【2】パワフルな楽曲部門
2 レヴォリューション(続)
ジョンは、曲のエンディングでAll right(大丈夫さ)と何度もシャウトしていますが、これが彼の率直な気持ちだったようです。つまり何も暴力的なことをしなくても、世の中を変えることができると彼は若者たちにメッセージを送ったのです。
1998年にヨーコがこのことについてインタヴューに答えていますが、やはり、彼は、暴力的な革命を否定し、あくまでも平和主義的な改革を望んでいたということでした。
ジョンは、暴走する若者たちに、「暴力からは何も生まれない」というメッセージを送りたかったのです。
1969年にジョンは、プラスティック・オノ・バンドとして「ギヴ・ピース・ア・チャンス」をリリースしました。同年10月15日、ワシントンの国会議事堂前に多数のアメリカ人が終結し、この曲を歌いながら行進したのです。
アメリカの若者たちは、平和なデモ行進を行うことでベトナム戦争に反対を続け、やがてその動きは、アメリカ全土に広がっていき、やがてアメリカはベトナムから撤退し、その後戦争は終結しました。彼のメッセージは、しっかりと若者たちに届いたのです。
彼は、その後もヨーコと共に反戦平和活動を続けましたが、その結果、アメリカ政府や軍関係者からは、要注意人物としてマークされることになりました。
ジョンは、超越瞑想の開祖であるマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの下で瞑想をするため、インドに滞在していました。この曲は、その時に書き下したものです。
この曲にはヴァージョンが三つあります。レヴォリューション、レヴォリューション1、レヴォリューション9ですね。一番最初にレコーディングしたのがレヴォリューション1でした。次にレコーディングしたのがレヴォリューション9です。
レヴォリューションとレヴォリューション1は、歌詞もメロディ-もほぼ同じなのですが、レヴォリューション9だけがとんでもなくシュールな作品になっています。
ジョンは、スローテンポなレヴォリューション1をシングルA面でリリースしたいと強く主張しました。しかし、他のメンバーやマーティンは、スローテンポ過ぎる、もっとアップテンポにした方が良いと反対しました。
ジョンは、自分の意見が通らずふてくされてしまいましたが、やはり、シングルA面は、アップテンポなヴァージョンの方が向いていたでしょう。
それでアレンジし直してレヴォリューションをレコーディングしたのです。
ところが、せっかくアップテンポにしたにもかかわらず、結局、この曲は、シングルB面に回されてしまいました。では、A面は、何だったかというと「ヘイ・ジュード」です。流石にこれはかないませんわな(;^_^A
でも、こんな良い曲なのにどうしてリリースする時期をずらして、A面でリリースしなかったんでしょうかね?本当にもったいないと思います。B面でもチャートの上位にランクインした位ですから、A面なら1位を獲れていたのではないでしょうか?
ジョンは、レコーディング・コンソールに直接ギターをつないでチャンネルを完全に過負荷の状態にして、ギターに強烈なディストーションをかけました。ファンからするとこのリードギターがとてもかっこよく聴こえるのですが、ジョージ・ハリスンは、その歪んだ音が嫌いだと語っていました。
レコーディング・エンジニアだったジェフ・エメリックはその場にいませんでしたが、もし、いたらEMIを辞めていただろうと後に語っています。エンジニアからすると、とても許せない行為だったみたいですね。
ジョンは、手動で自分のリードヴォーカルを強調するために、あちらこちらに奇妙な言葉をオーヴァーダビングすることに集中していました。さらにダブルトラックもしているのですが、ただ、機械オンチのせいでしょうか、ミスが散見されます。
しかし、そのまま放置しました。相変わらずのラフさですね(;^_^Aジョンの血を吐くようなイントロの叫びもオーヴァーダビングで重ねられています。
ただ、ジョンにとっては残念なことに、彼の意図に反して多くのリスナーには歌詞の内容よりもヴォーカルや強烈なギターのサウンドの方が刺さったようです。
