★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その100)ジョージ・ハリスンのギター・テクニックについて(その3)

引き続き、ジョージのギター・テクニックを感ずる作品についてのお話を続けます。

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1    シー・ラヴズ・ユー

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ジョンとポールのツイン・ヴォーカルが印象的な作品ですが、ジョージは、グレッチ・カントリー・ジェントルマンで、メイン・ヴォーカルが始まる直前に、チラッとアクセントを入れてリスナーの耳を引き寄せています。こういうのを「フック」っていうんですかね。この辺りは、チャック・ベリーの影響を感じさせます。あくまでメインはジョンとポールのヴォーカルで、それをさりげなくギターでしっかりと支えているところが、いかにも彼らしいですね。

 

2  ア・ハード・デイズ・ナイト

鮮烈なインパクトをもたらしたあのイントロは、ビートルズジョージ・マーティンの合作ですが、ジョージ・ハリスンリッケンバッカー360/12のサウンドが特に大きく貢献しています。アウトロのアルペジオもまるで真珠の輝きのようにキラキラ輝いています。

 

3 アンド・アイ・ラヴ・ハー

この作品でジョージは、ロックにしては珍しくクラシック・ギターを弾いています。弦はスチールではなくラミレス製のナイロンです。間奏のソロ・パートは、実に甘くしっとりとしたサウンドを奏でています。ロックバンドのメンバーというよりクラシックギタリストみたいですね。この作品はDメジャーで終わりますが、このエンディングで恋人を想う甘く切ない歌詞が盛り上がり、リスナーがその情感を維持したままで聴き終えることができます。これを聴いていると、彼にはバラードが一番しっくり来るのかなとも思います。

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4    ドゥント・バザー・ミー

ビートルズが1963年8月19日から24日まで、ボーンマスのゴーモン劇場でコンサートを開催している間、ジョージは病気でホテルで静養していました。他にすることもなかったので、彼は、曲を作ってみたのです。これがビートルズ時代に彼が初めて書いた作品です。

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彼自身は、大した曲じゃないと謙遜していますが、なかなかどうして立派な作品です。というのも初期のビートルズにはなかった悲観的な内容の歌詞であり、これによって楽天的な内容の歌詞を書いていたビートルズに、新しい一面を加えることになったからです。短いですが激しいソロも恋人を失った男のやり切れない想いを的確に表現しています。

 

もっとも、ジョージがこの曲を作った元々の動機は、ジョンとポールばかりが曲を作っていて、彼の友人でマージービート誌の編集長だったビル・ハリーから「君も曲を作れよ。」と会う度に言われることにウンザリして、「オレのことは放っといてくれよ。」という皮肉を込めたアンサーソングとして作ったことにあります(^_^;)

 

それともう一つ。この曲のエンディングは、タイトルの繰り返しで終わっていますが、これもビートルズの作品では初めてであり、この後、他の曲でも同じ手法が使われるようになりました。次にご紹介する「アイ・ニード・ユー」もそうですね。このようにジョージは、目立たないところでビートルズの作品に貢献しているんです。

 

マイナーの曲調を引き立たせるリンゴの軽快なスネアドラムと、ジョージの染み入るようなトレモロは、この時期にビートルズが志向していたアメリカのソウルやR&Bよりもむしろ、カリフォルニアのサーフィン・ミュージックを想起させます。れっきとしたビートルズの作品なのに、ビートルズっぽくないんです。


ジョージのギターのトレモロは、VOXのAC30アンプで増幅され、曲に驚くほど良くマッチしたサウンドを提供しています。あまり注目されていませんが、実は、ビートルズがレコーディングで電気的な効果を使った最初の記念すべき作品なのです。

 

まだ1963年の初頭、アルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」の収録の際に、既にビートルズは、楽器やヴォーカルのサウンドをもっと変えてみたらどうだろうと、話し合っていたのです。ジョージは、9月にこの曲を収録する時に、レコーディング・エンジニアのノーマン・スミスに対し「ギターのサウンドを圧縮できないかな?オルガンみたいなサウンドにしたいんだ。」と提案したのです。

 

そうです。ビートルズのサウンドに革命をもたらした最初の人物は、ジョンでもポールでもなく、ジョージだったのです!彼は、それまでのありきたりなサウンドでは満足せず、もっと変わったサウンドを出せないか模索していたんです。このことは、是非記憶に留めておいて下さい。

 

なお、この曲は、ビートルズが初めてラテンのパーカッションを使用した曲でもあります。ジョンがタンバリン、ポールがウッドブロック、そしてリンゴがアラビアン・ボンゴを使用したのです。これらの楽器は後のアルバムでも使用されました。

 

5 エヴリバディズ・トライン・トゥ・ビー・マイ・ベイビー(みんないい娘)

ジョージが大好きなカール・パーキンスのカヴァーです。ジョージがいかに彼の影響を受けたかが良く分かります。後半になるとビートルズ時代の彼にしては珍しく長めのソロを演奏していますが、見事に決まっています。ジョンもポールもパーキンスが大好きだったので、ジョージの長めのソロを認めたのかもしれません。

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6 アイ・ニード・ユー

ジョージの2曲目のオリジナルです。これもメランコリックでキラッと光る作品です。演奏の途中でギターのヴォリュームを変えることに関しては、既に1964年の「ベイビーズ・イン・ブラック」でジョンがジョージのギターのヴォリュームを演奏中につまみで変えていたのです。この時は手動で変えていたんですね。

 

ビートルズは、1966年にライヴを中止してスタジオでの収録に専念し、テープを逆回転させるなど様々な実験をしました。それより1年も前にジョージは、生のサウンドに飽き足らずヴォリューム・ペダルと出会い、足で自在にギターの音量を変えられるその音響効果に魅了されました。

 

この作品でジョージが初めてこの機材を使用した結果、彼のギターのサウンドは、この作品の特徴となった独特のうねりを持ったむせび泣くようなものになりました。初めて使用したのでややタイミングがズレている感がありますが、物悲しい歌詞の雰囲気に良くマッチしています。

 

この後、彼はこれを他の作品でも使用しました。やがてワウペダルも登場し、多くのアーティストたちも使用するようになりました。単にサウンドをアンプで増幅するだけではなく、機材を駆使して色々と手を加えるようになったのです。

 

この曲の簡潔なヴォーカルと自己矛盾をはらんだ歌詞は、ちょうどジョンの「スィンク・フォー・ユアセルフ」と同じように、ジョージが伝統的なラヴ・ソングとは違う曲を作ろうという考えに基づいたものでした。「レノン=マッカートニーとは違う」というところをあえて見せたかったのでしょうか?

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7    ザ・ナイト・ビフォア

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この作品では、ジョージは、最初のレコーディングでサイド・ギターを弾いています。その後、リード・ギターをオーヴァーダビングすることになりましたが、まだ誰が弾くか決めていませんでした。

 

ちょっと気が付かないかもしれませんが、実は、ジョージとポールが、オクターヴ違うツイン・リード・ギターを弾いています。ただ、どちらのアイデアかも分かりませんし、どちらがどちらのパートを演奏したのかもはっきりしないのですが、恐らくジョージが上、ポールが下ではないかと推測されます。しかし、リハーサルをしっかりやったので、2人がピタリと息の合った演奏をしています。同じメロディーをジョンがエレクトリック・ピアノで弾いていますから、サウンドに厚みが増しています。

 

ツイン・リード・ギターといえば、「アンド・ユア・バード・キャン・シング」がパッと浮かびますが、既にこの作品でその奏法を採用していたのです。

(参照文献)ROLLINGSTONE, BEATLES MUSIC STORY, Beatles books

(続く)

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