★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

舞台「BACKBEAT」は素晴らしかった!(号外)

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1 演技も生演奏もこなした!

メジャーデビューする前のいわゆる「アーリー・ビートルズ」を描いた「BACKBEAT」がついに日本でも舞台化されました。今回はこの舞台のレビューです。記憶を頼りに書きますので、セリフなどは必ずしもピッタリ正確とはいえませんが、趣旨を感じ取ってもらえたらと思います。

映画でもなくテレビドラマでもなく、舞台でしかも出演者自身が生演奏するんです。映画やテレビドラマなら演奏シーンだけアテレコにすることも可能です。もちろん、舞台でも、演奏シーンだけアテレコでやるという手法もあり得ますが、それではリアリティーが薄らいでしまいます。

しかし、生演奏で当時のビートルズを再現すのです。演技も演奏も難しいのに、両方こなさなければいけないのって、無茶苦茶ハードルが高いですよね。でも、出演者達は、見事に演じきっていました。

 

2 正にアーリー・ビートルズ

(1)1960年にタイムスリップ

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1960年にタイムスリップしたかのような感覚を覚えました。脚本は石丸さち子ですが、アーリー・ビートルズをよく理解しているな」という印象を受けました。

ジョン・レノン加藤和樹)、スチュアート・サトクリフ戸塚祥太)、アストリッド・キルヒャー(夏子)、この三人に焦点が当てられていました。彼らの人物像がとてもよく描かれていましたし、俳優たちも脚本家の演出によく応えていました。

スチュが無心に絵を描くシーンからスタートします。そこへジョンが登場し、ベースを手渡して自分たちのバンドに加わるように誘います。楽器なんか弾けないとかたくなに断るスチュに、開放弦だけを弾かせてJohnny B Goodを演奏させます。スチュもついにその気になりバンドに加わる決心をします。

アートカレッジの教授であるアーサー・バラード(鈴木壮麻)は、彼の画家としての才能を高く評価していましたが、ジョンにのめり込んでいく彼に危惧を覚え、ジョンとは付き合うなと忠告します。しかし、ジョンの魅力にとりつかれたスチュは、ついにハンブルクへ行くことを決心します。

(2)いざハンブルクへ!

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スチュは、「クオリーメンなんてダサい。僕がもっといいバンド名を考えた。ビートルズだ。」とメンバーに提案します。「虫の名前にビートをかけたダブルミーニングだ。クリケッツみたいに、イカしたバンドはそんな名前をつけるんだ。」とポール・マッカートニー(JUON)、ジョージ・ハリスン辰巳雄大)、ピート・ベスト(上口耕平)らメンバーもそのバンド名を気に入りました。

週20ポンドのギャラに魅力を感じた彼らは、意気揚々とハンブルクへ向かいます。当時ジョージは、まだ17歳で本当は就労できないのですが、18歳と年齢をごまかして参加します。

彼らを雇い入れたのは、インドラクラブのオーナー、ブルーノ・コシュミダー(尾藤イサオ)でした。彼の要求は、「毎日6時間ぶっ通しで演奏しろ」という過酷なものでした。

「6時間だって?冗談だろ?第一、オレたちそんなにレパートリーねえし。」と戸惑うビートルズをコシュミダーは「ゆっくり演奏すればいいさ」と軽くあしらいます。

ビートルズが大人しく演奏していると「そんなんじゃダメだ。マック・ショー、もっとショーを見せろ!ほら、こんな風にギターを弾きながらジャンプしてみるんだ!」それで、彼らはピョンピョン飛び跳ねて観客を自分たちの演奏に引き付けようとします。

観客は、酔っ払った水夫にヤクザ、娼婦達。ステージとはいっても名ばかりの、床に板を引いただけの粗末なものでした。宿は「バンビ・キノ」早い話が映画館のバックステージです。

そんな状況でも、彼らは決して夢を諦めませんでした。彼らの合言葉は「Top of the top」、頂点に登りつめることでした。

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3 演奏はしっかりできていた

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何しろハンブルク時代ですからね。セックスにまつわるかなり際どいシーンやセリフもありました。さすがにここでは書けませんが(^_^;)

ジョージが童貞とおさらばする瞬間をメンバー全員が見届けて、おめでとうと拍手したエピソードが登場します(笑)いやはやよく調べてますね。

くたくたに疲れた彼らに掃除女が、強壮剤を与えます。「これをビールで飲めばいっぺんに元気になるわよ。」ギンギンに回復した彼らは、再びステージへ向かいます。

演奏はしっかりできていました。驚きなのは、ジョージ役の辰巳が、舞台を始める時には全くギターが弾けなかったことです。むしろ、スチュ役の戸塚の方がギターの経験が豊富なんですね。役柄とはいえ俳優とは大変です。

ポール役のJUONは、本来右利きなのに左利きで演奏するんです。しかも、アコギ、エレキ、スチュが脱退した後はベースまで演奏するんです。それもヴォーカルをやりながらですから恐れ入ります。

スチュのベースがうますぎるんですよね(笑)実際の彼は、あんなにうまく弾けなかったんです。でもまあ、これは演出として仕方ないでしょう。演奏された曲は何と20曲!コアなファンでもあまり聴いたことがないレアな曲まで含まれています。

