1 楽譜の読み書きができなかった
(1)ポピュラー音楽では珍しくない
よく知られていることですが、ビートルズは、誰一人として楽譜の読み書きができませんでした。全員労働者階級出身で貧しい生活でしたから、正式な音楽教育を受ける機会がなかったのです。楽譜は、彼らにとってポールがときどき口にする「点描画」のようなものでした。
クラシック音楽では一部の例外を除いて、作曲家も演奏家も楽譜を読み書きできます。しかし、ポピュラー音楽の世界では、ミュージシャンは楽譜を読み書きできなくても作曲や演奏はできます。ボブ・ディラン、ジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトン、テイラー・スウィフトなど偉大なアーティストたちも楽譜の読み書きができません。
そんな彼らが作曲するためには、非常に優れた「耳」を持ち、音程を識別し再現する能力と音楽的な記憶に頼ることになります。ギターかピアノがあれば、それでコードを確かめながら作曲し、演奏できます。今では楽器が演奏できなくてもパソコンで簡単に作曲できます。
(2)思い出せない曲は棄てられた
こういった資質は、レノン=マッカートニーの作曲方法の中心でした。彼らは、当初からすべての新曲について、聴衆をすぐに取り込める「キャッチーさ」があるかどうかをチェックしていました。次のセッションでその曲を思い出せるかが一つのポイントです。もし思い出せなければ、彼らは作業を放棄しました。記憶に残るメロディーだけが、10代のラジオリスナーの冷酷なジュークボックスの審査に生き残ったのです。
ただ、そうはいうものの、名曲であってもずっと記憶できるとは限りません。そして、曲想はいつ浮かぶかわかりません。それを記録できる手段を持たなかったため、放棄されてしまった曲の種は数多くありました。実際、ポールも後にそんな種を自分もジョンも数十曲は持っていたと述懐しています。「彼とジョン・レノンが曲作りを始めた当初はレコーディング機器を持っていなかったと語り、こう説明した。『そして、それを忘れてしまうリスクも常にあった。翌朝になっても思い出せなければ、それは消えてしまう。こうして何十曲も失われていったに違いない』」*1
2 彼らは音楽理論をどれだけ理解していたのか?
(1)ひたすら「耳コピ」した
ビートルズの音楽への取り組みは、現実的な音楽的野心から始まりました。彼らは、自分たちの好きな曲を演奏する方法を学びたかったのです。楽譜を読むことができなかった彼らは、好きな曲を注意深く聴くことに頼りました。いわゆる「耳コピ」ですね。そもそも、当時、彼らの好きな曲の多くには楽譜がなかったのです。
彼らは、耳コピで歌詞、基本的なコード進行、メロディーを理解することができました。ヴォーカル・ハーモニーについては、セミプロのミュージシャンだったポールの父親のジムが教えてくれました。これは大助かりでしたね。おそらく教えてもらわなくてもいずれは習得できたでしょうが、早く習得するのに越したことはありません。
(2)他のミュージシャンと情報を共有した
また、ポピュラー音楽のミュージシャン志望者たちは、コード、歌詞、リズム、メロディー、ギターを弾くパターンなどの詳細を仲間と共有していました。ジョンとポールの最初の出会いのほとんどは、これで占められていました。後にジョージとポールは、ジョンが母親から教わったバンジョーのコードをギターに移調するのを手伝いました。つまり、ミュージシャンは、お互いに情報を共有するという手段があったのです。
教科書やYouTubeのチュートリアルに頼ることなく、多くの音楽的発見は偶然の観察によってなされました。ポールが左利き用にギターの弦を張り直せることを知ったのは、スリム・ホイットマンのコンサートのポスターでした。ホイットマンは、アメリカのカントリーミュージシャンで、右利きなのにあえて左利きのスタイルでギターを弾いた珍しい人でした。彼がポールにそのスタイルを教えてくれたのです。
3 コード進行
(1)コード進行には一定のパターンがある
彼らが楽しんだ音楽の中心的な特徴は、おなじみのコード進行が使われていることでした。幸いなことに彼らが大好きだったロックンロールは、最も基本的な3コードでできていたのです。
コード進行とは、ある決められたルールに従ってコードを順に演奏することです。コード進行には一定のパターンがあり、ランダムに演奏していいものではありません(もっとも、ビートルズは、そのお決まりのパターンを破ることで革命を起こしたのですが)。3つか4つのコードがあれば、何百もの曲を演奏する道具を手に入れることができます。
(2)典型的なパターンからスタートした