最近の世界は、彼の願いとは裏腹に戦争、テロや銃の乱射事件が頻発しています。天国の彼は、嘆き悲しんでいるでしょう。
3 マネー(ザッツ・ホワット・アイ・ウォント)
(1)オリジナルはモータウン・サウンド
またまた前期の曲に戻ります。というか、パワフルな楽曲は前期に多いですね。ジョンが若くてエネルギーに満ち溢れていたこともありますし、後期に入るとドラッグのせいか、少しヴォーカルのパワーが落ちているなと感じる部分もあります。
これもカヴァー曲です。オリジナルは、ベリー・ゴーディとジェイニー・ブラッドフォードによる共作で、1959年にバレット・ストロングのヴォーカルでリリースされました。
ゴーディがピアノを弾きながら曲を書いていると、ブラッドフォードがどんな具合か様子を見にきました。その時ゴーディは、何気なく金が必要だという話をしましたが、それがヒントになり、金が必要だという意味の歌詞を書くことになったのです。
ちょうどそこへストロングが通りかかったので、ゴーディがこの歌詞に付けたコードを演奏してみてくれと頼みました。作曲家のゴーディより歌手のストロングの方がピアノが上手かったからです。
ゴーディとブラッドフォードは、曲を書き終えると早速ストロングにリハーサルさせました。ゴーディは、ストロングが即興でピアノを演奏しながら歌えることにとても強い印象を受けました。これがストロングによるヴァージョンです。
美しい声ですね。いかにも1950年代のR&Bという感じがします。最初は、ゴーディが設立したタムラ・レコード、その後、彼の姉が設立したアンナ・レコーズからリリースされ、ビルボードのヒットチャートでは23位、R&B部門では2位を獲得しました。このタムラがモータウンに名称を改めたのですが、モータウンサウンドとしては初めての快挙でした。
ところがですね、ジョン・リー・フッカーが「アイ・ニード・サム・マネー」というそっくりの作品を1960年6月にリリースしたのです。フッカーは、ゴーディらより自分が先にこの作品を制作したから著作権は自分にあると主張しましたが、裁判沙汰にはなりませんでした。真相は分かりません。
ビートルズがモータウンサウンドの影響を強く受けたことは広く知られていますが、そもそもモータウン自体が黒人のR&Bサウンドを原点としつつ、白人のポピュラーミュージックの影響を受けていたのです。
つまり、人種を越えてお互いに影響し合っていたんですね。まだまだ人種差別が激しい時代でしたが、音楽の世界では既に垣根が取り払われつつあったのです。
なお、ストロングは、その後作詞家となり、テンプテーションズなどの作品を手掛け、ソウルミュージックに大きな足跡を残しました。
(2)キング・サイズ・テイラー・アンド・ドミノスのアレンジ
ただ、ビートルズがカヴァーしたのはオリジナルそのものではなく、当時リヴァプールでライバル関係にあった「キング・サイズ・テイラー・アンド・ドミノス」のアレンジを参考にしたのです。そのことは、リード・ヴォーカルだったテッド(キング・サイズ)・テイラーがマーク・ルイソンの取材に応えて明らかにしています。
あまりご存じないでしょうが、このバンド、なかなか侮れませんよ(;^_^Aというのも、ビートルズと同じように当時のR&Bをカヴァーしていたのですが、そのアレンジは、ビートルズにかなり影響を与えたのです。
ドミノスの「ツイスト・アンド・シャウト」を聴いてみてください。ヴォーカルやコーラスこそビートルズ程の迫力はありませんが、ラテン音楽をベースにしたオリジナルをアップテンポで軽快なロックンロール(というかロカビリー)にアレンジした能力はかなりなものです。
ビートルズは、「ディジー・ミス・リジー」「スロー・ダウン」などといった曲も彼らのアレンジを参考にしました。テイラーによると、ビートルズは、ライヴ会場の廊下に座り込んでドミノスの演奏をじっと聴いていたんだそうです。
すいません、今回も途中ですが次回へ続きます。
(参照文献)BEATLES MUSIC HISTORY!, The Beatles Bible
(続く)
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