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4 秀逸だったアストリッド

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秀逸だったのはアストリッド役の夏子ですね。ルックス、仕草、言葉遣い、全て1960年当時の彼女はこうだったのではないかと思わせるような完璧な演技でした。美人で聡明で、何より素晴らしい芸術センスを持つアストリッド。彼女は、出会った人の本質を見抜く鋭い感性も備えていました。

恋人のクラウス・フォアマン(西川大貴)に無理やり連れられ、クラブにやってきたアストリッド。しかし、そこでビートルズが演奏するロックンロールの魅力にとりつかれます。

演奏が終わった後で、彼女はジョンに語りかけました。「あなたは何かを失っている。それをロックンロールで埋めているのね。」彼が母親を失った喪失感をロックンロールで埋めようとしていることを見事に見抜いたのです。

そして運命的なスチュとの出会い。二人はたちまち恋に落ちます。

「ジョンはあなたを愛している。あなたの才能を認めているからこそ、逆に辛く当たるのよ。」と鋭く指摘します。ジョンは、スチュの才能を認めながらも、辛辣な言葉を浴びせたりしますが、それはコンプレックスの裏返しだったのです。

彼女は、プロカメラマンとして、ハンブルク時代のビートルズを次々とフィルムに収めました。この写真は、後世に至るまで高く評価されています。

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5 よく調べ上げた

(1)細かいエピソードまで

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ビートルズは、ハンブルクのレコードプロデューサーであるベルト・ケンプフェルトに気に入られ、トニー・シェリダンのバックバンドとして初めてのレコーディングを経験します。曲はもちろん「My Bonnie」。シェリダンは、「バックバンドの音がうるさすぎる」と怒ってスタジオを後にしてしまいます。

彼が怒りっぽい人物だったということは、ファンの間ではよく知られていますが、そんなエピソードもうまく取り込んでいますね。それにその頃のビートルズは、演奏の途中でも気に入らなくなると演奏を止めて、ステージを降りタバコを吸ったりしていました。メンバーが演奏をすっぽかすことも度々ありました。

それにしてもよく知ってるなあ~。相当調べ上げたんでしょうね。

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(2)スチュの死

ハンブルクで実力を認められたビートルズは、カイザーケラークラブを経て、当時ハンブルクではナンバー1だったトップテンクラブに引き抜かれました。しかし、それに腹を立てたコシュミダーは、ジョージが17歳で不法就労していると警察に密告し、その結果、彼らは、イギリスへ強制送還させられてしまいます。

そんなジョージも18歳を迎え、今度は堂々とハンブルクへ行くことができました。この頃には彼らも相当実力をつけ、女の子達の人気もうなぎ上りでした。

再びアストリッドと出会ったスチュ。ここで彼は決断を迫られます。彼女を取るかビートルズを取るか。彼は、アストリッドを取り、ハンブルクに残ることを決断します。

彼は激しい頭痛に苛まれ、ビートルズのファーストシングル「Love Me Do」のレコードをアストリッドから手渡され、彼女の腕の中で息を引き取ります。彼の葬儀に参列したジョンは泣くどころか、天を仰いで大声で笑います。でも、ジョンが一番悲しんで必死でそれを隠そうとしていたことを誰もがよく知っていたのです。

6 ついにメジャーデビュー!

ポールがジョンと二人で作った曲をアコギで弾きながら歌っています。そこへ便座を頭からかぶったジョンが、酔ってフラフラした足取りで登場します。

「ああ、そのくだらない曲か。そいつはこうやるんだよ。pleaseをもう一つ頭につけるんだ。」ジョンに言われるままポールがpleaseを付け加えると、何と初めてのシングルヒットになった「Please Please Me」が誕生したのです。

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キャヴァーンクラブで彼らを見つけたブライアン・エプスタインがマネージャーに就任します。彼は、ビートルズにスーツを着用させ、EMIとの契約にこぎつけます。

しかし、ブライアンからピートは無情にも解雇を告げられます。マーティンから彼のドラムではメジャーデビューは無理だと通告されたのです。メンバーから一言もそんな話はありませんでした。悔しさと悲しさで、彼は、ドラムを叩き続けました。

ドラマーがリンゴに代わると、ちゃんとタムが1個キットに追加されます。こういう細部にまでこだわってくれるのは、コアなファンとして嬉しいですね💖おまけにリンゴが、あの楽しそうに頭を振りながらドラムを叩くというスタイルでした。流石にハイハットを左右にワイパーのように叩くことはしませんでしたが。

そして、プロデューサーのジョージ・マーティンの下でファーストアルバム「Please Please Me」をレコーディングします。マーティンは、「アルバムにするにはもう一曲足りない。」とさらに一曲を演奏するようビートルズに促します。

しかし、この時ジョンは、風邪を引いていて最悪の状態でした。歌えたとしてもあと一曲が限界でした。そこで、最後の体力を振り絞って歌った曲が「Twist and Shout」でした。

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レコーディングを終えて一人になったジョンの下にスチュが現れます。二人は、まるで兄弟であるかのように肩を組みながら、背景へと消えていきます。

舞台挨拶の最後で感極まった私は、思わず「ジョ~ン!」と大声で叫んでしまいました(^_^;)

(続く)

 

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