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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

日本人カメラマンとして初めてビートルズを撮影した長谷部宏(425)

 

ビートルズが表紙を飾った「ミュージック・ライフ」

1 ビートルズを初めて撮影した日本人カメラマン

(1)初めての日本人カメラマン

ポールとリンゴに囲まれる長谷部宏

ビートルズを撮影したカメラマンとして長谷部宏(はせべ・こう 本名、長谷部欣宏(はせべ・よしひろ))は外せません。彼は、1965年6月15日に日本人カメラマンとして初めてビートルズを撮影しました。EMIスタジオで彼が撮影した写真は、ビートルズがレコーディング中の姿を捉えたもので、当時のビートルズのリラックスした姿を映し出しています。

長谷部の写真は、ビートルズの活気あるステージパフォーマンスや個々のメンバーの表情を捉えており、その時代のロックンロールの雰囲気を生き生きと伝えています。彼は、鮮明で迫力のある写真を撮影しようと、コンサート中に訪れる一瞬を持ち前の早さと正確性で切り取りました。

彼が撮影したビートルズの写真は、その後も彼の作品集や展示会で頻繁に紹介され、音楽史における貴重な記録として高く評価されています。彼の写真は、ビートルズという伝説的なバンドのエネルギーと魅力を伝える優れた作品として、多くの人々に愛され続けています。

彼は、ビートルズ以外にも、ローリング・ストーンズ、クイーン、デュラン・デュランなど、多くの海外アーティストを撮影しています。彼は、海外アーティストから親しみを込めて「コウ」と呼ばれました。彼の撮影した写真は、アーティストたちの魅力を余すことなく伝えています。今回は、そんな長谷部についてお話します。

(2)パリに在住していた

長谷部が自らを「コウ」と名乗ったのは、本名では欧米人が発音しにくいと考えたからです。世界のロックスターたちをフィルムに収め続けた彼は、1930年、東京で生まれました。東京写真専門学校(現東京工芸大学)を卒業後、映画雑誌の近代映画社にカメラマンとして入社し、俳優の長谷川一夫、歌手の美空ひばり坂本九などの日本のスターたちを撮影し、1954年に来日したマリリン・モンローまで撮影するなど着々とキャリアを重ねました。

1964年、長谷部は、東京オリンピックの喧騒を避けてパリに移住しました。彼は、それまで映画雑誌を中心に、有名人のポートレート写真を撮影するカメラマンとして仕事をしていました。しかし、テレビ放送が始まって映画産業が衰退していく中で、映画スターを中心に仕事をしていた彼は将来の見通しが立たなくなり、しばらく日本を離れることを決意したのです。

 

 

2 「ミュージック・ライフ」の取材に同行

(1)編集長からの依頼

1965年6月15日、EMIスタジオ

1965年6月15日、日本で出版されていた音楽誌「ミュージック・ライフ」の記者の星加ルミ子による日本人初のビートルズに対する取材がロンドンのEMIスタジオで行われようとしていました。そのカメラマンに選ばれたのが、当時パリにいた長谷部でした。編集長だった草野正一から依頼されたのです。草野と長谷部は、以前から親交がありました。

長谷部は、こう語っています。「草野さんが、僕に『昭和40年(1965年)にML誌でビートルズの写真を撮りたいからやってくれ』と。パリからだと、英ロンドンまでの飛行機代が安いからね。東京から行くとね、当時、片道25万円だ。往復すると50万円。それが、パリからだと4万5000円。僕に『やってくれ』って言うに決まっているよな。」

当時は、日本から取材のためにイギリスまで社員を派遣すると、渡航費がとても高くつきました。今とは貨幣価値が全然違いますし、そんなに気軽に海外へ行ける時代ではなかったですからね。しかし、長谷部はパリに住んでいたため、ロンドンへ行くの渡航費がずっと安く済みました。そこに草野が目をつけて依頼したのです。

「それで、ML誌の記者の星加ルミ子さんが東京から独ハンブルク経由でパリに来たの。MLを販売していた新興音楽出版社(現シンコーミュージック・エンタテイメント)の国際部長だったジョー宮崎さんが通訳を担当するからと、こちらは米ニューヨークから来た。パリで集合して、星加さんたちは、先に英ロンドンに飛んだ。理由は忘れちゃったけど、僕は後から行ったんだよね。ともかく、そうやって、ロンドンでビートルズの写真を撮ることになったんだ。」予めビートルズ側から取材時間は30分間と指定されていたのですが、結果的には3時間におよびました。

 

 

(2)意外と協力的だった

1966年、デトロイトでのコンサート

ビートルズは、すでに世界的スーパースターになっていましたが、長谷部は、彼らのことを知りませんでした。そこで、彼らを知るために彼らが主演した「ア・ハード・デイズ・ナイト」という映画を観に行ったのです。

