1 「With The Beatles」のジャケットで衝撃を与えた
(1)ジャケットをアートにした
ビートルズを撮影したカメラマンは数多くいますが、ロバート・フリーマンは絶対に外せません。なぜなら、彼は、ビートルズのアルバムジャケットに初めて芸術性を持たせたカメラマンだからです。フリーマンは、アルバム「With The Beatles」で、あえてモノクロでビートルズの顔が半分影になっている「ハーフ・シャドウ」のジャケット写真を撮影し、それを手に取った人々に鮮烈なインパクトを与えました。
もっとも、このアイディア自体は彼のものではなく、ビートルズが持ち込んだものでした。彼らは、ハンブルク巡業時代にドイツ人カメラマンのアストリッド・キルヒャーと知り合い、彼女が使っていたアーティスティックなテクニックに感動し、ぜひこれをジャケットに使いたいと思っていたのです。
(2)EMIは反対した
しかし、EMIは、反対しました。レコードのジャケットは既にカラーが主流になっており、ミュージシャン、特にアイドルは、カメラ目線で笑顔を浮かべポーズをとるというのがお決まりだったからです。それをわざわざモノクロにして、しかも彼らには笑顔もなく、まるで暗闇の中からヌッと現れた不審者のような佇まいを漂わせるという、当時としては考えられない異色な写真でした。しかし、この奇抜なアイデアこそがアルバムジャケットも単にレコードを包装するものではなくアートであり、作品の一部を形成していることを証明したのです。
ロバート・フリーマンは、1936年12月5日生まれで、1959年にケンブリッジ大学を卒業後、ロンドンのサンデー・タイムズ紙などのフォトジャーナリストとなりました。そして、ジャズ界の巨人であるジョン・コルトレーンやディジー・ガレスピーなどのポートレートを撮影しました。ブライアンは、ビートルズのセカンドアルバムのジャケット写真を撮影するカメラマンを探していました。フリーマンがブライアンに自分が撮影した写真の一部を送ったところ、ビートルズがそれを気に入ったのです。
2 ホテルで急いで撮影した
(1)スタジオで撮影する時間がなかった
1963年8月、ビートルズは、イギリスのボーンマスでライヴを行っていました。彼らの下にプロデューサーのジョージ・マーティンから、新しいアルバムのジャケットに使う写真が必要だとの電話がありました。マネージャーのブライアン・エプスタインは、ロバート・フリーマンに写真を撮影するよう依頼しました。
翌日、ボーンマスのホテルのダイニングルームで、フリーマンは、ビートルズのメンバーをモノクロのポートレートに収めました。その写真は、彼らがただのミュージシャンではないという強烈なイメージを見た者の目に焼き付けました。しかし、いくら彼らの人気に火がついて忙しくなっていたとはいえ、大事なアルバムのジャケット写真をスタジオではなくホテルでそれも大急ぎで撮影するとは、現代では信じられない仕事ぶりです。
(2)メイクも照明もない
フリーマンは、2003年に出版した著書「The Beatles: A Private View」で次のように書いています。「この写真は、急いで撮影する必要があったので、私は、ホテルで即席のスタジオを作らなければならなかった」「窓から広く横からの光が入り、深緑色のカーテンを彼らの後ろに引いて暗い背景を作ることができた。彼らは、真昼間に黒いポロネックのセーターを着て降りてきた。黒っぽい服を着て、モノクロで撮影するのは自然なことだと思う。統一感がある。メイクも美容師もスタイリストもいない、僕とビートルズとカメラだけだ」
照明もメイクもなく、衣装も黒一色のハイネックのセーターだけ…しかし、超一流のアーティストとカメラマンのコラボは、そんなハンデを跳ね除け素晴らしい作品を世に送り出しました。
3 1時間で数枚撮影しただけ
(1)合成ではない
1963年の英国盤「With the Beatles」、1964年の米国盤「Meet the Beatles」に使用された写真は、メンバー4人が笑顔を見せずにカメラを直視しているものでした。ダイニングルームの窓からの光で顔の半分が影になっています。アルバムジャケットの正方形に近い形に合わせて撮影する必要があるため、フリーマンは、リンゴに少し身をかがめてもらい、その後ろに他の3人が立ちました。ポールは、後にこう語っています。「右から来る自然光の強い光源を使うことで、彼は、とてもムーディーな写真を撮ったんだ。しかし、わずか1時間しかかからなかった。彼は、座って2、3枚の写真を撮影しただけで終わりだった」
