1 メンフィス・テネシーについて
ビートルズが演奏した曲のうち「メンフィス・テネシー」は、ビートルズが敬愛する偉大なアメリカのロックンローラー、チャック・ベリーの曲です。確かに、ロックンロールというよりはC&Wに近いライトな感覚の曲ですね。ジョンがアマチュアの頃にリーダーだった「クオリーメン」がやっていたスキッフルに近い感じです。これがチャック・ベリーのオリジナルです。相変わらずカッコいいですね。
Memphis Tennessee - Chuck Berry
1963年までイギリスではこの曲は殆ど知られていなかったにも関わらず、ビートルズは既にこの曲を良く知っていて、1961年までには既にレパートリーに加えていたのです。何故彼らがこの曲を知っていたのかは分かりませんが、1959年にアメリカでリリースされたチャック・ベリーの「Back In The U.S.A.」というシングル盤のB面に収録されていました。
ふ〜ん、「Back In The U.S.A.」のB面にねえ~、…あれ、何かどっかで聞いたことがあるようなタイトルだなあ〜…え⁉︎ちょっと待って?これって1968年にビートルズがホワイトアルバムに収録した「Back In the U.S.S.R.」とそっくりなんだけど?って気が付いたあなた、良いカンしてますね。そうです、ビートルズのあの名曲のタイトルは、実はこの曲のパロディーなんです。
そして、ビートルズがデッカのオーディションを受けた時の15曲の中にも入っていました。最初にこの曲を見つけたのはジョンで、ポールは、ジョンの自宅の寝室でこの曲を教えてもらいました。ポールは、その時のことをこう語っています。「何しろリフがとてつもなくカッコよかったんだ。それで僕はガツンとやられたんだよ。」
2 ピルビームがビートルズについて受けた印象
ところで、プロデューサーのピーター・ピルビームは、他にも似たようなバンドが沢山いたのに、何故ビートルズをBBCに出演させようと決めたのでしょうか?
そのことについて彼は、こう語っています。「オーディションを受けたグループは、どれもこれもロクなのがいなかった。ところが、一組だけズバ抜けた連中が現れたんだ。それがビートルズだった。」
「ビートルズなんて変なバンド名だし、みんな『ワオ、ギャー!』なんて叫んでるしさ。他のグループには何の興味も湧かなかったけど、この連中だけはその時強烈に印象に残ったよ。」
「私は、彼らのオーディションの後にレポートを書いたんだが、3本のギターとドラムから強烈なサウンドが響いてきたことを賞賛したんだ。」
「一つ面白いことがあるんだが、私はジョンとポールのヴォーカルを聴いて、ジョンは良いが、ポールのはダメだと書いた。ポール、ゴメンね。でもさ、その時、君の出来が悪かったのはホントだよ。だから、厳しい評価を下したんだ。」
このピルビームの眼力は賞賛すべきでしょう。オーディションを受けた沢山のグループの中からビートルズを見出したんですから。それに、ポールのヴォーカルに対する評価は、率直に間違った判断をしたと謝罪しています。こんなところも好感が持てますね。ダメな人間程、自分の過ちを認めませんから。
「当時、我々の番組は30分で、プレゼンターがその日に出演するグループと歌手を紹介し、その後で彼らが演奏するという、ちょっと変わったスタイルを採っていた。ビートルズは、スタジオにやってきて素晴らしい演奏をやってくれたよ。私は、彼らにとても感銘を受け、最初の収録が終わってすぐ次の収録をブッキングしたんだ。」
「私が興味を惹かれたのは、彼らがショーで2人のヴォーカルが、つまり、「ハロー・リトル・ガール」(これは放送されませんでした)と『メンフィス・テネシー』をジョンがやり、『ドリーム・ベイビー』をポールがやったことだ。この曲はオーディションの時も演奏した曲で、前に言ったように私はダメ出ししたんだがね。それからジョンが『プリーズ・ミスター・ポストマン』を歌った。」
3 驚異のダブル・リード・ヴォーカル
ところで、彼は、ビートルズがジョンとポールのダブル・リード・ヴォーカル・スタイル(そんな音楽用語はありませんが)を採っていたことに興味を惹かれたと言ってますね。なぜだか分かりますか?
