- 1 最初はギタリストだった
- 2 最初のギター〜1956年:ゼニスモデル17アコースティック、ヴィンテージ製造年不明
- 3 1960年:ロゼッティソリッド7
- 4 1961年:ヘフナー500/1 3/4スケール ヴァイオリンベース
1 最初はギタリストだった
(1)ジョンが感銘を受けた
ポール・マッカートニーは、ビートルズ時代は主にベースを担当していました。しかし、彼は、6弦ギターでロックンロールのキャリアをスタートさせたのです。彼がジョン・レノンに出会った1957年7月6日のリヴァプールのセント・ピーターズ教会のフェスティバルで、彼は、エディ・コクランの「Twenty Flight Rock」を完璧に演奏してクォーリーメンのリーダーに感銘を与えました。ポールはすぐにバンドに参加するよう促され、いくつかの練習を重ねた後、1957年10月18日にリヴァプールのノリスグリーンにあるニュークラブムーアホールでデビューしました。
(2)ギターソロで大失敗した
「私は、最初はリードギタリストだったんだ」とポールはベースブックのトニー・ベーコンのインタヴューで語りました。「ギターの腕に自信があったからね。ステージに上がっていないときは、もっと上手く弾けたよ」「しかし、私が最初のギグでステージに上がったとき、演奏を台無しにしてしまった。それまでの人生であんな経験をしたことはなかったよ」あのポールでも、若い頃はギターソロを失敗したんですね。
ポールは、「Guitar Boogie Shuffle」のソロパートを大失敗したことに懲りて、リズムギターに徹することを決めました。重要なのは、この悲惨な失敗の後で失ったジョンの信頼を取り戻すために、ポールが自分の作曲した「I Lost My Little Girl」を披露したことです。ジョンは、ポールに他の曲も見せるよう促し、彼も作曲を始めることにしたのです。ここからレノン=マッカートニーという天才ソングライティングパートナーシップが開始したのです。
(3)ベーシストに転向
やがてポールは、友人のジョージ・ハリスンをリードギタリストに指名し、1961年初頭の2回目のハンブルク巡業を通してリズムギターを演奏し続け、脱退したベーシストのスチュアート・サトクリフに代わってベースを担当しました。基本的にはベーシストとして活動しましたが、ビートルズ時代にもポールは、リードギターをいくつかの楽曲で担当し、その技術の高さを見せています。
彼のギターソロは、「Taxman」「Drive My Car」「The End」「Good Morning, Good Morning」「Helter Skelter」などで聴くことができます。ベースギターに新しい精神と威信をもたらしたこのミュージシャンは、ギタリストとしても高く評価されています。2023年にローリングストーン誌が発表した「史上最も偉大な250人ギタリスト」では173位にランクインしています。ちなみに1位は、ジミ・ヘンドリックスでした。
2 最初のギター〜1956年:ゼニスモデル17アコースティック、ヴィンテージ製造年不明
(1)トランペットをギターと交換した
1956年6月、ポールの父親のジムは、彼の4歳の誕生日にトランペットをプレゼントしました。「私は以前、それを少し演奏していた」と彼は「メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」の著者であるバリー・マイルズの伝記で回想しています。「トランペットは当時のヒーロー的なカッコいい楽器であり、それを巧みに演奏できれば黄金の腕を持つ男と呼ばれたんだ。でも、トランペットを吹いたら歌えないことにすぐ気づいたんだよ」
同時に、スキッフルバンド熱がイギリスを席巻し、父親の許可を得たポール少年は、トランペットを買った楽器店に持ち帰り、ドイツのフラマス社が製作したこのモデルと交換しました。15ポンドのギターを持って家に帰ったとき、彼は「弾き方が全くわからなかった。私は、左利きのスリム・ホイットマンの写真を見て、彼がギターを他のギタリストとは反対向きに構えているのを見るまでは、自分が左利きだったから弾けないことに気づかなかったんだ」ジョージと違ってポールは、ギターを一から教えてくれる人がいませんでした。
(2)左利き用にギターを改造した
左利きでもギターは右利きのギタリストと同じようにネックを左に倒して弾く人もいますが、ポールは違いました。彼がギターを右利き用とは正反対に6弦を一番左に張り替えると、彼は、1弦が太い6弦用に幅広く設計されたノッチでガタガタと鳴っているのに気づきました。そこで、彼は慎重にマッチを剃り、弦がブレるのを防ぐために小さなブロックを作りました。
