★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ジョージが音楽的才能に目覚めた~解散のプロローグ(268)

George Harrison on Twitter: "Watch Mike Campbell play George's ...

1 クラプトンに参加する気はなかった

George Harrison & Eric Clapton, 1969 | ジョージハリスン ...

(1)クラプトンはどう思っていたのか?

ジョンがエリック・クラプトンビートルズを脱退したジョージの代わりにメンバーに加えようと考えているという話は、クラプトン自身にも人づてに伝わりました。彼は、そのことについて長らく口を閉ざしていましたが、ようやく1998年になって、殆ど憶測でしかないものの、しばしばメディアの注目を集めていたジョンの意向について自分の考えを話しました。

「1969年に私をビートルズに参加させようという話はあったのかもしれない。問題だったのは、私は、ビートルズよりもジョージと固い絆で結ばれていたということだった。彼と私とは本当に息がぴったりと合っていたんだ。ジョンは、彼らにとって私が腕利きのガンマンであるかのように、手に入れれば自分を向上させられると考えていたのだろう。彼は、自分の力を誇示しようと私の名前を時々使っていた。しかし、私は、ジョージと深い関係にあったから、彼の思い通りになったとは思えない。」

どうやら、たとえ、ジョンがメンバーに加わるよう勧誘してきたとしても、クラプトンにその気はなかったようです。彼とジョージとは親友でしたからね。彼が抜けた穴を自分が埋めるなんて、そんなことをしたら友情にひびが入ったでしょう。トロントのコンサートは、あくまでも一時的なサポートメンバーだったから承諾したのです。

それにしても、なぜ、クラプトンは、当時はどれだけインタヴューされても頑なに口を閉ざしていたのに、30年も経ってから重い口を開いたのでしょうか?私の憶測ですが、ジョンとジョージの両者に対する配慮があったのだと思います。当時、そのような噂が流れていたことは事実ですが、関係者が公式に認めたことはありませんでした。ですから、クラプトンもそのことについて話すのを控えたのでしょう。

特に、この話は、ジョンにとってどちらかといえばイメージダウンになってしまうような話ですから、彼を敬愛していたクラプトンとしては遠慮があったのだと思います。ジョンが亡くなってからだいぶ経ったことだし、自分ももういい年になった、今なら本当のことを話してもいいというか、むしろ、真実を話しておいた方がいいだろうと判断したのかもしれません。

(2)ジョージの存在を忘れていないか?

ビートルズ解散の原因」というと、オノ・ヨーコがジョンに及ぼした影響やジョンとポールの確執が必ず挙げられます。しかし、ジョージがビートルズの中で不満を溜め込んでいたことは、それほど注目されてこなかったかもしれません。

しかし、彼の脱退は一時的なものに終わったとはいえ、リンゴのそれよりは深刻でした。リンゴは、単に演奏をめぐってポールといざこざを起こしただけでしたから、復帰するのに支障はありませんでした。しかし、ジョージは、単なるバックバンドの一員ではなくコンポーザーとして認められたかったのです。

では、彼は、いつ頃からそんな想いを抱くようになったのでしょうか?ここからは、彼のコンポーザーとしての才能に着目して解散の原因を分析してみたいと思います。

 

2 成功してからソングライティングを始めた

GretschJetFirebird

プロが作詞作曲するということは、当然のことながら、それにふさわしい技術の裏付けがなければなりません。ヒット曲を書いたことがあるミュージシャンの多くが、自分が作詞作曲を始めた頃の作品を世間にあまり知られたくないと考えがちです。

どんな偉大なアーティストであっても、始めた頃はなかなか上手くいかなくて、試行錯誤を繰り返した上にようやく成功を収めてきたのです。子どもの頃からすでに天才だったのは、モーツァルトなどほんの一握りの例外的な人でした。

もちろん、どんなルールにも例外はあります。ジョージは、まさにその例外であるといっていいでしょう。ジョンやポールがビートルズや他のアーティストのためにヒットを飛ばしたソングライターであるという成功と、それがもたらした経済的な利益の恩恵を受けていた頃、ジョージは、自分がソングライティングの能力を潜在的に持っていることにまだ気が付いていませんでした。

グループ内での彼の主な焦点は、特に、ビートルズが1963年半ばまでにイギリスで大成功を収めていたことを踏まえると、最高のリード・ギタリストになることでした。しかし、彼の焦点は、ある日突然、ソングライティングに移り始めたのです。

ジョージがアルバムでリード・ヴォーカルを担当したのは、最初は「Chains」のようなカヴァー曲か、「Do You Want To Know A Secret」のようなレノン=マッカートニーのオリジナル曲でした。1963年8月、その慣例に終止符が打たれる時が来ました。

 

3 ジョージが音楽的才能に目覚めた

(1)ビートルズは革新的なバンドだった

We All Live In A Yellow Submarine,Yellow Submarine — thoseliverpoollads:   my favorite photo of the...

