★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

映像の世紀〜青の時代~ビートルズが冷戦を終結させた(429)

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1 エネルギーを充填していた

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休暇を楽しむポール

ビートルズの赤の時代に続く青の時代です。解散後にリリースされた「The Beatles 1967-1970」が青いジャケットであることに因んだタイトルです。

ビートルズは、最後のコンサートを終えた後、休養に入りレコーディングもしませんでした。大衆の熱気も冷め、もはやビートルズは終わったと誰もが思っていました。もちろん、彼らは終わってなどいませんでした。ファンやマスコミに追い回される生活から解放され、たっぷりと充電していたのです。

今思えば、この期間は、彼らにとって消耗していた自分を取り戻すとても貴重な時間でした。決して、彼らが音楽を嫌いになったわけではありません。コンサートは止めたものの、彼らは、新しいアルバムを制作したくてウズウズしていたのです。

 

 

2 アルバム「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」のリリース

(1)ポピュラー音楽界に革命をもたらした

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ジャケットの裏面に歌詞を印刷した

ビートルズは、満を持してイギリスで1967年6月1日にアルバム「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」をリリースしました。その完成度の高さ、先進性、革新性、創造性に世界中が驚嘆しました。

ビーチ・ボーイズブライアン・ウィルソンは、「このアルバムは、僕がこれまでの人生で聴いたレコードの中で最高の1枚だった」と賞賛しています。また、初めてジャケットに歌詞が印刷されましたが、これも当時としては画期的な出来事でした。ビートルズは、「歌詞もジャケットもアートを構成する重要な要素である」ことを明確に打ち出し、彼らがアルバムに込めたコンセプトをリスナーに理解してもらいたいという考えから採用したのです。

(2)OUR WORLD(アワ・ワールド)への出演

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「All You Need Is Love」を演奏するビートルズ

「OUR WORLD ~われらの世界~」は、人工衛星を使った世界初のテレビ同時中継で24の国で放送されました。日本ではNHKが日本時間の1967年6月25日から26日にかけて放送しました。その番組にビートルズが生出演することが決まったのです。ビートルズが、この番組のために書き下ろした新曲「All You Need Is Love(愛こそはすべて)」のレコーディング風景を放送することになりました。

彼らにとっては1年ぶりの生演奏です。収録ではなく生放送でしたが、映像を見る限り彼らは、リラックスしていて緊張しているようには見えません。この番組は、全世界で4億人の人々が視聴しました。「All You Need Is Love」は、正にビートルズが全世界の人々に愛と平和のメッセージを届けるのに相応しい名曲です。

まず度肝を抜かれるのが、イントロでフランス国歌である「ラ・マルセイエーズ」が演奏されたことです。反体制の象徴ともいえる音楽であるロックに体制の象徴ともいえる国歌を取り入れるとは。しかも、それが心憎いまでに曲調にピタリとマッチしているから驚きです。圧巻だったのは、アイドル時代のステージではありえなかったオーケストラの導入です。これを観たほとんどの人は、アイドルからアーティストへと華麗に変身したビートルズの姿に圧倒されたことでしょう。

 

 

3 ビートルズ社会主義国でも流行した

(1)東西冷戦の真っ只中だった

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長髪を強制的に丸坊主にされる青年

今回の放送で強調されていたのは、ビートルズ旧ソ連を中心とする東側の社会主義諸国に与えた影響です。当時、自由主義体制のアメリカと社会主義体制のソ連という超大国が「冷戦」状態で激しく対立し、世界も分断されてその間の交流はほとんどありませんでした。そして、東側諸国は、ビートルズなどの西側のロックが若者を堕落させる音楽であると決めつけ、レコードを所持することも放送も禁止しました。

しかし、ソ連の若者たちは、当局の目を盗んでこっそり闇でレコードを手に入れていたのです。逮捕される危険を冒してまでも、彼らは、ビートルズを聴きたかったのです。ソ連の若者たちは、ビートルズをまねて髪を伸ばし始めましたが、これも当局に連行され、強制的にバリカンで丸坊主にされました。その中には後にロシアの副首相となったグリゴリー・ヤブリンスキーも含まれていました。

(2)若者は密かにビートルズを聴いていた

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レントゲン写真を使った「ろっ骨レコード」

彼らは、ビートルズを聴き、演奏するために涙ぐましい努力をしました。病院で撮影されたレントゲン写真で廃棄されたものを手に入れ、それにレコードの溝をカットして、闇取引きしていたのです。彼らは、それらの写真に骨が写っていたことから「ろっ骨レコード」と呼んでいました。

