※この記事は、映画「Get Back」の「ネタバレ」を含んでいるので注意してご覧ください。
1 ディック・ジェイムズがスタジオに現れた
(1)版権の実質的な支配者
1969年1月10日、撮影の7日目が始まりました。ビートルズの楽曲の版権を持っている音楽出版社であるノーザン・ソングス社の最大の株主で、同社を実質的に支配しているディック・ジェイムズが、珍しくトゥィッケナム・スタジオに来てポール、リンゴ、ホッグ、ジョンズらと談笑しているシーンが流れます。彼は、ビートルズの楽曲の版権を実質的に支配してはいたものの、彼らのレコーディングやコンサートの現場に来ることはほとんどありませんでした。
若かったジョンとポールを騙すような形で版権を手に入れた彼に対して、ビートルズは、当然のことながら良い感情を持っていませんでした。ジェイムズもそれが分かっていたので、現場に来づらかったのだろうと思います。それに彼は会社のオーナーであり、ビートルズがどんどんヒット曲を出してくれさえすれば、彼が何もしなくても印税収入が入ってきたのです。
彼は、ノーザン・ソングス社が最近買った版権のカタログを撮影の現場で見せていました。数々の名曲がそこに掲載されていて、全部で4000曲はあると豪語しています。その中にはビートルズの楽曲も含まれていました。
ポールは、そのカタログをうつむいてじっと見つめながら、ジェイムズに「これ全部僕らの曲?」と尋ねると、彼は「そう、そう」と機嫌よく応えました。ポールは、自分たちが心血を注いで作った楽曲が他人の物になっているという絶望的な事実を改めて目の前に突きつけられたのです。ジェイムズは、一体何のつもりでそんなものをスタジオに持ち込んだのか、その無神経ぶりには呆れるほかありません。
その間、ポールは、ジェイムズとは目を一切合わせず、何かを言いかけて止め「また今度話そう」とポツリと漏らしました。版権はセンシティヴな問題なので、ここではすべきでないと判断したのでしょう。ただし、彼が「いつか必ず僕らの曲を取り戻すぞ。」という強い信念を抱いていたのは間違いありません。
(2)関係は悪化していた
映画では和やかに談笑しているシーンが流れますが、実は、ジェイムズは、ジョンとポールによってスタジオから追い出されたのです。そこはカメラが回っていなかったのか、撮影していたけれども編集でカットしたのかは分かりません。
デビューして間もない頃は、ビートルズも版権について詳しくなかったので、自分たちがどれほど得られるべき利益を失っているのかを把握していませんでした。しかし、次第にそのカラクリが分かってくると、ジェイムズに対する激しい憤りが沸き起こってきました。
彼らの仲は、ブライアン・エプスタインの死をきっかけに悪化し、1968年頃になるとかなり険悪な間柄になっていました。契約をもっと自分たちに有利になるよう見直したいと何度もジョンとポールが訴えていたにもかかわらず、ジェイムズは、はぐらかしてまともに応えませんでしたから。
(3)様子を探りに来たのか?
ですから、彼としてはあまりスタジオには来たくなかったはずです。どうせ版権の話を持ち出されて、ジョンやポールから辛辣な言葉を浴びせかけられたでしょうから。それなのに、なぜ、彼は、わざわざ足を運んだのでしょうか?
その真意は分かりませんが、ビートルズが解散するのではないかという噂が流れていたので、それとなく彼らの様子を探りに来たというのが実際のところでしょう。それに、1968年頃から目立ち始めた世間からは理解されがたいジョンの種々の活動に危惧の念を抱いていのも事実です。彼は、ビートルズが解散することにより、彼が保有しているノーザン・ソングス社の株価が急落することを恐れていたのです。ですから、もし、噂通り解散する可能性が高いと判断したなら、その前に保有している株式をすべて売り抜けるつもりだったのでしょう。
2 焦ったジェイムズ
(1)アラン・クラインがマネージャーに就任
1969年1月、アラン・クラインがビートルズのビジネスのマネージャーに就任すると、ジェイムズは、それから数日後にノーザン・ソングス社の株式をルー・グレイドが経営するATVに売却することを持ちかけました。それまではむしろ譲渡を拒んでいたのですが、ビートルズの解散が近いと不安を覚えていたことに加え、音楽ビジネス界ではやり手として悪名高いクラインがビートルズのマネージャーに就任したことで、彼の不安は一層かきたてられました。
ジョンとポールは、とにかく自分たちの版権を取り戻したいと切望していましたから、クラインの初仕事としてジェイムズに版権の譲渡を申し入れてくることは確実でした。おそらくジェイムズに売却を決心させたのは、クラインのマネージャー就任だったのでしょう。そして、ジョンとポールがそれぞれ新婚旅行中の3月27日に売買契約が締結されたのです。つまり、ジェイムズは、彼らが不在の間を狙って売り抜けたんですね。
(2)レノン=マッカートニーのものはレノン=マッカートニーに
