1 デゾ・ホフマン
(1)戦場カメラマンだった
デゾ・ホフマンは、1918年、チェコスロバキアで生まれたカメラマンです。彼は、第二次世界大戦中、ヨーロッパ戦線の第一線を駆け回り、戦場カメラマンとして名を馳せました。その後、チャーリー・チャップリンやマリリン・モンロー、ルイ・アームストロング、フランク・シナトラといった超大物スターを撮影しました。
1962年、ホフマンは、ロンドンの音楽誌「レコード・ミラー」に勤めていました。半年以上にわたる粘り強い交渉の結果、ようやく週刊誌の編集長は、ホフマンがバンドの取材にリヴァプールへ行くことを許可しました。それ以来、彼は、ビートルズのオフィシャル・カメラマンとして専属契約しました。彼は、ビートルズの数々の歴史的瞬間に立ち会い、彼らの写真を数多く撮影したカメラマンです。特に、初期のビートルズのアイコンになっている多数の写真を撮影しています。
(2)「On Air - Live at the BBC, Volume 2」
ホフマンの作品で最も有名なのは、CD「On Air - Live at the BBC, Volume 2」に使用された写真でしょう。これは、ビートルズ初の公式本「Meet The Beatles」の新しい復刻版で紹介されている1963年の「Day in the Life」撮影時の写真の中の1枚です。
ビートルズにとってオフだったこの日、彼らは、ロンドンのソーホーを散策し、地元のマーケットで買い物をし、アイスクリームを食べ、数人の女性ファンとフルーツを分け合うなど、ごく普通の人々としてロンドンを歩きました。この写真は、ポールがシャツとネクタイの上にセーターを着ているのが特徴です。
彼らがアイドル時代でファンに追い回されることなくロンドンの街を歩けたのは、おそらくこの頃が最後でしょう。その意味でもとても貴重な写真です。以下は、ほんの一部ですが、ファンならどれも一度は見たことのあるものばかりだと思います。
2 デヴィッド・ベイリー
(1)スウィンギング・ロンドンの具現者
デヴィッド・ベイリーは、1938年イギリス、ロンドンで生まれました。1960年頃からカメラマンとして活動を開始したベイリーが撮影したポートレートは、荒涼とした背景と劇的な照明効果を特徴とし、イギリスのファッションやセレブリティの写真を、シックで控えめなスタイルからより若々しく直接的なものへと変化させました。ビートルズとの関係では、ジョンとポールを撮影した写真が印象的です。
彼の作品は、1960年代のイギリス文化において、労働者階級やパンクを衣服や芸術作品に取り入れることで、古く堅苦しい階級の壁を取り払おうとする風潮を反映しています。ベイリー自身が「スウィンギング・ロンドン(1960年代におけるファッション、音楽、映画、建築などにおけるロンドンのストリートカルチャー。ミニスカートやサイケデリック・アートなどに代表される) を具現化した一人となりました。
(2)ビートルズではなくジョンが好きだった
ベイリーは、こう語っています。「ジョンは、友人というわけではなかった。ただ、アド・リブ(クラブ)でいつも会っていた。最上階でジョンが僕と一緒にマリファナを吸って、『クソッ!着いたよ。アド・リブの屋上でデヴィッド・ベイリーとジョイントを吸っているんだ!』と言っていたのを覚えている。」
「私は、ビートルズが好きだったわけではなく、ジョンが好きだったんだ。ビートルズはボーイズバンドで、家みたいに四角な(型にはまった)バンドだと思っていた。でも、突然『ホワイト・アルバム』とか色々出てきて、私がそれまで感じていたよりは面白いと思うようになった。」ベイリーは、ビートルズよりローリング・ストーンズの方が好みでした。
(3)ジョンとポールを撮影したとき
「ジョンとポールの間にある種の緊張感を感じたので、ジョンに目を閉じるように言ったんだ。その後、2人を一緒に撮影したんだが、緊張感があったから色々な表情をさせた。でも、あんな2人を見たのは、オアシス(ギャラガー兄弟を中心に結成されたロックバンド)くらいだな」
「『Eight Days A Week』というタイトルを思いついたのはリンゴじゃなくて私なんだよ。ジョン・レノンがある晩、アド・リブで『どのくらい忙しいんだい?』と聞いてきたから、私は、『週に8日働いているよ』と答えたんだ。」
