★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

アストリッドがビートルズにもたらしたモップトップ・ヘア(272)

Obituary: Astrid Kirchherr, stylish photographer who remade the ...

1 生い立ち

(1)ハンブルクで生まれる

最初の写真は、クラウス・フォアマンとスチュアート・サトクリフに囲まれたアストリッドですが、何とスチュアートはへそ出しルックです(^_^;)1960年ですよ?時代を先取りしてましたね~。

アストリッド・キルヒャーは、1938年5月20日ハンブルクで生まれ、アルトナ地区で母親のニエルサ・キルヒャーに育てられました。学校を卒業後、ハンブルクのモード・テキスタイル・グラフィク・ウント・ヴェルビュンク専門学校に入学しました。

ファッションデザインを勉強するつもりでしたが、モノクロ写真を撮影する才能があることに目覚めました。カラー写真もすでに開発されていましたが、モノクロ写真が当時はまだ主流でした。それに、彼女自身、モノクロ写真に魅力を感じていたんです。学校を卒業後、アシスタントとして雇うと約束してくれていた写真の家庭教師ラインハルト・ウルフの下で1959年から1963年まで働きました。

(2)学生時代

The Counterculture Movement in Society and Art | Widewalls

1950年代後半、彼女は、美術学校の友人であるクラウス・フォアマンやユルゲン・フォルマーと一緒に、ヨーロッパの実存主義運動に参加するようになりました。ジョンが彼らに付けたニックネームは「流浪者」でした。

彼女は、1995年にBBCラジオのマージーサイドでこう語っています。「当時の私たちは、まだ子どもで黒い服を着て不機嫌そうに歩き回るのが哲学だって思っていたの。もちろん、ジャン・ポール・サルトル(フランスの実存主義哲学の大家)が誰かは知っていたわ。フランスの芸術家や作家からインスピレーションを受けていたの。イギリスは遠かったし、アメリカは問題外だった。フランスが一番近かったのよ。だから、私たちはフランスから色んな情報を得て、フランスの実存主義者のような格好をしてみた。私たちは自由になりたかったし、違った存在になりたかったし、今でいうクールな存在になろうとしていた。」

実存主義は、第二次大戦後、フランスのサルトルらによって広められ、1960年代の学生運動の思想的背景になったともいわれています。おそらく、アストリッドも学生の間で流行していた哲学に思想的に傾倒したというよりも、ファッション的な感覚で受け入れていたのではないかと思います。

1960年代初頭、多くの若者がサルトルに熱中したのは、「人生には外部から与えられた意味はなく、自分の意志で生き方を決めなければならない。」という思想が、大人に抑圧されていると感じていた若者たちの共感を呼んだからでしょう。

 

2 ビートルズとの出会い

(1)フォアマンがきっかけ

Genesis Publications - The Beatles - Photos by Astrid Kirchherr ...

アストリッドは、クラウス・フォアマンと交際を始めました。1960年のある日、フォアマンは、彼女と口論になった後、むしゃくしゃしてハンブルクのザンクト・パウリ地区にある悪名高いレーバーバーン地区をぶらついていました。そこで彼は、カイザーケラー・クラブから聴こえてくる音楽に惹き付けられ、店内に入っていきました。

フォアマンが入店して席につくと、ちょうどリヴァプールから来たグループ、ロリー・ストーム・&・ザ・ハリケーンズが演奏していて、ドラマーのリンゴ・スター(当時、彼は、ビートルズではなくこのグループに所属していました。)がメインでパフォーマンスをしていたところでした。

彼は、その後に続くバンド、シルヴァー・ビートルズの演奏を聴いて感銘を受け、次の夜にアストリッドとフォルマーを誘いました。アストリッドは、初めて見るロックンロールのライヴの力強さに心を打たれました。

それ以来、この三人は、毎晩カイザーケラーを訪れ、シルヴァー・ビートルズサウンドに酔いしれました。ウールのセーターにジーンズ、スエードのコートという美術学校の学生服に身を包んだ彼らは、クラブの荒れた客層の中にあっては場違いのように見えました。世界中から集まってきた、あまりガラの良くない船乗りが大勢いましたからね(^_^;)

(2)ビートルズとの交流

How Photographer Astrid Kirchherr Inspired the Beatles' Famous Mop ...

アストリッドは、こう語っています。「私の頭の中は、まるでメリーゴーランドみたいで、彼らの姿は本当に驚くべきものだった。私の人生は、数分で変わってしまったわ。私は、彼らと一緒にいたい、彼らを知りたいと思っていた。」

アストリッドが人生で初めて出会ったロックンロール・バンド、しかも、それが下積み時代のビートルズだったのです。彼女は、たちまち彼らの魅力にとりつかれ、彼らの写真を数多く撮影することになります。

逆に、グループのベーシストだったスチュアート・サトクリフもこの三人に魅了されました。後に彼は、彼らを「本物のボヘミアン」と表現し、彼らから目が離せなかったと述懐しました。ある夜の休憩時間に彼は、ビートルズと話そうとしたのですが、彼らは、その日すでにクラブを後にしていました。

 

3 アストリッドとスチュ、交際を始める

The Beatles first bassist Stuart Sutcliffe with girlfriend Astrid ...