長谷部は、こう語っています。「パリでね、勉強のために映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ」を見たとき、すごい人気だったでしょ。だから、撮るのめんどくさいな、うるせえ(条件が厳しい)んだろうなって思ったけど、そんなことないの。みんなガキなの。まだ、23、24歳。協力的だった」

ビートルズは長谷部よりずっと年下でしたから、彼にはまだ子どもにみえたのでしょう。この頃はまだアイドル時代でしたしね。スーパースターだからNGだらけだろうと思ったら、意外と協力的に接してくれたようです。1967年にも訪問しましたが、2年ですっかりアイドルからアーティストへと変身した彼らを見て驚いたかもしれません。

「日本人ってどんなのか見たこともないわけだから、向こうもこちらに興味があったんじゃないかな。あるいは、逆に、まったく無関心だったか。どっちだったか、分かんない。」

ビートルズは、ジョージをきっかけにしてインドに興味を抱いていましたから、同じ東洋の国である日本にも興味はあったと思います。星加ルミ子が可愛らしい和服で訪問したのは大正解でしたね。ジョージが食いついて、どうしてこんな大きなベルト(帯)をしているのか、スリーブ(袖)が長いのはどうしてかなどと質問攻めにしましたから。お土産に持参した日本刀にも興味津々でした。現代なら日本刀を飛行機に持ち込むなんてありえませんけどね。

 

 

(3)アーティストとの間合いのとり方

ビートルズ星加ルミ子

「近代映画社時代の撮影は、相手が映画俳優だもの。だまってカメラを向ければ、こっち向いて笑った。少し、じっとしてろよっていうぐらいに演技をしていた。だけど、海外のアーティストは、ポーズを求めると嫌がるから、めったにそういうことはいわない。」

日本の俳優は何も支持しなくても勝手にポーズを取るのに、海外アーティストがポーズを取ることを求めると嫌がったというエピソードは面白いですね。自然体を取って欲しかったのでしょう。

「レコーディング作業中に話しかけたり、そばに行ってフラッシュをたいたりしたら、『はい、それじゃあ、どうも、ありがとう』と丁重に追い返されてしまう。向こうのやつらは『このやろう』なんてことは言わない。星加さんも僕も、こういう仕事をずっとしていたから、ビートルズのときも、そこはうまくやったと思うね。」

レコーディングは、ミュージシャンが全神経を集中して取り組む仕事ですから、その最中に写真を撮られるのは嫌だろうと想像はつきます。長谷部は、その辺りのミュージシャンとの間合いのとり方が抜群にうまかったんでしょう。

 

 

3 4度目の取材

(1)「The Fool On The Hill」を作曲中だった

「The Fool On The Hill」を作曲中のビートルズ

1967年9月、長谷部は、ミュージックライフの編集長となっていた星加と4度目のビートルズ取材のために渡英しました。取材場所に行ってみると、ビートルズは、「The Fool On The Hill 」を作曲している最中でした。9月25日のことでした。

長谷部は、こう語っています。「行ったら、ポール・マッカートニージョン・レノンと相談しながら試行錯誤しているところだった。そこは一切、写真を撮らなかった。ただ、見ていただけ。すみの方にいたジョージ・ハリスンリンゴ・スターとちょっと話したりしながらね。」

「休憩時間になって、やっと、そばに寄って、写真を撮った。あの写真にお茶が写っているのは、あれが休憩時間だったから。さっき言ったように、ちょっとでも何か支障のあるようなことをすると、『はい、お帰りください』だ。」

「でも、僕らはうまくやったと思う。星加さんと『今は、そばに行かない方がいい』『インタビュー時間まで待とう』などと、いろいろ相談して。あの日、(取材は)15分間だけ、なんて言われていたけど、あの場に1時間以上いたな。」

ジョンとポールがあの名曲を一生懸命作っているところだったんですね。さすがにそんなところを撮影したりしたら、たちまち「邪魔だから帰れ」と言われたでしょう。でも、上手く距離を取ったことで、貴重な瞬間を写真に残すことができました。

(2)オノ・ヨーコが初めてスタジオに現れた

初めてスタジオに現れたヨーコ

その後、ビートルズの仕事中の写真が多数出版され、曲のリハーサルやインタビューも記録されました。また、オノ・ヨーコが参加した最初のビートルズのレコーディング・セッションであると考えられています。

その日、彼女は、将来の夫となるジョンと話しているところを写真に残されています。彼女が訪れたのは偶然ですが、長谷部がその貴重な瞬間を撮影できたのは幸運だったといえるでしょう。

(参照文献)ザ・サンケイ・ニュース、ミュージック・ライフ・クラブ

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