★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズより有名だったカメラマン(421)

ビートルズが初めて新聞紙面を飾った写真

1 デビュー直前のビートルズの写真でブレイクした

若き日のテリー・オニール

テリー・オニールは、1960年代のビートルズの全盛期を象徴する写真を数多く撮影した、アイルランド人を両親に持つイギリス出身のカメラマンです。オニールは、バンドの率直で親密な瞬間を捉える能力で知られ、彼の写真は、文化的アイコンとしてのビートルズのイメージを定着させるのに貢献しました。ただ、ビートルズとオニールの関係は、相互に信頼し尊敬し合ったプロフェッショナルとしてのものであり、友人として深く付き合うことはありませんでした。

ロンドンの新人カメラマンだったオニールがビートルズを撮影したのは、1962年の秋、リヴァプール出身の若いバンドがデビューシングルをリリースしようとしているまさにその時でした。彼らのポートレートを撮影するためにイギリスのタブロイド紙である「デイリー・スケッチ」紙の新人カメラマンとして働いていたオニールは、新進気鋭のバンドの写真を撮るように指示されました。

2 記念すべきデビュー写真を撮影した

(1)スタジオの外へ連れ出した

1963年7月1日、アビイ・ロード・スタジオ

オニールは、こう語っています。「新聞社は、若いミュージシャンが表紙を飾れば、その新聞がとんでもない早さで売れるということにすぐに気がついた。ある日、編集長から『アビイ・ロードで新人のバンドがレコーディングしているから、行って写真を撮ってきてくれ』と言われた。そのバンドがビートルズだったんだ。」

「スタジオに行くと、僕より数歳若い4人の若者が『Please  Please Me』をレコーディングしていた。スタジオの照明が気に入らなかったので、『もっといい光が当たるように裏へ出よう』と言ったんだ。ギターを持ってくるように頼んだから、彼らは、ミュージシャンらしくみえた。リンゴは、シンバルを握っただけだった」

ジョンとジョージはギターをポールはベースを構え、リンゴは、シンバルを高く掲げています。これが、メジャーデビューする直前の彼らを大きく取り上げた最初の写真です。オニールがスタジオを出るときにビートルズに楽器を持たせたことは、大正解だったと思います。これならスタジオの外で撮影しても、彼らがロックンロールバンドであることが一目でわかりますから。

(2)あっという間に売れっ子のカメラマンに

オニールは、こう語っています。「この写真は、全国紙に掲載されたビートルズの最も初期のポートレイトだ」この記念すべきデビュー写真が掲載された新聞はあっという間に売り切れました。「それからしばらくして、アンドリュー・ローグ・オールダムという若い子が私に電話をかけてきて、『あなたがビートルズにしたようなことをうちのバンドにもしてくれませんか』と頼んできた。そのバンドがローリング・ストーンズになったんだ」ストーンズのマネージャーの目には、オニールがまるで「新人発掘マシン」であるかのように映ったのかもしれません。ここからカメラマンとしての彼の評価は、うなぎ登りに上がりました。

この写真が公開されてから数年後、オニールは、自分の写真が「スケッチ」に掲載されたときの世間の反応にまだ驚いていました。彼は、スウィンギング・シックスティーズ(ロンドンから発祥した60年代を代表する若者文化)の代表者の一人として、ビートルズローリング・ストーンズフランク・シナトラエヴァ・ガードナーポール・ニューマンリー・マーヴィンモハメド・アリエリザベス・テイラーブリジット・バルドーデヴィッド・ボウイなど、60年代、70年代の有名人たちと親交を深め、写真を撮り続けました。

 

 

3 キャヴァーン時代からビートルズを知っていた

(1)キャヴァーンを経営していた

ビートルズが出演していた当時のキャヴァーン・クラブ

デビュー直前のビートルズの写真を撮影したというと、オニールは、ビートルズと初対面だったように思われそうですが、実は1957年、彼らがまだ「クオリーメン」を名乗っていた頃に出会っていたのです。オニールは、当時ビール会社が所有していたリヴァプールの様々なクラブの経営を手伝っていました。

彼の主な仕事はマネージャーでしたが、その立派な体格とリヴァプール訛りが強かったことから「ビッグ・スカウス(でっかいリヴァプール訛り)」というニックネームをつけられていました。その名が示す通り経営者であるとともにクラブの用心棒でもありました。当時のリヴァプールのクラブでは客同士のケンカが絶えず、それを収めるために彼のような腕っぷしの強いスタッフが必要だったのです。クラブの用心棒が後に一流のプロカメラマンになったというのも面白いエピソードですね。

(2)若者はみんな尖っていた

オニールがキャヴァーン・クラブで初めて知ったグループには、ジョン、ポール、ジョージの3人がいましたが、ベーシストとなるスチュアート・サトクリフはまだ参加していませんでした。つまり、オニールは、スチュが参加する前のビートルズの頃から彼らを知っていたのです。というより、彼は、ビートルズが来るよりずっと前からキャヴァーンを経営していて、彼らの方が新参者だったのです。