(1)スチュと結ばれる

やがて、ビートルズとアストリッド、フォアマンは話をするようになりました。この頃にはフォアマンとアストリッドとの関係はほとんどプラトニックなものになっていて、彼女は、すぐにスチュアートと付き合い始めました。写真を見るとフォアマンも相当なイケメンですけどね(^_^;)アストリッドは、スチュ(スチュアートの愛称)により魅力を感じたのです。彼女は、ビートルズの写真を撮影したいと申し出ました。最初の撮影は、「デア・ドム」と呼ばれる地元の公園で行われました。

アストリッドは、こう語っています。「ビートルズは、テディ・ボーイ(不良少年)のような服を着ていたわ。ハンブルクでは、見たこともないような先の尖った靴を履いていたの。彼らが私たちの身に着けていた物に魅了されたように、私たちは、彼らのそれに魅了された。とてもタイトなズボンに小さな灰色のジャケット。もちろん、彼らはあまり服は持っていなかったわ。髪をとかしてもみあげを整えていた。」
アストリッドは、どこか謎めいたスチュに惹かれたんですね。フォアマンもかなりのイケメンでしたから、結構面食いだったのかもしれません(笑)

アストリッドは、グループを撮影した最初の本格的な写真家でした。ビートルズの写真を撮ることに信じられないほど興奮していたようで、ハンブルグでのビートルズの写真は、今でも象徴的で、スタイル的にも独特のクオリティーを保っています。写真からも彼女の興奮した荒い息遣いが伝わってきそうですね。

アストリッドキルヒャー、ジョンレノン、スチュアートサトクリフ、1960年

(2)初めての薬物使用

最初の撮影の後、アストリッドは、ピート以外のメンバーをアルトナの実家に連れて行きました。彼女の母親は、ビートルズハンブルグの夜に長時間のステージで演奏を続けられるよう、覚せい剤のプレルディンを手に入れることができました。

当時は、医師の処方箋でしか合法的に入手できませんでしたが、母親は、地元の薬局からグループに配るために手に入れました。本来は食欲抑制剤として使用される神経興奮剤で、当時は合法でしたがその後に使用が禁じられました。

 

4 モップトップ・ヘアへ

(1)ビートルズの代名詞

The Beatles 1963 (With images) | The beatles, Beatles rare ...

アストリッドは、1960年代初頭のビートルズの代名詞ともいえるモップトップヘアのイメージ作りに貢献したことでもよく知られています。ピート以外のメンバーは、すぐに彼らのトレードマークとなるヘアスタイルを取り入れました。

彼女は、こう語っています。「美術学校の友人たちは、みんなあんな風なビートルズヘアで走り回っていたわ。当時、ボーイフレンドだったクラウス・フォアマンもこのヘアスタイルで、スチュアートはとても気に入っていたの。彼は、最初に勇気を出して髪にポマードをつけるのを止めた。私に髪を切ってくれと頼んだのは彼が初めてだったわ。」

以前のブログの記事でも書きましたが、ビートルズのメンバーで最初にモップトップヘアにしたのはスチュでした。彼は、リーゼントが大嫌いだったんです。ドイツの若者たちがみんなモップトップにしているのを見てかっこいいと思い、アストリッドに頼んでカットしてもらいました。

(2)メンバーが次々と

ジョンは、スチュアートが髪をカットした後に参加した最初のギグで、彼の頭を見てのけ反るほど大笑いしたといわれています。しかし、その直後、ジョージもアストリッドに同じようなスタイルで髪を切ってもらいました。

ついに、ジョンとポールも意を決してパリのフォルマーの自宅を訪ねてカットしてもらいました。この時点でビートルズは、彼らの新しいアイデンティティ、まもなく世界的に有名になるモップトップ・ヘアを手に入れたのです。もちろん、それが彼らを象徴するイメージの一つとなるとは、その時点では誰も予想していませんでした。

1960年代、アストリッドが撮影したビートルズの写真は世界中で印刷されました。彼女にはさぞかし多額の報酬が入っただろうと思いきや、彼女が写真の所有者としての権利を主張しなかったために全く入らなかったのです。

彼女はこう語っています。「私は、ビジネスウーマンでもないし、写真を整理整頓もしていないし...ネガの手入れをしたこともなかった。私が写真を撮ったことを証明するにはそれが必要なのよ。」そんなことを一々証明しないといけないもんなんですかね?彼女が撮影したことは明白なのに。

 

(参照文献)THE BEATLES BIBLE

(続く)

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