★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ポールのベースラインもモータウンの影響を受けていた(480)

1964年初め、ビートルズロネッツ

1 ビートルズと仕事をしたブレンダ・ハロウェイ

(1)モータウンの新たな看板

ブレンダ・ハロウェイ

メアリー・ウェルズは、モータウンの看板になった途端にレーベルを去ってしまいました。そこで、モータウンは、ブレンダ・ハロウェイを次の「ファースト・レディ」にするべく育てました。もっとも、彼女は、すぐにシュープリームスに取って代わられることになったのですが。

彼女の最初のヒット曲は、1964年の「Every Little Bit Hurts」で、これでキャリアをスタートさせました。1965年までに、彼女のヒット曲作りの才能は少し衰えていましたが、シングル「Operator」がヒットし、ビートルズの1965年アメリカツアーのオープニング・アクトを務めることになりました。彼女のパフォーマンスは、シェイ・スタジアム公演の一部としてレコーディングされています。

(2)ハロウェイの回想

当時19歳だったハロウェイは、このチャンスを明らかに喜んでいました。1965年9月25日のKRLA Beatとのインタビューで、ハロウェイは、バンドへの愛を熱く語りました。「(彼らは)本当にいい人たちよ。地に足がついている。ただの人間よ。だから、私は彼らが好きなの。彼らはとてもフレンドリーで、本当に大好きよ!」ビートルズは気さくで、お高くとまるところがなかったんでしょうね。

彼女は、面白いエピソードをいくつか話しました。「リンゴは、髪を整えるために私のヘアドライヤーを借りた。私たちは枕投げをした。たいていジョージが始め、みんながそれに加わった。そしてリンゴは、飛行機の通路を歩きながらこう言った。『シートベルトを締めてください。私は、ただ仕事をしているだけです!』」リンゴは、CAを気取っていたんですね。

ハロウェイは、こう付け加えました。「リンゴの髪は最高にきれいだったわ。彼は、誰に対してもあまり話すことがなかった。ただ、ある夜、彼とキング・カーティス・バンドのドラマーが神と宗教について長々と議論したことがあったわね」リンゴがプライベートでは口数が少なかったとは意外ですね。

ツアー終了後、彼女は「彼らが意地悪だったら楽しめなかったわ。ツアーが終わって、彼らがいなくなって寂しかった」と語りました。このツアーは、ハロウェイの演奏キャリアのハイライトとなり、彼女は、その後バックヴォーカリスト、ソングライターとしてさらなる成功を収めました。

 

 

2 頭角を表したシュープリームス

(1)お互いをリスペクトしていた

シュープリームス

ビートルズの絶大な人気にもかかわらず、モータウンは、1960年代に独自の地位を築きました。レーベルで最も成功したシュープリームスは、チャート1位を獲得したという点で、ビートルズの最大のライヴァルであることを証明しました。2019年8月28日のゴールド紙のインタビューで、メンバーの一人であるメアリー・ウィルソンは、ビートルズとの友好的なライヴァル関係をこう語っています。

「当時はあまり考えていなかったけれど、彼らが2位で私たちが1位になることもあった。逆に、彼らが1位で、私たちが2位の時もあったわ」「だから、私たちはそういう関係だったの。あなたが言ったように、私たちの間に競争はなかった。たぶん、私たちのプロデューサーとかが『この女性グループはNo.1だ。もう1枚ヒット・レコードを出した方がいい』と言ったかもしれないけど」

お互いにチャート1位を取ったり取られたりでしたから、当然、周囲は彼らをライヴァルとみなしていました。しかし、彼らは、お互いをとてもリスペクトしていて友好的な関係だったのです。

(2)2度目の面会

ウィルソンによると、シュープリームスが1964年に初めてロンドンを訪れた際、ビートルズに少し会ったのですが、1965年のニューヨークでの出会いの方がずっと印象深かったとのことです。シュープリームスが「エドサリヴァン・ショー」の収録のためにニューヨークを訪れていたとき、ビートルズとの面会が実現しました。

「フロー(フローレンス・バラード)はチンチラ、私はレッド・フォックス、ダイアン(ダイアナ・ロス)はミンクの毛皮のジャケットを着ていた。私たちは、ビートルズのスイートルームに入った。」「どうやら、ボブ・ディランロネッツなど、他の人たちが先に彼らを訪ねていたようだった。最初に気づいたのは、部屋がマリファナの煙臭かったこと。でも、私たちは自己紹介の間、笑顔を絶やさなかった」

(3)ビートルズはハイになっていた?

