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「The Beatles at Shea」~世界初のスタジアムコンサートはどのように撮影・レコーディングされたか(476)

August 15: Watch – The Beatles At Shea Stadium In 1965, 52% OFF

1 コンサートをレコーディングした

(1)ブライアン・エプスタインが企画した

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1965年8月15日、2度目のハリウッドボウル出演の2週間前に、ビートルズは、ニューヨーク市クイーンズのシェイ・スタジアム(正式名称は「ウィリアム・A・シェイ・ミュニシパル・スタジアム」)で55,600人という記録的な観客を前に、スタジアム・ ロック・コンサートの幕開けとなるショーを行いました。このショーは、2週間強にわたって10の都市を訪問する2度目の全米ツアーの幕開けとなりました。

このコンサートが記念すべきイヴェントになると考えていたビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインとエドサリヴァンサリヴァン・プロダクションは、そのコンサートを後世に残すために撮影し、その年のクリスマスに放映されるテレビ特別番組にすることを決めました。ビートルズのコンサート映像を収録したその映画の復元版は、ロン・ハワードのドキュメンタリー「The Beatles: Eight Days a Week—The Touring Years」に使用されて劇場で公開されました。今にして思えば、よくぞ記録してくれたというところですね。ただ、観客の絶叫はどうしようもありませんから、ビートルズの演奏を映像はともかく、サウンドをどうやって記録するかが大きな課題でした。

(2)フィルム撮影とレコーディングを同時に行った

この特別番組を制作するため、サリヴァンは、クレイコ・フィルムズ社と契約しました。同社の代表であるM・クレイ・アダムズは、「ザ・フィル・シルヴァース・ショー」などテレビ業界での経歴があり、サリヴァンのためにロケ撮影などを定期的に行っていました。アダムズの息子マイケルによると、この映画は、アダムズの家族の友人である撮影監督アンドリュー・ラズロによって計画的に配置された12台の35mmカメラで撮影されました。コンサートでビートルズの生き生きした姿が映し出されています。

オーディオ・レコーディングは、フレッド・ボッシュという42歳のエンジニアによって行われました。ドイツのシュトゥットガルト生まれのボッシュは、アルテック・サービス社で劇場の音響システムの現場エンジニアとして働いた後、1951年にシネラマに入社し、1952年から1963年にかけてシネラマ映画すべてのレコーディングを担当しました。1960年に同社とともにハリウッドに移り、1964年6月に家族とともにニューヨークに戻り、アダムスのお気に入りのレコーディング担当になったようです。ただ、静かなスタジオとは違う観客の絶叫の中でのレコーディングがいかに困難であったかは容易に想像できます。

 

 

2 貧弱だったPAシステム

(1)PAはヴォーカル専用だった

コンサートをレコーディングしたフレッド・ボッシュ(右)

当時のPAシステムはまだまだ貧弱でした。コンサートは、ビートルズのスタジアム公演をきっかけにどんどん巨大化していきましたが、サウンド・システムがそれに追い付かなかったのです。ビートルズのツアーのすべてのプロモーターは、コンサートのオーディオを提供することが契約条件に明記されていました。つまり、プロモーターの側でサウンド・システムを整備しなければなりませんでした。

しかし、5万人を超える観客が一斉に絶叫するなどということは想定されていませんでした。小さなステージでは十分だったアンプとスピーカーはもはや役に立たなくなっていたのです。しかし、それを超える大音量のシステムはまだ発展途上でした。基本的にビートルズのコンサートでは、PAはヴォーカル専用でした。当時は、ギターのアンプとドラムがあれば、どれほど観客が多くても十分だと考えられていたのです。しかし、現実にはそうでないことが明らかになりました。

(2)実際には聴こえなかった

The Beatles at Shea Stadium | The Beatles

PAミックスは、スタジアムのオーディオ・システムを通しては流されていなかったとされています。代わりにヴォーカル・ミックスは、フィールドのファンに向けて広げられたElectro-Voice LR4コラム・スピーカーだけから再生されました。「フィールド・スピーカーと唸りを上げるハウス・スピーカーを組み合わせた遅延は、ひどいものだっただろう。とんでもないショーになっていたに違いない」と、伝説のライヴ・ミキサーであるビル・ ハンリーは語っています。

観客の絶叫で殆ど聴こえなかったのですが、実際にはこだまのようにサウンドがディレイして(遅れて)聴こえていたんでしょうね。もし、まともに聴こえていたらなんともいえない気持ちの悪いサウンドになっていたでしょう。ハンリーは、1966年のビートルズのシェア・スタジアム・コンサートをミックスしただけでなく、3年後には弟のテリーとともにウッドストックのオーディオも担当しました。

