★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その82)ビートルズのラジオ出演について(その1)

1 ブライアン・エプスタインのメディア戦略
ビートルズのマネージャーをアラン・ウィリアムスから引き継いだブライアン・エプスタインは、ビートルズリヴァプールのクラブから離れた他の地域で演奏させることを計画していました。イギリス国内のありとあらゆるコンサートホールや、テレビ、ラジオにできる限り多く出演させて露出を増やし、彼らの存在をもっとメジャーにしてレコード・デビューさせるキッカケを掴もうとしていたのです。

 

現代なら当たり前のメディア戦略ですが、当時ではまだそんなことは誰も考え付きもしませんでした。しかも、ブライアンは、あくまでマネージャーであって、芸能事務所の社長じゃないんですからね。でも、彼のやったことは、殆どその後に芸能事務所がやり出したことと変わりません。やはり、異才のマネージャーだったんです。

 

彼をその気にさせたキッカケは、ビートルズにオーディションを受けさせながら合格させなかった他ならぬデッカ・レコードです。つまり、実力があるのに合格できなかったのは名前が売れていないせいだ、先にもっと名前を売らないとダメだということをイヤという程思い知らされたのです。

 

しかし、デッカの冷淡な態度は、ブライアンを一時的に打ちのめしはしましたが、おかげで彼は闘志に火を付けられたんですね。「ようし、見てろよ絶対に見返してやるからな」って。まあ、そういう意味ではデッカもビートルズの成功に貢献してくれたのかもしれません(笑)

 

2  BBCのラジオ番組のオーディション
ブライアンは、1962年1月10日、エンターテイメント部門のオーディションを主宰するマンチェスターのピカデリーガーデンにあるBBC放送曲を訪問しました。彼が望んでいたのは、ビートルズを番組に出演させる決定権を持つラジオ・プロデューサーにアポイントを取り、出演の許可を得ることでした。

 

ブライアンの申請は承認され、ビートルズは、1962年2月12日、BBCへ行き、イギリスの北西部で制作され、全国放送される予定の10代向けの番組を制作しようとしていたピーター・ピルビームの前で演奏することになりました。

 

彼らは、「ライク・ドリーマーズ・ドゥ」「ティル・ゼア・ワズ・ユー」「メンフィス・テネシー」「ハロー・リトル・ガール」の4曲を演奏しました。前の2曲はポールが、後の2曲はジョンがリード・ヴォーカルでした。ピルビームは、ブライアンの願書の裏にジョンのヴォーカルは良いが、ポールのはダメだと簡単に評価を付けました。もっとも、彼は、後年、このことについてポールに謝罪しないといけないと語っています。

 

それはともかく、幸運なことに、デッカのディック・ロウと違ってピルビームは、彼らの才能に気が付いてくれ、オーディションに合格させ、ラジオに出演することを認めてくれたのです。そして、彼らの人生初のスタジオでの収録が始まりました。ピルビームは、彼らがとてもピリピリしていることに気付きました。流石の彼らもこの頃はまだまだヒヨッコですからね。緊張するなという方がムリでしょうf^_^;

 

しかし、目が節穴だった、あるいは耳が洞穴だった当時の殆どの音楽関係者(失礼!)の中にあって、まだ他のアーティストのカヴァー曲しか演奏していないのに、早くもビートルズの才能に気が付いたのこのピルビームという男、相当な慧眼の持主です。

 

ボブ・ディランもアメリカ人では最も早く彼らの才能に気づいた一人ですが、彼ですらビートルズのオリジナル曲を聴いて初めて気付いたのですから。それをカヴァー曲の演奏だけで見抜いたのは凄いとしか言いようがありません。恐らく、プロの音楽関係者では、彼が一番最初にビートルズの才能を見抜いたのではないでしょうか?

 

しかし、彼の慧眼をもってしてもポールのヴォーカルに対する評価は低かったんですね。もっとも、これは一概に彼に見る目がなかったとはいえないかもしれません。というのは、当時の記録が見当たらないので何とも言えませんが、流石のポールもオーディションとはいえ初めてのBBCのスタジオ収録ということで、緊張していつもの実力を出せなかったのかもしれませんから。

 

ピルビームは、こう語っています。「初めての収録なんだから、普段通りにやろうと思ったってできっこないさ。それでも、彼らは良くやったよ。プレイハウス・スタジオには10代の若い観客が大勢詰めかけ、我々がやっていることをしっかり観てるんだ。ノーザン・ダンス・オーケストラというグループにも演奏させたんだが、ステージでムリして10代の子達みたいにジャンプしてたっけ。そういや、彼らはどこへ消えたのかな?」

 

彼のビートルズに対する全体的な評価は、「並のグループではない。ロッカーというよりは、カントリー&ウェスタンを演奏する傾向にある。」というものでした。ただ、ここで重要なのは、音楽プロデューサーによってビートルズに一定の評価が与えられたことです。そして、彼らは、ついにラジオ出演を認められたのです。その出演契約は、2月20日に締結されました。ここからビートルズとBBCとの長く実り多いお付き合いが始まることになるのですが、その当時は、もちろん誰もそんなことは予想すらしていませんでした。

 
3 記念すべき初収録
こうしてめでたくオーディションに合格したビートルズは、1962年3月7日、マンチェスターのハルムにあるプレイハウスシアターで、ついに初めてのラジオでのレコーディングを行いました。番組名は「ティーンエイジャーズ・ターン~ヒア・ウィー・ゴー」というもので、翻訳すると「10代の出番だ、さあ行くぞ」ってなとこでしょうか。彼らは、午後3時45分からリハーサルを始めました。なお、この頃のドラマーは、まだリンゴ・スターではなく、ピート・ベストでした。これがプレイハウスシアターです。

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(thebeatlesinmanchester) 

夜になると彼らは早々とスーツに着替え、「ドリーム・ベイビー(ハウ・ロング・マスト・アイ・ドリーム?)」「メンフィス・テネシー」「プリーズ・ミスター・ポストマン」という3曲のカヴァー曲を演奏しました。この写真は収録前のものでしょうか、和やかに談笑してますね。全員スーツ姿で、特にピートのスーツ姿は珍しいですね。ピートは、レコード・デビューはできませんでしたが、ラジオ番組には出演したんです。皆がモップトップなのに、彼だけは相変わらずリーゼントだったんですね。

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(thebeatlesrarity)

この動画の写真は、同じ番組の2回目の収録の時のものです。ビートルズは、番組中の他の3シーンも収録し、レコーディングは午後8時から8時45分の間に行われました。 これが記念すべき収録の音源です。観客の声が入っているということは、スタジオの中に観客を入れてその前で収録したんですね。

# 01. The Beatles - (BBC Radio, "Teenager's Turn / Here We Go" # 1, March 8, 1962)

ジョンが「メンフィス・テネシー」を歌っています。レコード・デビュー後のパワフルでワイルドなヴォーカルに比べてずいぶんライトな感じですねf^_^;)ロックンロールというよりは、C&Wかスキッフルに近い印象をうけます。ポールは、「ドリーム・ベイビー(ハウ・ロング・マスト・アイ・ドリーム)」を歌っています。「プリーズ・ミスター・ポストマン」は、後にアルバムにレコーディングされたものに比べるとテンポが少し速くなっています。

 

ビートルズが、リヴァプールの無名バンドからイギリス全土を制覇するメジャーバンドへブレイクすための扉が、今まさに開かれようとしていたのです。 

(参照文献)americanradiohistory,thebeatlesrarity

 




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