そもそも、ビートルズのロックバンドとしてのスタイルは、当時としては革新的でした。当時主流だったのは、一人のリードヴォーカルがいて、後は、そのバックバンドというスタイルが多かったのです。ですから、バンド名も「ジェリー&ザ・ペースメーカーズ」のように、必ずメインのミュージシャンの名前を最初に挙げ、後はその他大勢というスタイルでバンド名を付けていました。

しかし、ビートルズは、そういった旧来のスタイルを取らなかったのです。彼らは、当初からメンバー全員が対等という意識でした。たとえ、作詞作曲を担当するのがジョンとポールの二人だけであったとしても、他のメンバーも同じビートルとして対等に扱っていたのです。リーダーはジョンでしたが、彼は、独裁者ではなく重要なことはすべて四人で話し合って決めました。ですから、ファンの人気も一人に偏ることなく、四人それぞれに熱狂的なファンが大勢いたのです。

(2)成功してからソングライティングを始めた

George Harrison - Home Recordings, August 1963 - YouTube

他のソングライターと違うところは、ジョージがソングライティングに挑戦することを決めた頃には、ビートルズは、すでにイギリス国内でスーパースターになっていたいうことです。実際、彼らは、アメリカ市場へデビューする寸前でした。「ジョン、ポール、リンゴに、自分が制作したアルバム用の曲があると申し出るのはなかなか大変だった。」とジョージは、1969年に述懐しています。

そりゃ、とんでもないモンスターが二人もいましたから、「自分も曲を作ったから、次のアルバムに採用してくれ。」なんてなかなか言えませんよ(^_^;)彼らは兄貴分でしたし、ジョージ自身も元々控えめな性格だったということもありました。「ジョンとポールの曲は、とても良かったからね。僕が書いたからといって、ビートルズが僕のためにつまらない曲をレコーディングして欲しくなかったんだ...。」いやあ、この頃の彼は、謙虚でしたねえ~。でも、ホワイトアルバムの頃にはそうじゃなくなるんですよね~(^_^;)

それでも、彼は、最初の曲作りのチャレンジをボツにしてしまうことなく、その曲をレコーディング中のセカンド・アルバムの候補曲としてメンバーに紹介し、自信を持ってソングライターとしての自分を主張することにしました。これが彼のソングライターとしての始めの一歩でした。

 

(3)レノン=マッカートニーにジョージというベクトルが加わった

The Quiet One

その時のことをポールは、こう語っています。「多くの女の子が彼に夢中になっていたから、僕らは、いつも彼に少なくとも1曲は、彼がリード・ヴォーカルを担当する曲を与えたかったんだ。そのうち、ジョージが『何で君たちが僕の曲を書かなければならないんだ?』と言って、自分の立場を理解するようになった。それから、彼は、自分で書き始めたんだ。」

ジョージは、当初は、レノン=マッカートニーから楽曲を提供されることで満足していましたが、ふとそれに疑問を抱くようになったんですね。ジョージがあくまでもリードギタリストとコーラスの一員、そして時々リードヴォーカルを担当するとうスタイルに満足している間はそれで平和でした。

しかし、やがて彼は、それだけでは満足せず、自分でも作詞作曲してみたいという気持ちが強くなってきました。しかも、彼にはその能力が潜在していたことに他ならぬ彼自身が気づいたのです。ジョージが作曲を始め、しかも、ジョンともポールとも違う音楽性を持っていたということは、ビートルズにさらに強力なパワーを与えることになりました。

しかし、それは、解散へとつながるもう一つのベクトルが加わったことをも意味しました。つまり、ジョン、ポールに加えてジョージのベクトルがビートルズに加わり、彼らとは違う方向へ動き始めたのです。例えるなら、ジョンとポールという二つのマントルに加えて、ジョージというもう一つのマントルビートルズという大陸を動かし始めたようなものでした。やがて、大陸がこらえきれずにバキバキと音を立てて引き裂かれ始めるのです。

 

(参照文献)VINTAGE NEWS, BEATLES MUSIC STORY!

(続く)

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