あのタイトルは、いつもリンゴが口走る奇妙な言葉からヒントを得たと一般的には言われていますが、ベイリーは、自分が思い付いたんだと主張しています。もうこの辺りになると、真偽はわかりません。おそらく、本人たちの記憶もあいまいになっているでしょう。
3 テレンス・スペンサー
テレンス・スペンサーは、1918年生まれのイギリス人カメラマンです。第二次世界大戦で空軍パイロットとして活躍しました。戦後はフォトジャーナリストとなり、ライフ誌のカメラマンとしてアフリカの内戦などを撮影しました。1963年頃からアイドル時代のビートルズなど多くのアーティストを撮影するようになりました。
4 カート・ギュンター
カート・ギュンターは、1923年生まれのアメリカ人カメラマンです。1964年、ビートルズの広報担当者デレク・テイラーは、ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインに対し、ビートルズの1964年の初の米国ツアーに、現地のプロのカメラマンを同行させるべきだと説得しました。そこで選ばれたのがギュンターです。彼はツアーに同行し、歴史的な写真を数多く撮影しました。
5 その他のカメラマン
(1)マイケル・ペト
マイケル・ペトは、1908年生まれのハンガリー系イギリス人のフォトジャーナリストです。彼は、映画「Help!」のシーンを何枚も撮影しました。その中には、ビートルズがソールズベリー平原やトゥイッケナム・スタジオで映画の撮影に臨むところ、ソールズベリーのホテルでディナーを楽しむところ、映画の共演者たちとお茶とビスケットでくつろぐところ、レコーディング・スタジオにいるところ、そしてMBE受勲が世界に発表された日に、報道陣と向き合うビートルズなどが撮影されています。
(2)ジム・マーシャル
ジム・マーシャルは、1936年、アメリカのシカゴで生まれたカメラマンです。ビートルズとの関係で彼が有名なのは、彼らにとってラストコンサートとなったアメリカ、キャンドルスティックパークでの写真を撮影したことです。ルーフトップ・コンサートを除いてこれが最後のコンサートとなりました。
(3)マイケル・クーパー
マイケル・クーパーは、1941年生まれのイギリスのカメラマンです。彼は、アルバム「Sgt. Pepper~」のジャケットを撮影しました。このジャケットの制作には、多くのプロが関わっており、ロバート・フレイザーがアートディレクターを務め、ピーター・ブレイクとその妻ヤン・ハワースがデザインし、マイケル・クーパーが写真を撮影しました。クーパーがビートルズと関わったのは僅かな時間でしたが、歴史に残る傑作を残しました。
(4)リチャード・アヴェドン
リチャード・アヴェドンは、1923年生まれのアメリカのファッションおよびポートレートカメラマンです。1967年までに、アヴェドンは、ファッションおよびポートレートカメラマンとしての名声を確立しました。彼の作品は、形式と内容の点で視覚的な前衛芸術であり、写真の常識に挑戦し続けました。彼が撮影したビートルズの写真は、実にサイケデリックです。
(5)トム・マーレイ
トム・マーレイは、1943年、アメリカで生まれたカメラマンです。1968年に行われたフォトセッションである「マッド・デイ・アウト」の写真が有名です。ビートルズとマーレイを乗せた車がロンドン市内をあてどなく走り、目についた撮影場所でフォトセッションを行いました。通りすがりの車の運転者がその光景に目を奪われ、事故が続発したというエピソードが残されています。
(6)イーサン・ラッセル
イーサン・ラッセルは、1945年生まれのアメリカのカメラマンです。彼は、ビートルズ最後のフォトセッションの他、「Get Back」セッションも撮影しました。映画の中でも盛んにシャッターを切っている彼が撮影されています。ルーフトップ・コンサートの撮影中に危うく屋根から転落して死ぬところだったとか。
(7)イアン・マクミラン
世界で最も有名なジャケット「Abbey Road」を撮影したのがイアン・マクミランです。彼は、1938年生まれのイギリス人カメラマンです。彼のワンショットが、ただの横断歩道を世界一有名な横断歩道に変えました。
(参照文献)ブリタニカ、ジョン・レノン、ジェネシス・パブリケーションズ、フィリップス、ワードプレスフォト、スティーヴ・ホフマン・ミュージック・フォーラムズ、アマチュア・フォトグラファー
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