ソ連の若者は、もはや聴くだけでは満足できず、ロックバンドを作りたいと思うようになりました。しかし、エレキギターは当局に禁止され、手に入れられません。そのため、彼らは、エレキギターを自分で制作し始めました。公衆電話の受話器を使えば、エレキギターのパーツになるという噂が広まり、街中の至る所の公衆電話が破壊されました、もちろん、電話機を破壊してエレキギターを制作した若者たちは当局に逮捕されました。

 

 

4 ラジオも受信できなかった

(1)ラジオの短波放送

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ラジオ・ルクセンブルクからソ連へ声を届けるビートルズ

ヨーロッパにルクセンブルクという国がありますが、ソ連の西側の国境付近からはおおよそ2000kmは離れています。それでも、短波放送は波長が長いうえ、大気中の電離層と相互作用しやすく、反射や屈折が生じることで比較的遠くまで届くのです。ラジオ・ルクセンブルクがそこに目を付け、巨大なパラボラアンテナを設置して、ソ連国境周辺に向けて電波を飛ばしました。ビートルズは、ゲストとして招かれ、ラジオでソ連の人々に語りかけたのです。

ソ連は、妨害電波で聞かせないようにしましたが、雑音の中でも、わずかにビートルズの声が聞き取れました。ソ連の人々は、ラジオの周波数を必死に合わせて耳を澄ませ、ほんのわずかの声でも何とか聞きとろうとしたのです。

(2)人々は内心では反発していた

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Hey Jude」をカヴァーしたイヴォ・リンナ

ソ連は、ビートルズがいかに堕落した集団であるかをイメージ付けるため、様々なプロパガンダを行いました。しかし、若者の間には確実にビートルズなどの西側のロックが浸透していったのです。また、同じソ連の共和国内でも温度差があり、バルト三国の中のエストニアは比較的ロックに寛容で、ロックコンサートなども大目に見られていました。ビートルズの「Can’t Buy Me Love」だけを毎日45分間だけ放送するラジオ局もありました。

エストニアのイヴォ・リンナという17歳の青年は、勇気を振り絞ってテレビで「Hey Jude」をカヴァーして歌いました。しかも、彼は、ロシア語ではなく禁止されていたエストニア語で歌ったのです。下手をすれば逮捕されるだけでなく、シベリアの強制収容所に送られるおそれもありました。しかし、彼の行動は無駄ではありませんでした。彼の歌声は、多くのエストニアの国民の心をつかみ、彼らは、自由を求めソ連からの独立を渇望するようになったのです。やがて、それがエストニア独立運動へと発展していったのです。

 

 

5 ペレストロイカの到来

(1)ロックが解禁された

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「Can't Buy Me Love」の歌詞を変えて体制を批判するソ連のバンド

1980年12月8日、ジョンがアメリカで射殺されました。ソ連にもそのニュースは届き、多くのファンたちが嘆き悲しみました。まだ、ビートルズが解禁される前でしたが、若者たちは、当局の目を気にすることなく広場に集まり、ジョンの死を悼みました。そして、1985年にゴルバチョフが書記長に就任して、「ペレストロイカ」というソ連民主化を断行し、その中で西側の文化も解禁されることになりました。ビートルズの登場から20年が経って、ようやくソ連の若者たちは、自由にロックを聴けるようになったのです。

ゴルバチョフは、ソ連民主化を進めましたが、ソ連を構成している共和国の独立は認めませんでした。ソ連が崩壊して、国力が弱まってしまうと考えたからです。しかし、民主化の動きは、独立して主権を回復したいと思っていたソ連邦内の各共和国内に燎原の火が燃え広がるごとく波及していきました。そして、エストニアなど多くの共和国が独立しました。

(2)ビートルズが冷戦を終結させた

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ビートルズが果たした役割について語るジョン

ビートルズが政治や社会体制に与えた影響について、ジョンは、60年代という時代がそうさせたのであり、我々は、60年代という船に乗って舳先で見張りをしていただけだと語っています。しかし、彼は、自身もビートルズも過小評価する傾向があり、これも彼一流の斜に構えた見方であって、額面通りに受け取ると事実を誤認します。

ビートルズは、間違いなく音楽を通して西側諸国の若者たちには愛と平和のメッセージを届け、ヴェトナム戦争反対の機運を高めました。また、自由の大切さを東側諸国の若者たちに伝え、それが岩を打ち砕く地下水のように内側から沸き上がってソ連が崩壊し、多くの国が独立して共和国へと生まれ変わったのです。音楽が世界を変えることができるという大きな象徴的な出来事だと言えるでしょう。

人工衛星ルーシーが数百年後か、数千年後に宇宙から地球に帰還した時、まだビートルズは、人々に愛され続けているでしょう。

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ルーシーに託されたビートルズのメッセージ

(続く)

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