1 貴重だったポートレート写真
(1)ネットが存在しない時代
ビートルズはロックバンドですから、彼らの武器は音楽であり、レコード、ラジオなどで聴けます。しかし、それらだけでは、彼らの姿を見ることはできません。そのために必要となるツールが写真です。現代のようにネットで簡単に画像や動画を目にできる時代と違って、1960年代ではレコードのジャケット写真や雑誌、新聞などが貴重な情報源でした。動画全盛の現代以上に、彼らの姿を撮影した写真が重要な役割を果たすことになります。
(2)写真がなければビジュアルがわからない
ファンにとって彼らのビジュアルに直接コンタクトできるのはコンサートですが、スーパースターとなった彼らのチケットを手に入れるのは至難の技でした。そういった意味でも、彼らの姿を一般大衆に紹介するために写真は貴重なツールだったのです。
中でも看板ともいえるレコードのジャケット写真は大変重要でした。なぜならそれは、ファンが彼らにスーパースターとしてのイメージを抱き、レコードの内容を想像させてくれるアイテムだからです。当然ジャケット写真を撮影する写真家には相当な実力が求められました。今回は、彼らのレコードのジャケットやポートレートを撮影してきた写真家たちについてお話しします。
2 アストリッド・キルヒャー
ドイツ人のアストリッド・キルヒャーは、メジャーデビュー前にドイツのハンブルクで巡業していた頃の「アーリー・ビートルズ」を撮影した写真家として世界的に有名です。この時代の彼らの写真は他にもありますが、プロカメラマンである彼女が撮影した写真は、若くて荒々しいけれど、絶対にスーパースターになってやるという燃えたぎる野心を内に秘めた彼らを鮮明に描き出していて、その歴史的価値は言うに及ばず芸術的価値も高く評価されています。
彼女については、すでに以前の記事で触れています(アーリー・ビートルズのイメージを確立させたアストリッド・キルヒャーを讃える(271)以下の記事)のでそちらをご覧ください。
3 アンガス・マクビーン
(1)「Love Me Do」のジャケット
アンガス・マクビーン(1904-1990)は、ビートルズのファーストシングル「Love Me Do」の写真を撮影した写真家です(ただ、資料を探したのですがそれを明確に裏付けるものが見当たりませんでした)。マクビーンは、イギリスの写真家で、著名人のポートレート写真や演劇を撮影した作品で知られています。1930年代に写真家としてのキャリアをスタートさせ、当初は演劇界で俳優や舞台作品の撮影に携わりました。
その後、ビートルズ、マレーネ・ディートリッヒ、ヴィヴィアン・リーなど、有名人のシュールで高度なスタイルの肖像写真で知られるようになりました。マクビーンの作品の特徴は、珍しい小道具、セット、衣装を使い、照明や構図を巧みに操ることです。彼の写真は、美術界に多大な影響を与え、その創造性と独創性で今日も称賛され続けています。
(2)「Please Please Me」のジャケット
ビートルズのファーストアルバム「Please Please Me」のジャケットについて、マーティンはあるアイデアを描いていましたが実現しませんでした。「私は、ロンドン動物園の仲間と知り合いで、ビートルズが昆虫館の外で写真を撮ったら素晴らしいだろうと思った。しかし、動物園の連中は『ロンドン動物園協会の趣旨に合わない。そんな写真は許可しない』と実に堅苦しいことを言って拒否され実現しなかった。きっと、彼らは今頃、後悔しているだろうね。」*1
ビートルズのファーストアルバムの背景に登場するなんて夢みたいな話ですから、ビートルズがスーパースターになった後なら二つ返事で許可したでしょう。マーティンの言葉を借りるまでもなく、動物園の関係者が大いに後悔したであろうことは容易に想像できます。
他にも、本社の外にあるらせん階段でビートルズを撮った写真や、アビイ・ロードスタジオの外の階段から飛び降りながら足を蹴る写真などが検討されましたが、いずれも採用されませんでした。ポールもいくつかのジャケットのアイデアを描いていましたが、いずれも却下されました。
(3)ユニークなデザイン
そこでマクビーンにオファーしたところ、もうすでにレジェンド写真家となっていたにもかかわらず、新人ミュージシャンのジャケット写真の撮影を快諾してすぐに駆け付けてくれました。これは記録に残されています。ところで、この頃のレコードのジャケットといえば、上のジェリー&ザ・ペースメーカーズのように、ミュージシャンが笑顔でカメラに向かってポーズを取るというのがお決まりでした。
