1 ジョンの無茶振りを見事にクリア
(1)Tomorrow Never Knows
「Tomorrow Never Knows」のレコーディングの続きです。
ジョンは天才で、抽象的な「ジョン語」でサウンド作りをスタッフに要求してくるため、聞く側でそれを一生懸命理解しなければなりませんでした。ジェフ・エメリックには二つのミッションが与えられました。一つは、ジョンの要求を正しく理解すること、もう一つは、それを実現することです。
彼は、知恵を絞り、ジョンの無茶な要求に対し、ヴォーカルを「レスリー・スピーカー」に通し、そのサウンドを別のマイクで拾うという手法を採用しました。レスリーというのはメーカーの名称なので、現在では「ロータリー・スピーカー」と一般的に呼ばれています。
高音部用にはホーン、低音部用にはローターが備え付けられ、これらをモーターで別々に回転させてコーラス効果を発生させ、音に広がりを与える仕組みをもったスピーカーです。ハモンドオルガンでよく使用されますが、「ブワ~ン」というエコーのかかった独特のサウンドが出ます。これがその内部構造です。
エメリックは、スピーカーキャビネットをバラバラに解体して、内部のロータリー・スピーカーを取り出し、ジョンのヴォーカルをそこへ供給し、独特のトレモロ効果を与えることで、後世に残る革命的なサウンドを作り出したのです。
「Tomorrow Never Knows」は、間奏を挟んでジョンのヴォーカルがガラッと変わり、あの独特のエコーのかかったサイケデリックなサウンドが聴こえてきます。これがエメリックの出した答えであり、これにより彼は、見事にこの無理難題をクリアしたのです。彼でなければ、こんな発想は思いもつかなかったでしょう。
それでも、ジョンは、チベットの僧侶を雇った方が良かったと不満を抱いていました。しかし、彼らをイギリスに呼び寄せるとなれば、莫大な経費と時間がかかってしまいますし、それが成功したかどうかも分かりません。
そんな非現実的なビートルズの要求を現実化するのですから、エメリックの苦労は、並大抵のものではなかったでしょう(^_^;)
(2)Strawberry Fields Forever
ジョンは、「Strawberry Fields Forever」のレコーディングの際に、二つの異なるヴァージョンをレコーディングしました。そして、彼は、それらの二つのテイクを合成させてくれと無茶な要求をしてきたのです。
それらは、テンポもキーも異なっているため、合成するなど常識では考えられませんでした。もちろん、マーティンは、それをジョンに説明したのですが、彼は、どちらのテイクも気に入っているからと、頑として聞き入れませんでした。今ならコンピューターを使って簡単に出来ますけどね。その頃は、アナログですべて手作業でしたから。
エメリックとマーティンは、試行錯誤を繰り返してその難題をクリアしましたが、そこにはある程度の偶然も含まれていました。スピードの違いをあれこれと調整することで、まるで魔法のようにピッチの差がなくなり、ほぼ完全に一致させることができたのです。
「やってみなけりゃ分からない。」ビートルズのレコーディングの歴史は、まるで人生訓みたいですね(笑)
2 レコーディング・スタッフの重要性
これは、若き日のケン・スコットで、彼がレコーディングに携わったレコードをカッティングしているところです。彼も16歳でEMIに入社しました。彼がエンジニアとして参加した最初のセッションは、アルバム「A Hard Day's Night」の第2幕でした。
彼についてもいずれお話する時があると思います。って、エメリックについてそう言っているうちに、天に召されてしまったのですが💦
アーティストが成功するためには、もちろん、そのアーティスト自身に実力が備わっていなければなりませんが、アーティストを支えるレコーディング・スタッフもいかに重要であるかが、この一例だけを見てもよく分かります。
エメリックは、レコーディングにあたっては、いつも広い視野でアプローチし、必要があれば、標準的なレコーディングのルールやテクニックを無視してでもやってやろうという意欲がありました。
そのお陰でビートルズは、彼らが求めていたサウンドを手に入れられました。特に、中期から後期にかけてのビートルズのサウンドは、彼の大胆な発想と野心的なチャレンジに負うところが多かったのです。
3 実力で先輩を押しのけた
ところで、ビートルズをデビュー当時から担当していたレコーディング・エンジニアだった、ノーマン・スミスはどうしたのでしょうか?ジョンは、彼に「ノーマル」とニックネームをつけていました。
この写真の左側の人物です。右側はビリー・J・クレーマー&ザ・ダコタスのビリーですね。
そのニックネームの意味は分かりませんが、英語では「普通の」という意味があるところから、「まともな人物」という意味を込めたのかもしれません。確かに、ビートルズの破天荒ぶりに比べたら普通だったでしょうね(笑)
彼は、アビイ・ロードのプロデューサーの地位に昇進しました。そして、EMIが新たに契約した新人を担当することになりました。それがピンク・フロイドです。いやいや、こっちも超大物アーティストですが(^_^;)
彼の後継者として、エメリックがチーフ・エンジニアの座についたことになります。他にもたくさん先輩のエンジニアがいたはずですが、彼らを押しのけて、20歳そこそこのエメリックがその地位についたということは、よほど彼の実力がずば抜けていたからでしょう。
21世紀の現代でこそ、コンピューターが発達し、システムエンジニアやプログラマーなどといった職種で若い人たちが活躍しています。しかし、1960年代の当時、そんな若い人が重要な役職につけるということは、イギリスでも珍しいことだったと思います。
4 ビートルズとともに実力をつけていった
ビートルズにとって幸運だったのは、彼らがアイドルからアーティストへと変貌を遂げようとしていた時期と、エメリックがチーフ・エンジニアに就任した時期とが重なったことです。この二組の野心家たちが肩を組んで歩み始めたことにより、ビートルズのサウンドは劇的な変化を遂げました。
野球で例えるなら、ビートルズは、ピッチャーとして160kmを超える速球やありとあらゆる変化球を、バッターであるエメリックに対して投げ込んで来ました。彼は、それらのボールに翻弄されつつも、見事に弾き返してヒットを打ち、あるいはホームランをかっ飛ばしたのです。
それは、同時にエメリックがビートルズによって鍛えられたことを意味します。つまり、ビートルズの要求に応えることが、そのまま彼の実力を鍛え上げていったことにもつながったのです。
5 ビートルズの要求にすべて応えた
エメリックは、新しいサウンドを求めて冒険しましたが、いつも特別な方法を使ったわけではなく、単純な方法を使ったこともあります。
「Tomorrow Never Knows」のレコーディングの際に、彼は、リンゴ・スターのドラムのパワーがレコーディングするには不足していることに気づきました。そこで、ドラムをレコーディングする時に長年継承されてきたスタジオのルールを破り、マイクをリンゴのバスドラムの近くにセットし、従来よりも雷鳴のような大音響のサウンドを得ることができたのです。
考えてみれば、ごく単純なことです。でも、それまではそんなことは、非常識な手段だと思って誰もやらなかったんです。2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑(ほんじょ・たすく)さんも受賞後の記者会見で、「教科書に書いてあることを鵜呑みにするな」といった趣旨の発言をされてましたね。
こうしてエメリックは、従来のルールを次々と破っていくことで、ビートルズの突拍子もないアイデアを忠実に現実化することにとても熟練していきました。ビートルズにしてみれば、「曲を作ってレコーディングするまでがオレたちの仕事。後は、エメリックに任せておけば何とかしてくれる」という信頼できる存在だったのでしょう。
(参照文献)The Guardian
(続く)
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