1968年1月22日、ロンドンでポールとシュープリームス

ウィルソンは、自分たちは歓迎されていないと感じました。「ポールはいい人だったけど、ほとんどの時間は気まずい沈黙だった。たまに、ポールやジョージやリンゴがモータウンサウンドホランド・ドージャー・ホランドモータウンのソングライター)との仕事について聞いてきたりした...ジョン・レノンは、ただ隅に座って見つめていただけだった」シュープリームスは、居心地が悪くて早く帰りたくなりました。

数年後、ウィルソンがイギリスにいるジョージを訪ねたとき、彼は、彼女にこう言いました。「デトロイトから来た黒人の女の子3人が、あんなに四角四面になれるなんて信じられなかったよ!」あれあれ、ウィルソンが言ってることと真逆ですよ。ビートルズマリファナでハイになっていたせいかもしれません。

 

 

3 ポールのベースもモータウンの影響を受けていた

(1)みんながレコードを持っていた

ビートルズモータウンのレコードを初めて聴いたのは、デッカが「Come to Me」などの初期のシングルを出した1959年頃だったと思われます。リンゴは、「アンソロジー」のドキュメンタリーで、「僕がビートルズに加入したとき、僕らはお互いをよく知らなかったけど、それぞれのレコード・コレクションを見ると、僕ら4人はほとんど同じレコードを持っていた。 みんなミラクルズを持っていたし、バレット・ストロングやそういう人たちを持っていた。そのおかげで、ミュージシャンとして、グループとしてまとまっていったと思う」みんなモータウンサウンドが大好きでレコードをたくさん持っていたのです。

(2)ポールはベースラインに影響を受けた

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ポールは、ベースを学びながら、ジャマーソンのメロディアスなベースラインに耳を傾けました。テンプテーションズの「My Girl」などに見られるジャマーソンのジャズの影響を受けた演奏と特徴的なベース・ラインは、ベース・プレイヤーの可能性を広げ、ポールにルートを丹念に拾うそれまでの決まりきったラインを避けることを教えたのです。

彼は、後に「メロディック(メロディアス)・ベース」の新境地を開拓しましたが、その原点はモータウンにありました。ジャマーソンがベースを創意工夫した例としては、マーヴィン・ゲイの「What's Going On」やフォー・トップスの「Standing in the Shadows of Love」を挙げることができます。

 

 

4 モータウンなくしてビートルズなし

(1)モータウンの曲を全部知っていた

ポールとロニー・スペクター

ビートルズ研究家のマーク・ルーイスンが「Tune In: The Beatles All These Years」で述べているように、ロネッツのメンバーであるロニー・スペクターが初めてこのグループに会ったとき、彼らがモータウンの曲を全部知っていたことに衝撃を受けました。ロビンソン・アンド・ザ・ミラクルズは特に大きな影響を与えており、それはアルバム「Please Please Me」の収録曲である「Ask Me Why」で実証されています。ジョンのファルセットからバックヴォーカル、ドラマチックなブリッジに至るまで、ロビンソン・アンド・ザ・ミラクルズのスタイルがトラック全体に響き渡っています。

実際、ジョージ・マーティンが「アンソロジー」で述べているように、「初期の頃、彼らは、アメリカのリズム・アンド・ブルースに非常に影響を受けていた。いわゆる『ビートルズサウンド』は、リヴァプールが港町だったことと関係があると思う。彼らは、間違いなくモータウンや黒人音楽について他の誰よりもよく知っていて、それが彼らに多大な影響を与えた」

(2)カヴァー曲にもオリジナル曲にもモータウンが溢れている

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ビートルズは、イギリスで発売されたシングル「I Want to Hold Your Hand」のB面曲である「This Boy」でそれを証明しました。この素晴らしいハーモニーの曲について、ジョージは、「ジョンがスモーキーの影響を強く受けて作った曲だ。「This Boy」のミドルエイトを聴けば、ジョンがスモーキーを真似しようとしていたのがわかる」とティモシー・ホワイトが書いた「George Harrison Reconsidered」で語っています。

しかし、「With The Beatles」は、彼らがモータウンを愛しているだけでなく、カヴァーして自分たちのものにする能力も示しています。「Please Mr. Postman」は、よりハードなビートとジョンのハスキーでハードなヴォーカルを特徴としていますが、R&Bのルーツは保たれています。「Money (That’s What I Want)」もよりハードなアレンジにしていますが、オリジナルのブルージーなピアノはそのまま残っており、楽曲の本質的なスピリットは大切に生かしています。

(参照文献)サムシング・ニュー

(続く)

 

 

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