オニールは、こう語っています。「私は、キャヴァーンをジャズクラブとして運営していた。ジャズがすたれてくると、スキッフルがやってきた。やがて、スキッフルがすたれるとクラブは新しい音楽を迎え入れる準備ができていた」そう、次に来たのがロックンロールです。

「海沿いの町のリヴァプールはとても貧しかった。若者は、みんな肩身の狭い思いをしているようだった。夜のバカ騒ぎはいつものことだった。女と寝るかケンカをするか、どっちが先でもよかった」後にビートルたちが口をそろえて「リヴァプールで生き延びるだけでも大変だった」と語ったのは、こういった当時の荒れた状況を良く表しています。

 

 

4 キャヴァーンは血まみれの地下室

(1)ひどい環境だった

ART and ARCHITECTURE, mainly: Liverpool, The Cavern Club and the Beatles

「キャヴァーンは血まみれの地下室だった」とオニールは簡潔に語っています。酒を売っていない小さく薄暗いクラブには、幅2.5メートルの狭い入口しかありませんでした。トイレもないため、客は路地を渡って近くのバーのトイレを使うか、あるいは路地を使うのが普通でした。

クラブには換気口もありませんでした。「結露がひどくて、壁がぐちゃぐちゃだった。壁に寄りかかると、シャツが真っ黒になった。女の子たちは靴を脱いで客席の脇で踊っていたのだが、踊った後の靴下はいつも真っ黒だった。」

(2)ビートルズが登場

このような光景の中に、後にビートルズとなるグループが登場しました。「ジョンは、僕と似ていて生意気だった。ポールは、可愛らしかった。他にもバンドに入ったり出たりしていたメンバーがいた。」

「画家であるスチュアートが、まったくメンバーとしてハマっていなかった。彼は、ギタリストとしても優秀だったんだけど、演奏している姿を客に見せたくなかったんだ」とオニールは語っています。スチュはベーシストですし、演奏のスキルもあまり高くはなかったので、この辺りは、オニールが事実を誤認しているところがあります。

 

 

5 「私はビートルズより有名だった」

(1)ビートルズより有名なサッカー選手だった

オニールとビートルズには皮肉な巡り合わせがあります。オニールは、有名なリヴァプールフットボール・クラブの傘下にあるチームでユース選手として活躍していました。そのため、ファンは、キャヴァーンの入口でオニールの写真を撮ろうと寄ってきて、その後ろで活動している無名のバンドは無視しました。

「私の方が彼らより有名だったんだ」とオニールは、こともなげに語っています。「もし、彼らが成功するとわかっていたら、私は、彼らのマネージャーになっていただろう」

リヴァプールは、歴史のあるクラブチームがあるほどサッカーが盛んな都市でしたから、そこで活躍していたのなら地元の有名人であり、将来を期待されていたのでしょう。しかし、プロになるのは無理だと判断したんでしょうね。

(2)12か月で見向きもされなくなるだろう

ビートルズは、成功した後も名声がずっと続くとは確信していませんでした。「ビートルズは皆、12か月で見向きもされなくなると思っていた」とオニールは振り返っています。「イギリスで成功したアーティストは、同じようにアメリカでも成功したいと思っていた。ロニー・ドネガンやクリフ・リチャーズは、ビートルズより一足先にアメリカでデビューしたが成功しなかった。だから、ビートルズは、その時が来るまでお互いの肩に手をかけてじっとチャンスを待っていたんだ。」

この言葉は、ポールが「アメリカでチャート1位を取るまでアメリカには行かない」と言っていた言葉と符合します。それまでは、イギリスのアーティストが国内で成功しても、アメリカでは成功しなかったのです。

 

 

6 ビートルズの成功に誰が気づいたのか?

テリー・オニール(2013年)

では、当時無名だったビートルズが後にスーパースターになるだろうと誰も予想しなかったのでしょうか?「オニールや他の人々は、この若者たちがポピュラー音楽の世界を作り変えることになると気づかなかったのか」という記者の質問にオニールは「全然わからなかったよ」と笑いながら答えました。「ここだけの話、私は、サーチャーズの方が好きだった。彼らの方がいいグループだと思っていたんだ」

どうやらビートルズの才能を見抜いていたのは、ブライアンだけだったようです。オニールがビートルズのマネージャーにならなかったことは、彼らにとっても幸いだったといえるでしょう。

(参照文献)アイリッシュ・イグザミナー、ブーマー

(続く)

この記事を気に入っていただけたら、下のボタンのクリックをお願いします。

にほんブログ村 音楽ブログ ビートルズへ
にほんブログ村

下の「読者になる」ボタンをクリックしていただくと、新着記事をお届けできます。