- 1 ポールは資本主義の暗部を鋭く描いた
- 2 音楽関係者がこぞって賞賛した
- 3 サイケデリックの方向に向かったジョン
- 4 カウンターカルチャーが社会に投げかけたもの
- 5 ビーチ・ボーイズの影響
- 6 ドラッグの影響は公けにされなかった
1 ポールは資本主義の暗部を鋭く描いた
「Revolver」は、ビートルズのサイケデリックな時代の幕開けとなりました。タイトルにその名が使われた「Eleanor Rigby」や「Dr. Robert」など、様々な登場人物たちが、世上に溢れる楽観主義との戦いの中で、人々が苦悶しあるいは自責の念にかられる瞬間を描き出しています。ビートルズは、それらを通して資本主義社会の暗部を鋭く描き出したのです。
「Eleanor Rigby」は、次のようなストーリーです。上流階級の人々が華やかな結婚式の祝宴を開いている教会の外で、貧しい高齢の女性エリナ・リグビーが米粒を拾っている。彼女に救いの手を差し伸べようとするマッケンジー神父も貧しく、自分一人で生活するのが精一杯である。やがて、エリナ・リグビーは、誰にも看取られることなく亡くなり、マッケンジー神父は、彼女を墓地にそっと埋葬した。誰も救われなかった。多くの孤独な人々を見てみるがいい…。
元気一杯に「She Loves You」を歌っていたポールは、その僅か3年後にこんなに悲惨な生涯を歩んだ一人の女性の過酷な窮状と、彼女に救いの手を差し伸べられなかった社会の矛盾をわずか2分余りの楽曲で見事に描き出したのです。
ビーチ・ボーイズの「Pet Sounds」と同様、ポールがオーケストラをフィーチャーした曲は、社会的弱者への想いを通じて人間関係を探り、資本主義が高度に発展する以前の時代への郷愁を抱かせます。「Eleanor Rigby」の歌詞には憂鬱と孤独が滲み出ており、「Here, There and Everywhere」と「For No One」は愛と傷心を物語るために、あえて複雑さを排除しています。
2 音楽関係者がこぞって賞賛した
「For No One」について、音楽関係者はこぞって賞賛しています。「Revolver」と同時期にイーヴニング・スタンダード紙のレヴューで、ビートルズと親しい記者のモーリーン・クリーヴは、ポールのアルバムへの貢献の中でこの曲を取り上げ、「『Yesterday』と同じくらい感動的である」と評価しています。
オールミュージック紙のトーマス・ウォードは「ポール・マッカートニーがビートルズと共に作った素晴らしいバラードの一つである」とし、「単純に美しい曲で、マッカートニー独特のタッチに満ちているが、紛れもなくインスピレーションを受ける」と述べています。彼は、ポールのヴォーカル・パフォーマンスを賞賛し、この曲のメロディーを「このシンガーの全キャリアの中で最もインスピレーションを受けた曲の一つ」と呼んでいます。また、ベースラインとフレンチホルンのソロを賞賛し、「ビートルズの全楽曲の中で最も繊細で素晴らしいバラードの一つ」と評して締めくくっています。
アメリカの音楽ジャーナリスト兼作家であるロブ・シェフィールドは、ローリング・ストーン誌に「『Revolver』でのマッカートニーの曲には、新しい苛烈なリアリズムがある」と書いています。彼は、この曲を「『君は家にいて、彼女は出ていく』…これは、究極の別れの歌である」と寄稿し、その芸術性の高さを賞賛しています。
ポールの作品には辛辣なコメントが多いジョンですら「ポールの曲の中で一番好きなものの一つだ」と語っています。よく「ポールの歌詞には深さがない」と批判する人がいますが、それが的外れであることは、上記の作品を見るだけでもわかります。
3 サイケデリックの方向に向かったジョン
一方、ジョンの曲は、よりはっきりとサイケデリックなものとなっています。「I'm Only Sleeping」は逆回転のギターで夢の世界を作り出し、「She Said She Said」と「Tomorrow Never Knows」はそれぞれ死と生の意味を考えるものです。
「Tomorrow Never Knows」は、ビートルズの全作品における隠れた逸品であり続け、ドラムのループ、スピードアップしたノイズと反転したノイズのコラージュで構成されています。この曲には、サイケデリックと東洋哲学の関係が凝縮されています。自己の死、再生のサイクル、「愛はすべてであり、愛はすべての人である」という主張は、後にビートルズとカウンターカルチャー全体が体現することになるものです。
4 カウンターカルチャーが社会に投げかけたもの
(1)今のままでいいのか?
