまで続けてきたビーチ・ボーイズの初期のサウンドに飽き始めていて、ビーチ・ボーイズが面白くそして時代に即した存在であり続けるために、バンドを前進させたいと考えていました。彼は、フィル・スペクターの「Wall of Sound」の制作スタイルの大ファンであり、その重厚にオーケストレーションされたサウンドをビーチ・ボーイズの音楽に導入したいと考えました。
「Wall of Sound」を説明するのは難しいのですが、簡単に言えば、ギターやキーボードなどの音源をいくつも重ねて重厚なサウンドを作り上げるスタジオでのレコーディング・テクニックです。それまでのポピュラー・ミュージックといえば、軽快でノリが良いというサウンドというのが一般的でしたが、「Wall of Sound」の導入により壮大なイメージが浮かび上がるようになりました。ジョージを始めとして、数多くのアーティストに大きな影響を与えたのです。
そこで、ブライアンは、「レッキング・クルー(スペクターが信頼するミュージシャンたちの集まり)」のメンバーを募集しました。彼がレッキング・クルーで最初にレコーディングした曲の一つが「I Get Around」でした。これは、彼のこれまでで最も野心的な作品であり、多層的なアレンジ、複雑なヴォーカル・ハーモニー、少しずれたコード進行など革新的な手法を取り入れつつ、それまでのサーフィンやカー・ソングのファンも離れさせない、一見シンプルな方法ですべてが表現されていました。
ビートルズの「I Want To Hold Your Hand」が全米チャート1位を獲得してから3か月後、「I Get Around」はビーチ・ボーイズにとって初のNo.1ヒットとなったのです。
3 ビートルズも新たな路線を歩んだ
(1)アルバム「A Hard Day's Night」ですでに変化の兆しが
ビートルズもまた、1964年から彼らがキャッチーでノリの良い曲だけを制作するのではないことを示しました。前年の「I Want To Hold Your Hand」と「She Loves You」がついにアメリカのチャートのトップになり、彼らは、明らかな進歩を示す新しい曲を書き始めていたのです。
最初の2枚のアルバムからより重厚でアコースティックな内容へと進化したアルバム「A Hard Day's Night」は、後にビートルズが完全に探求することになるフォークロックとジャングル・ポップ(ザ・バーズに代表されるキラキラした音楽)の原型となるサウンドへの第一歩を踏み出す作品となりました。
(2)「And I Love Her」の先進性
このアルバムは、タイトル曲と「Can't Buy Me Love」で最もよく知られています。どちらの曲も「初期のビートルズ」のより洗練されたヴァージョンのように感じられますが、「I Should Have Known Better」「If I Fell」「Things We Said Today」「I'll Be Back」などの深い曲は、最終的に傑作となるアルバム「Rubber Soul」への先駆けとなった作品です。
「Rubber Soul」は、ビートルズがアイドルからアーティストへと変貌を遂げるターニングポイントとなった作品であることはよく知られていますが、実は、いきなり変化したわけではなく、少しずつその兆しを見せていたのです。
意外に思われるかもしれませんが、このアルバムで最も先進的な曲は「And I Love Her」です。ジョンは、この曲をポールの「最初の『Yesterday』」だと考えていたのです。心に染み入る素晴らしいバラードです。同じアルバムの中でも一きわ輝いており、今日でもビートルズの名曲の一つに数えられています。
4 ボブ・ディランとの出会い
「A Hard Day's Night」でのキラキラしたアコースティック・ギターと素朴なハーモニカの使用は、1964年8月28日にビートルズがニューヨークでボブ・ディランに会う前に、すでにフォーク・ミュージックに興味を持ち始めていたことを証明しています。伝えられているところによると、彼らは、ディランと会ったことで、それまでの明るく楽しいラヴ・ソング路線から完全に方向転換したとのことです。そちらへ動き始めていた彼らの背中をディランが押した感じでしょうか。
そして、どうやらその影響はお互いにあったようで、ビートルズとの出会いがディランにエレクトリック・ミュージックへの移行を促したといわれています。ディランは、ビートルズにマリファナを紹介した最初の人物であり、マリファナとフォーク・ミュージックのカクテルは、ビートルズにすぐに明白な影響を与えました。
1964年のセカンド・アルバム「Beatles For Sale」は、「A Hard Day's Night」よりも明らかにポップではないフォークロックの傾向が強くなりました。「I'm A Loser」「I'll Follow The Sun」「Every Little Thing」といった曲は、「Rubber Soul」の基礎となっただけではなく、正にこのアルバムにうってつけの作品です。このアルバムは、数々の名作と比べてそれほど高い評価を得ているわけではありませんが、実は、そこにはビートルズの進化の兆しが見え始めていたのです。
(参照文献)ブルックリン・ヴィーガン
(続く)
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