ジェイムズにしてみれば、ビートルズはあくまでビジネス上のパートナーに過ぎず、株式を手放すことに何の罪悪感もなかったかもしれません。もちろん、売却すること自体は彼の権利ですから何ら違法ではありませんが、それにしてもジョンとポールには、事前に買うかどうか意向を確かめるべきだったでしょう。
彼らは、以前から自分たちの不利な立場を改善したいと何度もジェイムズに申し入れていたのです。ですから、ジェイムズとしては、まず彼らと交渉して、条件はその結果次第というところでしょう。話し合いがつかなければ、第三者に売却することも認められたと思います。
しかし、ジェイムズが彼らの知らないうちに第三者に売り抜けたというのは、違法とは言えないものの、あまりにも信義に反する行為です。だって、彼らのおかげで散々儲けさせてもらったんですからね。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい(マルコ福音書12章13-17節)」という言葉を借用するなら「レノン=マッカートニーのものはレノン=マッカートニーに返しなさい。」というところだと思います。
3 コードや歌詞の間違い
(1)オールディーズの版権も獲得した
そのカタログの中には、ビートルズが下積み時代に盛んに演奏した「Ain't She So Sweet」などのオールディーズもたくさん含まれていました。ホッグが「楽譜買う?」と素朴な疑問を投げかけました。
つまり、誰が楽譜を必要とするかということですね。それに対しジェイムズは、バンドやギタリストなどが買うと応えました。耳コピするのは大変ですからね。
(2)本のコードや歌詞には間違いが多い
ジョンズが「ポップソングの楽譜はコードの間違いが多い。」と言うと、ポールが「歌詞もね。」と同調しました。実際その通りで、出版社によってビートルズの楽曲のコードが違っていることは未だにあります。歌詞はカードに印刷されていますが、コードまでは公開されていません。
オリジナルのコードはもちろん一つですが、コードの種類はたくさんあるので、聴いた人の解釈によって異なることはあり得ます。それにしたがって演奏してみると「あれ、オリジナルの音源とちょっと違うな。」と感じることがしばしばあります。
4 ジェイムズに反発したもう一つの理由
(1)ずっと「ボーイズ」と呼んでいた
ポールが「僕らの曲には間違いはないはずだ。必ず歌詞をつけてるから。」と話すと、ジェイムズは、「特に2人(ボーイズ)の場合は曲を作ってるからね。うちの譜面起こし担当は経験豊富だ。」と応えました。字幕では「2人」の文字に「ボーイズ」とわざわざルビが振ってあります。
この意味が分かる人は、かなりビートルズの歴史に詳しいファンですね。ビートルズとジェイムズが知り合ったのは、彼らがまだ20代前半でブレイクする前でした。その頃から、ジェイムズは、ずっと彼らのことを「ボーイズ(坊やたち)」と呼んでいたのです。
まあ、アイドル時代ならそれでも良かったでしょう。しかし、もはやビートルズは世界的スーパースターであり、いつまでも彼らのことをそう呼んでいたのはいかがなものだったかと思います。ジェイムズがビートルズをそう呼び続けたことも、彼らの神経を逆なでしました。彼らは、「いつまでもオレたちをガキ扱いしやがって」と反発していたのです。
(2)いつまで経っても子ども扱い
ジェイムズにしてみれば「私が育ててやった」という気持ちが強かったのでしょう。実際、ジョンがジェイムズとの交渉の中で「ノーザン・ソングス社がどんぐりから樫の大樹になり、今や庭全体を覆っている。」と主張したのに対し、ジェイムズは「最初のどんぐりを持っていたのは私であり、成長した樫の木も私のものだ。」と反論しました。版権や印税の分配などを巡ってジョンとポールは、ジェイムズと何度も話し合いましたが、彼は、まともに取り合おうとしませんでした。
(3)代理人を立てるべきだった
ジョンとポールがもっと「大人」になって、版権を取り戻すためにプライドを捨てて交渉に臨むか、それができないなら、信頼できる代理人を立てた方が良かったのかもしれません。ブライアンが生きていれば、彼かあるいは彼が選んだ代理人が交渉していたでしょう。
音楽に関しては天才の彼らもビジネスは苦手でした。特に、ホワイトカラーが大嫌いだったジョンは、交渉するとイラついてしまい、感情的になってしまったのです。これは、一番取ってはいけない態度です。上手いネゴシエーターなら、巧みに交渉して版権を取り戻せたでしょう。
なぜなら、ジェイムズは、結果的に株式をすべて売却したからです。あるいは、ビートルズの名を隠し、第三者をダミーに仕立てて購入させ、そこから買い戻すという手もあったでしょう。ジェイムズは、とにかくクラインが交渉に乗り出してくる前に売ってしまいたかったから、高く買ってくれさえすれば相手は誰でも良かったのです。
(続く)
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