 

 

3 技術的な限界があった

The Beatles: Live at Shea Stadium, New York, August 15, 1965 - Home Movies  (1965) | MUBI

元ハリウッドボウルのエンジニアであるビル・ブラントンは、「LR4は、懐中電灯のように狭い範囲でサウンドのビームを発するのでたくさん必要だった」と指摘しています。サウンドが広がらないので、何台も設置しないといけなかったんですね。古いマイクのコレクターとして有名なハリウッド・サウンド・システムのレス・ハリソンは、このようなコラムスピーカーは「実質的に低音がなく、主に音声のみの拡声システムに使用されていた」と説明しています。つまり、音質も拡声器を使っていたようなひどいものだったのです。これではとても鑑賞に堪えられません。

「奇妙な感じだったに違いない」とブラントンは付け加えます。「円形のスタジアムでファンの耳をつんざくような叫び声、ヴォーカルが一箇所から、ギターが別の場所から聴こえてくる」そして、叫び声を上げるファンがいなければ、「ビートルズは、歌うのがさらに難しくなっただろう。なぜなら、湾曲したスタジアムからのサウンドの反射がものすごいものだったはずだから」とハリソンと語っています。

コンサート会場でのそういったサウンドの反射は、当時は全く考慮されていませんでした。スピーカーからのサウンドにはタイムラグがあり、そこへフィールドからの残響が重なるのです。もうわけのわからない状態で、普通ならこんなサウンドではとても演奏できなかったでしょう。皮肉なことに、観客の絶叫でそれが聴こえずに済んで、ビートルズは通常通り演奏できたのです。

 

 

4 使用したマイク

コンサートで使用されたコンサート用とレコーディング用のマイク

ハリウッドボウルのコンサートと同様に、ビートルズのアンプとドラムのサウンドはすべてレコーディング用にマイクで拾われ、ヴォーカルも同様にマイクの指向性を高める独特の側面通気孔で識別できるAKG/Telefunken D24/D19マイクを使用してレコーディングされました。さらに、3つのヴォーカルマイクにはそれぞれRCA BK6bラベリアマイクがテープで固定されていました。各マイクには間に合わせのバッフルが取り付けられ、風の影響を抑えてマイクの指向性を高めるためにカバーがテープで貼られていました。それ以外は、無指向性のマイクでした。

リンゴのヴォーカルマイクはブームスタンドに吊り下げられており、「Act Naturally」のソロヴォーカルでは、マイクを所定の位置に持ってくることができました。さらに、キックドラムの前に設置されたD24のすぐ隣にあるAtlas MS-20スタンドのクラッシュシンバルの下にEV666 が1つ設置されていたようです。これらのマイクが直接レコーディングされていなければ、彼らのヴォーカルは、一切レコードで再生できなかったでしょう。

このイヴェントのエンジニアはすでに他界しているため、マイクからテープやエンジニア・ブースまでの正確な信号経路を特定することは今となっては不可能です。さらに言えば、PAシステムとミキサーがコンサートのプロモーターであるシド・バーンスタインによって個別に契約されたのか、あるいは両者が連携して働いていたのか、PAミキサーとボッシュの両方をクレイコがセッティングしたのかはわかりません。今ならスタッフが緊密な連携を取りながらシステムを構築しますが、当時はそのような体制ではなくそれぞれが個別に動いていたのです。

 

 

5 時代の進歩に技術が追いついていなかった

ボッシュPAエンジニアは、ステージ右のすぐ後ろの高くなったステージ・プラットフォームの後ろにスタンバイしました。2人ともAltec 1567Aミキサーを使用しました。このミキサーには、4つのマイク入力およびライン入力と1つのモノラル出力がありました。「当時、これらのミキサーはどこにでもあった」と、この映画のポスト・プロダクション・サウンド・エンジニアを務めた映画ミキサーのボブ・ファインの父親であるトム・ファインは語っています。

「しかし、これは元々PAや放送用に設計されたものだ。マイクに向かってロックンロールを叫ぶミュージシャン向けには設計されていなかった。入力トランスから過負荷が始まった可能性がある」つまり、システム自体が大音響を想定していなかったため、入力した電気信号が大きすぎて正常に動作しなかった可能性があるのです。時代の進歩に技術が追いついていなかった一例です。逆に言えば、現場のニーズが技術の発達を促したともいえます。貧弱なシステムではあっても、この音源と映像が後世に残されたことは貴重でした。

(参照文献)ミックスオンライン

(続く)

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