ファーストシングル「Love Me Do」のジャケット写真は、笑顔こそないもののメンバーがカメラ目線でポーズを取るという一般的なスタイルを採っています。しかし、そのようなありきたりなものではなく、ビートルズがEMI本社のビルの階段から、笑顔で階下のファインダーを見下ろしているという非常にユニークな構図になりました。
結果的には、これが一番良かったのかもしれません。既にこの時点でビートルズは、ジャケットもアートの一つであるということをはっきりさせたのです。もっとも、アイデア自体は、当時のジャケット写真にはなかったシュールな構図であったことからマクビーンの発想でしょう。ただ、彼がこういう大胆な構図を描いていいんだということを暗に教えてくれたのかもしれません。
撮影する時間もあまりなかったので、EMIの本社ビルで急いで撮影しました。一流のプロは、そんな状況でも一流の仕事ができるんですね。「音楽と同じように、大急ぎでやったんだ。その後、ビートルズ自身のクリエイティヴィティが前面に押し出されるようになるんだけどね」*2この言葉は、セカンドアルバム「With the Beatles」のジャケット写真が裏付けています。
4 ボー・トレンター
ボー・トレンター(1938-2013)は、1960 年代にスウェーデンで最も有名な写真家の 1人でした。彼のカメラは、当時の主要なスウェーデン・アーティストを写真に収めていました。しかし、彼が最も有名になったのは、ビートルズが1963年秋に初めてスウェーデンを訪れたときに撮影した写真です。
しかし、トレンターは、ビートルズよりもジャズのファンであったため、彼らを撮影することにそれほど感銘を受けたわけでもなく、彼にとっては仕事の一つにすぎませんでした。彼は、こう語っています。「当時、ビートルズは特に有名ではなかったが、振り返ってみると、その経験に参加できたことはもちろん楽しいことだ。」この頃のビートルズは、ようやくイギリスでブレイクしたところでしたから、スウェーデン人の彼が知らなかったのも無理はありません。彼が撮影したビートルズの写真で最も有名なのは下に掲げた1枚でしょう。
5 ノーマン・パーキンソン
ノーマン・パーキンソン(1913-1990)は、ファッション写真にスタイリッシュなメッセージ性を持たせることで新時代を築いた人物として広く知られています。彼は、1930年代のポートレート写真がどちらかといえば堅苦しい人物像を撮影するのが当たり前であった伝統を非難しました。当時の状況を「女の子は皆、膝をボルトで固定していた」と皮肉っています。つまり、当時の写真家たちは、モデルに決まりきったポーズをとらせることが当たり前だったんですね。
1931年にこの業界に入ったパーキンソンは、当時の保守主義に反発してイギリスで最も美しい女性たちを、楽しみながら大胆にそして気まぐれな設定で撮影し、後輩の写真家たちに引き継ぐ道を切り開きました。「私は、人々が見たいと思うように、そして運が良ければ少し良く見えるようにするのが好きなんだ」と彼は語っていました。パーキンソンのお気に入りのモデルで、最も頻繁に登場したのが、40年来の妻となった女優で作家のウェンダ・ロジャーソンです。
1963年9月12日の朝、パーキンソンは、ビートルズを撮影しました。その年の3月に彼らは「Please Please Me」をリリースし、イギリスのメロディ・メーカー誌のチャートで1位を30週連続記録したのです。確かに、パーキンソンの言葉通り、彼は、ビートルズを気ままに撮影し、彼らは、とてもユーモラスでユニークな存在であることを見事に表現しています。
イギリスで最も有名な写真家としてすでに名声を馳せていたパーキンソンは、この新進気鋭である最高のバンドと仕事をしました。鋭い洞察力をもった彼は、ビートルズの壮大なキャリアの始まりを的確に捉えています。彼らの創造性は、膨大なビートルズのカタログの中でも重要なものとなった写真から明らかです。また、何気ない彼らの貴重な姿も数多く撮影しました。
まだまだ数多くの写真家がビートルズを撮影しましたが、次回以降でご紹介します。
(参照文献)ロックショット、インデペンデント
(追記)
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*1:ジョージ・マーティン「ザ・コンプリート・ビートルズ・レコーディング・セッションズ」(マーク・ルーイスン)
*2:ジョージ・マーティン「ザ・メイキング・オヴ・サージェント・ペパー」