その後、彼は、ブリッジの近くに小さなピックアップを取り付け、最終的にピックガードを取り外し、ビートルズのハンブルクへの最初の巡業にいくときまでこのギターを使用しました。ポールが「When I'm 64」を含む彼の最も初期の曲を作曲したゼニスは、まだ彼のスタジオに飾られています。彼は、このギターで「Twenty Flight Rock」を「Anthology」ビデオでちょっと演奏してみせました。
なお、ポールが「フラマス5/1パーラーギター」を弾いている写真が残されています。この質素なスペイン製ギターは初期の写真に写っており、どうやらポールの父親のもののようです。1962年にはフォースリン・ロードでの作曲セッションで使用されました。
3 1960年:ロゼッティソリッド7
(1)ハンブルクに持って行った
ソリッドボディではなく、オランダのエグモンド社が製作したサンバースト(黒から赤のグラデーション)セミアコースティックで、イギリスのロゼッティ社が輸入し、改名して20ポンドで販売しました。「我々は、ハンブルクへ巡業に行った」とポールは、ベーコンのインタヴューで語っています。「行く前にリヴァプールのヘシーズ楽器店でロゼッティソリッド7エレキギターを買ったんだけど、それは酷いギターだった。」「本当に見栄えが良かったんだ。カッコいい塗装だったけど、酷い安物だった。広告ではかなりカッコよく見えたんだけどね」まだこの頃の彼にはギターの良し悪しがわからなかったんですね。
(2)壊してしまった
リヴァプールに戻って、一時的にビートルズのベーシストになったチャス・ニュービーがバンドを去った後、ポールは、ピアノから3〜4本抜き取りベースの弦として使用し、ロゼッティの弦を再び張り替えて、スチュアート・サトクリフがプレジデントベースを携えて戻ってくるまでそれを使用しました。再び弦を完全に補完したロゼッティは、その後、ハンブルクで再び使用されましたが、無残な最期を遂げました。
ポールは、1964年のインタヴューで、「処分したくはなかったが、ある日落として壊してしまったので、処分せざるを得なかった」と振り返っています。「完全にダメになったわけではなかったが、修理する価値はないと思ったので、みんなで......その上で飛んだり跳ねたりして、叩き壊して楽しんだ!ちょっとクレイジーだったと思うけど、時々溜まったエネルギーを発散する必要があったし、当時はそれが『当たり前のこと』に思えたんだ!」
ジョンは、リッケンバッカーを買った後、「1960 ヘフナークラブ40・ホロウボディ・エレクトリック(ヴィンテージ製造年不明)」をポールに貸しました。この時彼は、まだロゼッティを持っていましたが、最初のハンブルグ巡業の写真から、実際に左利き用に調整されていたことがわかります。ポールは、ポーズをとるだけでなく、実際にクラブ40を使っていたようですが、演奏していた時の写真はまだ発見されていません。ジョンは、すぐにこのギターを売却しました。
4 1961年:ヘフナー500/1 3/4スケール ヴァイオリンベース
(1)ベースを担当することになった
ビートルズが1961年4月にトップテンクラブと契約して演奏するためにハンブルクに戻った頃には、ポールは、渋々ベースを引き受けていました。ポールは、こう語っています。「当時は誰もベースを弾きたくないし、誰も弾かなかった」と、バリー・マイルズの「メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」で回想しています。ベースは少年たちに人気がなかったんです。
ポールがスチュアートのヘフナープレジデント・ベースを演奏している写真はありません。そして、ロゼッティはこの時点でとうとう壊れてしまったので、ポールは、ある日ハンブルクのスタインウェイ楽器店で自分のベースを見つけました。
(2)ヘフナーを購入した
「私は、そこに行ったのを覚えている。そこには、かなり安かったこのベースがあった。私は、フェンダーを買う余裕がなかった。その時もフェンダーは約100ポンドしていたと思う。私が実際に買えたのは約30ポンドだった. . . だから約30ポンドでこのヘフナーヴァイオリンベースを見つけた」
「私は左利きだったが、このベースは左右対称に近かったのでそれほどダサくないように見えた。(ボディの下側がえぐられている)カッタウェイをひっくり返すとダサいけどこれはそうは見えない。だから、私はそれに夢中になった」
いずれにせよ、ジョンのリッケンバッカー325のように、ポールはすぐにこの独特のモデルの代名詞的存在となりました。彼は、ビートルズのメンバーとしてステージやスタジオでこのベースを使用し、その時点でヘフナーは、彼に新しい更新されたモデルを与えました。1964年、彼は、この最初のベースをロンドンのサウンドシティによってポリエステルサンバーストで再仕上げし、新しいピックアップとポット(ボリュームやトーンなどコントロールする電気パーツ)を装着しました。
(参照文献)ザ・キャンティーン
(続く)
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