曲作りにおいて、ジョンとポールは、最も一般的なコード進行のいくつかに大きく依存していました。例えば、I-V-VI-IVというようにローマ数字で表記します。これは、キーが何であっても関係なく表記できる利点があります。例えば「LET IT BE」は、キーがCですがこの典型的な例であり、C-G-Am-Fといったスタンダードな進行になっています。また、憧れの曲を編曲して、メロディーやコード進行を変更することもありました。「Please Please Me」は、ジョンがロイ・オービソンのスタイルで作曲しようとしたことから始まりました。
この枠組みの中で、ビートルズは、独特のアプローチを展開しました。彼らは、標準的なコード進行を革新的なヴァリエーションを持たせました。曲の途中でキーを変える転調というテクニックも盛んに使いました。しかし、彼らは、初期の段階から独自のスタイルを構築しながらも、まだ60年代半ばまではスタンダードなポピュラー音楽の慣習に基本的には従っていました。コンサートを止めた60年代後半から、従来の音楽理論を無視して自由奔放に音楽を制作したのです。
4 リズムも音階も自由奔放に
ビートルズの楽曲は、初期は4/4拍子が中心でした。同じリズムを何度も繰り返す手法を批判するミュージシャンもいましたが、クラシック音楽の大家でニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の指揮者であったレナード・バーンスタインは、彼らが「刺激的な」ヴァリエーションを取り入れたと指摘しています。例えば、「Good Day Sunshine」のサビは3/4、5/4を3回繰り返す*2という驚きの構成で、明るいメロディーなのに不安に駆られる感じがする曲です。
バーンスタインは、ビートルズの楽曲をミクソリディアン・モード、対位法などといった専門的な音楽用語で解説しています。ミクソリディアン・モードとは、メジャースケールの7番目の音を半音下げた音階で、古代ギリシアの頃から使われていましたが、近代ヨーロッパになって誰も見向きもしなくなっていました。ところが、ビートルズは、「Norwegian Wood」でこれを使いました。ジョンにその知識があったわけではありませんが、天才は、時代を超えて自分の楽曲に使える音階をいとも簡単に見つけてしまったのです。
5 自分の曲に使えるかどうか
ビートルズは、音楽的な実用性に重点を置いていました。つまり、理論がどうのこうのというより、やってみて上手くいくかどうかが判断基準だったのです。ポールが制作した「We Can Work It Out」のミドルエイトをワルツにしたのは、ジョージのアイデアでした。
ビートルズが理論よりも実践を信頼したことは、より複雑なリズムへアプローチしたことにも表れています。リンゴは、「Here Comes The Sun」の「Sun, sun, sun~」の部分で4/7のリズムを叩いてくれというジョージの要求に最初は困惑しました。彼は、こう語っています。「私にアラビア語で話しかけたようなものだ。私は、物理的にそれを行う方法を見つけなければならなかった」そういいながら、彼は、膝の上でリズムを叩き出しました。「私は、7拍子を叩く方法を知っていた」ただ、楽譜にされたものでは3/8,5/8.4/4,2/4,3/8という摩訶不思議な変拍子になっています。
6 名曲の誕生に何の支障もなかった
20億枚近いレコードの売り上げは、楽譜の読み書きができないことが何の支障ももたらさなかったことを明示しています。ビートルズが独学であるがゆえに、音楽の知識を断片的に学んでいったことは非効率的に見えますが、その反面、彼らに臨機応変さと革新性をもたらしました。
彼らは、キー、スケール、コード進行、リズムといった音楽を構成する本質的な概念を暗黙のうちに理解した上で、効果的な方法論を開発したのです。理論的な基礎はそこにありましたが、彼らは、あまり標準的な専門用語を使ってそれを説明しませんでした。というより、説明できなかったのです。ジョンは、彼の曲の音階やコード進行、リズムがいかにユニークで革新的であるかを解説してくれた人が帰った後、「僕は彼が何を言っていたのかわからない」と語りました。天才には理論など意味がなかったのです。
ポールは、かなりベテランになってから音楽理論を学ぼうとしましたが、かえって自分の個性が失われると危惧して止めました。音楽の世界にも勝負の世界と同じように「たられば」はありませんが、もし、ビートルズが正式な音楽教育を受けていたら、数々の名曲は誕生しなかったかもしれません。
(参照文献)ミディアム
(続く)
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