なんとたった1時間で数枚撮影しただけとは。いくら時間がなかったとはいえ、普通は何十枚も撮影し、その中からベストショットを選びます。それに当時はフィルムカメラですから、現像して印画紙に焼き付ける必要があり、現在のデジタルカメラのようにその場で画像の確認はできません。フリーマンは、よほど仕上がりに自信があったのでしょうが、それにしても大胆です。
このポートレートは、あまりに4人の画像がシャープで位置も正確に捉えているので、多くの人は、フリーマンが4枚の別々の写真を合成して作成したと思っています。しかし、実際には4人のメンバー全員が無修正で同時に撮影されたのです。合成でなかったことは、同じ時に撮影された上の写真が証明しています。
(2)「ブリティッシュ・インヴェイジョン」の始まり
「あの写真を忘れることはないのだろうか?」ワシントンを拠点とするカメラマンのクリス・マレーは、インタヴューでこう語っています。「『ブリティッシュ・インヴェイジョン』の始まりを告げるものだった。その音楽の衝撃を初めて聴き、それからロバート・フリーマンが撮影したビートルズのポートレートを見る。それは魔法のようだった」
ブリティッシュ・インヴェイジョンとは、「イギリスの侵略」すなわち、1960年代にビートルズを始めとするイギリスの文化が世界を席巻したことを指します。ビートルズは音楽だけでなく、アルバムジャケットでも世間をあっと言わせたのです。1963年から1965年までフリーマンは、ビートルズと幅広く仕事をし、英国で発売された「A Hard Day's Night」「Beatles for Sale」「Help!」「Rubber Soul」のジャケットを撮影しました。
4 「Rubber Soul」のジャケットは偶然の産物だった!
「Rubber Soul」のジャケットでは、ジョンを中心にメンバーがカメラを見下ろしているようなアングルになっています。あの少し歪んだカラーイメージは、実は、偶然の産物だったのです。
「アルバムジャケットは、僕らの分岐のもう一つの例だ…引き伸ばされた写真。これは、実は、ちょっとした刺激的な偶然の出来事のひとつだった。写真家のロバート・フリーマンが、ウェイブリッジにあるジョンの家で写真を撮った。僕らは、新しい衣装(ポロネック)を着て、4人でポーズをとったストレートなポートレート写真を撮ったんだ。」
「ロンドンではロバートがスライドを見せてくれた。アルバムカヴァーの大きさの厚紙を用意して、そこに写真を正確に投影して、アルバムカヴァーとしてどう見えるかを見せてくれた。僕らが写真を選んだところで、写真が投影されたカードが少し後ろに倒れ、写真が伸びてしまった。僕らは「これだ!『Rubber Soul』だ!おいおい!そんな風にできるのか』って騒いだ。すると彼は、『ああ、そんな風に印刷できるよ』と答えた。それで終わりだった」*1
「アルバム・ジャケットで僕らの顔が伸びたのも良かった。『Rubber Soul』は、僕らが本格的なマリファナ常用者になった最初の作品だったんだ」*2この頃になるとビートルズは、ボブ・ディランに教えられたマリファナをすっかり常用するようになっていました。ジョージは、マリファナを摂取した時のようなサイケデリックなイメージになったと感じたのでしょう。
写真を投影するために立てかけた紙が偶然パタンと倒れて、あのジャケットが生まれたとは面白いですね。ビートルズもフリーマンも「こっちの方が面白い」とこの偶然に喜んで、あえて歪んだ画像を採用しました。それが大正解だったことは、元々撮影された画像と比較してみれば一目瞭然でしょう。ビートルズは、音楽だけでなくジャケットでも新たな実験をしたのです。
フリーマンは、ビートルズが主演した2本の映画「A Hard Day's Night」と「Help!」のエンドクレジットをデザインしました。さらに、ジョンの著書2冊の写真とデザインも手がけました。その後、フリーマンは、ビートルズとの時間を綴った2冊の写真集を出版しました。
(参照文献)ザ・シドニー・モーニング・ヘラルド
(追記)
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