★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ジョンとジョージが殴り合った…もうおしまいだ💦(267)

George Harrison in 1969 : pics

1 ジョージの不満は頂点に達していた

ジョージは、何年にもわたって作曲を続けていましたが、1968年にはソングライターとして完全に開花していました。「White Album」では「While My Guitar Gently Weeps」「Long, Long, Long, Long」などの曲でレノン=マッカートニーに対抗できるというところを証明したのです。彼のバンドへの貢献も、作品がアルバムに収録されることでより大きくなっていました。

しかし、だからといって、彼のバンド内での地位がそれに応じて上がったわけではありません。ジョンは、まだジョージの曲を高く評価していませんでした。彼にしてみれば、まぐれでいい曲を書けただけだ、というぐらいにしか思っていなかったのかもしれません。

それを象徴するかのように、彼は、「Long, Long, Long, Long」「Savoy Truffle」のレコーディングには参加せず、「Piggies」にテープループを追加しただけでした。もっともその作業自体は結構重要なものだったのですが、それについて語りだすと本題から外れてしまうのでここでは控えておきます。

 

2 「Let It Be」セッションは最悪の時期だった


The Beatles I Me Mine 1969 ( From Let It Be Movie )

ビートルズは、ギスギスした関係ながらも、なんとかダブルアルバムのリリースにこぎつけました。しかし、69年1月から始まった「Let It Be」セッションでは、メンバーの関係は、さらに悪化していました。ジョージは、後にその当時を最悪の時期だったと語っています。

この頃になっても、ジョンは、まだジョージを見下していたのです。ドキュメンタリー映画を見ると、「I Me Mine」のリハーサル中に、ジョンがジョージを放ったらかしにてヨーコとダンスに興じているシーンがあります。とても、真剣にリハーサルに取り組んでいるとは思えません。ジョンは、ほとんど自分の作品とヨーコにしか興味を示さず、バンドが撮影していた空疎なスタジオには、一種の混乱しかありませんでした。

全体的にジョンは、ビートルズとしての活動自体にあまり興味を示していませんでしたが、それは、当時の彼のヘロイン中毒も大いに関係していたのかもしれません。

 

3 ジョンとジョージが殴り合った!

George Harrison Rosewood Telecaster

(1)ジョンはジョージを見下していた

私は、ポールのメンバーを顧みない独りよがりな態度に問題があったと書きましたが、態度に問題があったのは彼だけではなく、ジョンについても同じことがいえます。ヘロイン中毒とヨーコにのめり込んでいたことで、彼の関心は、ビートルズから薄れていました。それに加えてジョージを見下した態度も、褒められたものとはいえませんでした。

ジョンの態度は、ジョージの神経をすり減らすには十分でした。彼は、すでに「Abbey Road」や「Let It Be」のセッションで、ヨーコがレコーディングに関わることにずっとイライラしていましたが、ジョンが彼のことを真剣に受け止めていないことがさらに彼を追い詰めたのかもしれません。

「Let It Be」の撮影中に、ジョージとポールが口論になったシーンが人々の記憶に強く残されていて、それが脱退の理由だと誰もが考えています。しかし、実は、彼が脱退した理由はそれだけではなかったのです。

(2)ついに殴り合いのケンカに

プロデューサーのジョージ・マーティンによると、ジョンとジョージは、実際に殴り合いのケンカをやった。」と語っています。どういう経緯でそうなったのか詳しいことは分かりません。一説によると、アップルの財務状況についてのジョンのプレスへのコメントも関係していると言われています。

確かに、ジョンは、アップル社の経営状態が深刻であるとコメントしていましたが、それを聞いたジョージにしてみれば、「それは、お前らがヘマで不利な契約をしたせいだろう。」という怒りが込み上げたのかもしれません。

マーティンは、このケンカを「当時は固く口止めされていた」と語っています。「クワイエット・ビートル(静かなビートル)」とも評されたほど温厚なジョージにしては珍しいことですが、それだけ不満を溜め込んでいたともいえます。

ジョンとポールが「Ob-La-Di, Ob-La-Da」のレコーディング中にケンカになり、殴り合いになる寸前まで行きましたが、その時は辛うじて踏みとどまりました。おそらくアーリービートルズの時代を除いて、ビートルズの歴史上でメンバー同士が本気で殴り合ったのは、この時だけでしょう。

1969年1月10日にレコーディングでポールと口論したジョージは、そのままスタジオを出て行ってしまいました。最初の脱退者です。彼のヴォーカルの代わりにヨーコが参加するなど、ビートルズは、レコーディングを続けていましたが、もちろん、ヨーコにジョージの代わりが務まるはずがありません。

 

4 クラプトンをメンバーに入れようとした

(1)ジョンはクラプトンの参加を提案した

John Lennon wanted Eric Clapton to replace George Harrison in the ...