カウンターカルチャーとは、社会で主流の文化的慣習に反する文化のことで、1960年代に欧米の既存の価値観を否定する文化として登場しました。現代ではサブカルチャーの一部と分類されているようです。
これは、西洋の社会文化的な風景を一変させただけでなく、音楽的な風景も一変させました。音楽は、常日頃から社会に不満を持つ人々の不満のはけ口となり、アーティストは、それに応えてパンク、グランジ、アシッド・ハウスなどのムーヴメントに代表される新しい表現形式へと向かいました。
(2)現代社会に生きる我々にも
今日、私たちは、ポスト・パンデミック、ポスト・ブレグジットの世界に入り、気候変動の脅威が迫っていることに気づきました。ビートルズは、既に1960年代に音楽でリスナーに世界と社会の存在意義を問いかけたのです。
これこそ、ポピュラー音楽が社会に対して「本当に今のままでいいのか?」と問いかけた瞬間だったのです。音楽による社会への問いかけは、すでにボブ・ディランが始めていましたが、ビートルズは、さらにそれを世界的なムーヴメントへと拡大したのです。
5 ビーチ・ボーイズの影響
ビートルズは、ファンに向けた雑誌である「ビートルズ・マンスリー」の記事で、彼らが何を聴いているかについて話しています。そこには、ビーチ・ボーイズの新しいシングル「The Little Girl I Once Knew」に驚嘆していたジョンの談話がありました。これは、1965 年の秋にリリースされたものです。アルバム「Pet Sounds」にも収録されました。
この曲についてジョンは、こう語っています。「これぞ最高!音量を上げろ、音量を上げろ。ヒット間違いなし。ここ何週間か聴いている中で最高のレコードだ。素晴らしい。ヒットすることを願うよ。」
「すべてブライアン・ウィルソンの手によるものだ。彼は、声を楽器として使っているだけだ。彼は、ツアーも何もしない。彼は、ただ家に座って、頭で素晴らしいアレンジを考えているんだ。楽譜も読まない。僕たちは、素晴らしいブレイク(演奏中央の休止)を待ち続ける。素晴らしいアレンジを。いろいろなことが延々と続くんだ。ずっと聴いていられるように、ヒットしてほしいね」辛口のジョンにしては珍しく激賞しています。
この曲は、演奏の途中でブレイクが入り、数秒間演奏が休止します。一瞬事故かと思える位、初めて聴くと驚きます。こういったことも含めて、ウィルソンが新しい試みにチャレンジしようとしていることをジョンは鋭く感じとったのでしょう。
以前にも触れましたが、ビーチ・ボーイズがビートルズの良きライヴァルだったということが、こういった点でもよく分かります。ある意味でウィルソンがスタジオで行った野心的な取り組みがジョンを刺激し、「Revolver」の制作意欲を高めたのかもしれません。
6 ドラッグの影響は公けにされなかった
(1)影響は明らかだったが
「彼らのLSDやマリファナの使用に関するトピックの一つは、彼らがドラッグを使用していることを誰も知らなかったということだ。そのため、このアルバムは、リスナーによって無実のフィルターを通して受け取られた」とビートルズ研究家のマーク・ルーイスンは語っています。「Revolver」の聴き方をあれこれ解説する現在の知識は、リリース時には存在しなかったことを覚えておく必要がある」リリース当時、多くのリスナーは、このアルバムがドラッグの影響を強く受けて制作されたものであることを知らなかったのです。
(2)当初は誰も気づかなかった
このアルバムがドラッグの影響を強く受けて制作されたものであることは、現在なら誰でも知っています。しかし、リリース当時は、ビートルズがドラッグを使用していることは製作サイドから箝口令が敷かれていて、誰も知りませんでした。
したがって、そのレヴューについてもドラッグのことについては、リリース当初は触れられていなかったのです。やがて、この頃のビートルズがドラッグを使用していたことが明らかになると、それを踏まえた解説が溢れるようになりました。いわゆる「後知恵」というヤツです。
もっとも、多くのリスナーは、薄々気づいていたでしょう。ドラッグが蔓延していた当時の世情からして、その影響なしにこれらのサイケデリックな作品が生み出されたとは到底考えられないからです。
ドラッグは、明らかに彼らの創作活動に影響を及ぼしていました。「Revolver」に収録されたジョンの曲は、まさにその時点の彼の姿を正しく反映したものだったのです。
(ケガで利き腕が使えないハンデがあるため、記事の分量を減らすつもりでしたが、結局いつもと同じぐらい書いてしまいました)
(参照文献)インデペンデント、ザ・ポール・マッカートニー・プロジェクト、エスクアィア
(続く)
この記事を気に入っていただけたら、下のボタンのクリックをお願いします。
下の「読者になる」ボタンをクリックしていただくと、新着記事をお届けできます。