彼がその理由を語っていないのは、あえて言う必要もない位、その当時は当たり前だった音楽事情が背景にあったからです。つまり、その頃のバンドのリード・ヴォーカルは1人と決まっていて、それ以外のメンバーは、コーラスに回るというのが殆どだったんです。
当然のことながら、リード・ヴォーカルをやるためには、それにふさわしい歌唱力が必要です。それもミック・ジャガーみたいにリード・ヴォーカルだけに専念できるなら良いんですが、ギターを演奏しながらリード・ヴォーカルもやらなければならないとなると、これはかなりの負担です。それだけでも大変なのに、ビートルズがジョンとポールという2人の優れたリード・ヴォーカルを揃えているというのは、とても珍しいというか貴重な存在だったんです。
しかも、この2人のヴォーカルは、基本的にジョンは、ロートーンでワイルドでパワフル、ポールは、ハイトーンで甘く優しいヴォイスと全く異なるスタイルです。当然、グループとしてのレパートリーは幅広くなり、様々な楽曲を演奏できました。そこにピルビームは魅力を感じたのです。
彼は、それ以上は語っていないのですが、もちろん、彼らがハンブルク、キャヴァーンなどで鍛えてきた実力も当然評価の対象だったハズです。ハンブルクでは、酔っ払いの船員達に無視され、絡まれ、ヤジを飛ばされてロクに演奏を聴いてもらえませんでした。女達と戯れている彼らにステージへ目を向けさせ、盛り上げるためには、テクニックに加えてエンターテイメントの要素を盛り込まなきゃダメなんだということを、ビートルズは骨の髄まで叩き込まれたんです。
もちろん、ジョン、ポール、ジョージの3人は、朝から晩まで必死にギターやベースを練習しました。それでメキメキと腕を上げたんです。でも、テクニックだけでは観客のハートを鷲掴みにすることはできません。
彼らがデビュー後に世界中を熱狂させたのは、オリジナルの楽曲がヒットしたからです。しかし、まだオリジナルが殆どなく、カヴァーだけで勝負しようとすれば、余程アレンジや演奏、パフォーマンスなどを工夫しないと受けません。
ビートルズの登場以降、数多くのロックバンドがデビューしましたが、なかなか複数のメンバーがリード・ヴォーカルをやるバンドは現れませんでした。例えば、ローリング・ストーンズもミック・ジャガー1人でしたからね。彼も偶にライヴでギターを演奏しますが、そんなに上手くはありません。ギターを演奏しながらリード・ヴォーカルをやるというのは、相当難しいもんなんです。それが2人もいるんですから、こんな強力なグループはありません。
4 交替したドラマー
ビートルズは、1962年中に3回、ピルビームの前で演奏しました。そして、3回目の時にはドラマーがピート・ベストからリンゴ・スターに交替し、ファースト・シングルの「ラヴ・ミー・ドゥ」がリリースされたのです。
記録には残っていませんが、ピルビームもさぞビックリしたことでしょうね。いつの間にかドラマーが替わっていたんですから。ということは、少なくとも彼にとってはピートのドラムはそれ程気にはならなかったということでしょうかね?
そこは、プロデューサーですから、ピートのテクニックに問題があったのなら、遠慮なくダメ出ししたハズです。いや、正直、ピートのテクニックにハッキリダメ出ししたのは、音楽にはズブの素人のブライアンです。正確にはピートをクビにすると言っただけですが、それってテクニックにダメ出ししたのも同然ですから。
その当時、ピートのテクニックにダメ出ししたのは他にいないハズです。後になってパーロフォン・レコードでの「ラヴ・ミー・ドゥ」の収録の時に、ジョージ・マーティンがセッション・ドラマーとしてアンディ・ホワイトをセットしていました。ということは、直接ダメ出しこそしていないものの、ピートのテクニックを評価していなかったのは事実でしょう。
ピートのドラム・テクニックについては、また、機会を改めてお話しします。
(参照文献)americanradiohistory
(続く)