ジョンは、ジョージが脱退して慌てるどころかむしろ清々していました。ユーモアか皮肉のつもりかジョンは、The Whoの「A Quick One, While He's Away」をカヴァーすることにしました。ポールとリンゴがこの曲の意味を理解するのに、それほど時間はかかりませんでした。タイトルは、「ちょいと一つ、あいつがいないうちに」といった意味ですが、まったく慌てた様子はありません。

ジョンは、「エリック・クラプトンをメンバーに入れよう」と他のメンバーに提案しました。「彼も同じくらい上手いし、頭痛の種になるようなヤツじゃない。」ジョンは、ジョージが「While My Guitar Gently Weeps」のソロを担当するためにクラプトンを連れてきたとき、みんながセッションを楽しんだという過去の経験を語りました。

この時のバンドの会話の多くは録音され、後にバンドがクラプトンに好意を抱いていたことと、最終的にはジョージの代役としてクラプトンを起用する意思があることが確認されています。ジョンは、もしジョージが火曜日までに戻ってこなかったら、「クラプトンに好きなようにギターを弾かせてやろう。」とクラプトンに演奏を依頼するつもりだとハッキリ発言したと記録されています。

ジョンは、さらにジョージがバンドに残ろうが残るまいが、自分はバンドを続ける、必要なら自分で新しいバンドを立ち上げるつもりだとまで発言しています。おやおや、これはただ事ではありませんね💦

ただ、この時点では、彼がビートルズを続ける意思をまだ持っていたことが窺えます。それが不可能となった時点で解散するつもりだったのでしょう。

(2)本気で考えていたのか?

John Lennon And George Harrison's Last Interview Together – Rock ...

しかし、その話し合いはそこで終わり、ジャム・セッションが始まりました。ジョンのこの発言は、彼のよく知られている暴言を吐くエピソードの一つに過ぎず、ちょっと大げさに言っただけなのかもしれません。

ジョンが実際にどう思っていたのかはわかりませんが、たとえ一瞬でも真剣にそんなことを考えていたとしたら寂しいですよね。若い頃からずっと苦楽を共にしてきたメンバーが抜けてショックを受けるどころか、むしろ喜んで他のメンバーを迎え入れようとしていたなんて。

ただ、映画を撮影していた最中のできごとであり、それを完成させるためには撮影を続行する必要がありました。マイケル・リンゼイ・ホッグ監督も交えた話し合いの中での発言でしたから、額面通りに受け取るべきではないのかもしれません。

さらに興味深いのは、ジョンのこの発言がジョージの耳に届き、彼の心境に影響を与えることを期待して、グループに復帰させるための戦術だったのではないかという説もあることです。う~ん、これはどうなんだろうなあ~?確かに、ジョンという人は、複雑な精神構造の持ち主で、発言をそのまま素直に解釈すると全く的外れになることもしばしばあるんですよね(^_^;)彼のそれまでの言動と照らし合わせてみると、この説もありえなくはありません。

ただ、流石にこれはちょっと深読みしすぎじゃないかと思います。ジョンがそこまで計算したとは思えませんし、大体、この頃は、ヘロイン中毒でそんなに頭が回ってなかったんですから。どちらかというと、その場の勢いで口が滑ったという方が実態に近い気がします。引っかかるとすれば、「自分で新しいバンドを立ち上げる」と発言したところですね。これは、後に一時的とはいえ、トロントのコンサートで実現しましたから。

ホワイトアルバムの制作中に、リンゴがポールと衝突して一時的に脱退しましたが、その時も何事もなかったかのように復帰しました。その時と同じように、いずれジョージが戻ってくるだろうと楽観してたんじゃないでしょうか?。

でも、ジョージが本当に戻ってこなかったら、撮影に支障を来しますからクラプトンを参加させて続行したでしょう。ただ、彼が正規のメンバーとしてオファーされたら間違いなく断ったでしょうし、一時的にレコーディングに参加するということであったとしても、それは難しかっただろうと思います。

 

(参照文献)ShowBiz CheatSeet, VINTAGE NEWS
(続く)

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