★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(205)ビートルズは、他のミュージシャンにも楽曲を提供していた

In October of 1962, The Beatles (pictured in 1964) released Love Me Do in the UK and the n...

1 自分たちで作詞・作曲して演奏するバンド

Beatles

ビートルズは、「自分たちで作詞・作曲して演奏するバンド」として有名になりました。それまではコンポーザーが楽曲を制作して提供し、ミュージシャンがそれを演奏する「分業制」が一般的なスタイルでした。

彼らが敬愛していたチャック・ベリーやリトル・リチャードも、自分で作詞・作曲し演奏するスタイルでしたが、彼らは、あくまでもソロアーティストであり、いわゆる「ビッグバンド」を率いて演奏していました。

ビートルズが「少人数のバンドを編成して、自分たちの曲を演奏する」というスタイルの先駆者というわけではありませんが、彼らのブレイクを受けてプロアマを問わずたくさんのバンドが結成されました。また、コンポーザーと歌手という分業制を止めて、他人に楽曲を提供してもらわず、自分自身で作詞・作曲するシンガーソングライターを目指す人々が世界中で爆発的に増えたのは事実です。

2 他のミュージシャンに楽曲を提供した

(1)コンポーザーにも憧れていた

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では、彼らは、自分たちが演奏する曲だけを作ったのでしょうか?いいえ、そうではありません。彼らは、他のミュージシャンのために楽曲を制作し、提供したこともあったのです。寝る暇もないくらいの「ハード・デイズ」のさ中に、彼らは、自分たちが演奏する曲だけではなく、他のミュージシャンに提供する楽曲まで制作していたのには驚かされます。

ジョン・レノンポール・マッカートニーのゴールデンコンビ、すなわち「レノン=マッカートニー」は、ティーンエイジャーの頃から作曲を始めました。彼らは、彼ら自身が「リーバー&ストーラー(スタンド・バイ・ミーなどの名曲を数多く制作した)」や「ロジャース&ハマースタイン(「サウンド・オブ・ミュージック」などの傑作ミュージカルを制作した)」のような素晴らしい作曲チームになることを夢見ていました。

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写真は、エルヴィス・プレスリーを挟んで左がマイク・ストーラー、右がジェリー・リーバーで、「監獄ロック」の譜面を眺めているところです。

 

(2)提供した楽曲はほぼヒットした

colecciones:  âThe Rolling Stones, London, 1964. Photo by Jean-Marie Périer.  â

1963年から1964年にかけて、彼らは、ローリングストーンズを含む他のミュージシャンに16曲を提供し、彼らを成功へと導いたのです。

そのうちの半分は、元々自分自身のために書いたものであり、残りの半分は、ビートルズのマネージャーであったブライアン・エプスタインがマネジメントをしていた他のミュージシャン、例えばビリー・J・クレイマーやシラ・ブラック、ピーター&ゴードンに提供するために書いたものです。つまり、専門のコンポーザーのようなこともやってたんですね。

それらのうち、イギリスでは2曲が1位、さらに10曲がトップ40入りしました。アメリカでも1曲が1位となり、5曲がトップ40入りしました。それらは、当時のポピュラーミュージックではお決まりのパターンで制作されたものの、ヒットしたことは、彼らの洗練された作曲家としての才能を裏付けています。

ビートルズは、自分たちが演奏する楽曲を制作するだけでも一杯一杯だったはずなのに、他のミュージシャンにも楽曲を提供する仕事をしていたなんてスゴ過ぎますよね(^_^;) しかも、それらがちゃんとヒットしてるんですから。

では、具体的な作品をご紹介しましょう。

 

3 「I’ll Be on My Way」~ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタス

(1)初めて他のミュージシャンに提供した楽曲

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これは、レノン=マッカートニーが、初めて他のミュージシャンのために作った曲です。

もっとも、この表現は正確ではありません。なぜなら、この曲のクレジットは、レコード盤を見れば明らかな通り「マッカートニー=レノン」とされているからです。この頃は、まだジョンとポールとの間で、クレジットをどうするかについてはっきりとした取り決めはありませんでした。

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クレジットからも明らかなように、これは主にポールが制作した曲です。ジョンも1980年のインタヴューで「これは、ポールが車で国境を越える時に作った曲だ。」と認めています。おそらく、1961年頃に制作されたのではないかと考えられています。

ダコタスのファーストシングルのB面に収録され、1963年4月26日にリリースされました。ちなみにA面は「Do You Want to Know a Secret」で、ビートルズが1か月前にリリースしたアルバム「Please Please Me」に収録されていました。

リヴァプールの音楽シーンでは、最も人気のある歌手の一人としてクレイマーもブライアン・エプスタインと契約していました。プロデューサーのジョージ・マーティンは、ブライアンがマネジメントしていた全てのミュージシャンと同じように、彼のシングルを制作しました。

Billy J. Kramer and the Dakotas

 

(2)チャート2位を獲得!

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ビートルズとダコタス

この曲は、イギリスのチャートで2位を獲得したのですが、その時には皮肉なことにビートルズの「From Me To You」が1位を占めていたので、トップにはなれませんでした。つまり、「From Me To You」さえなければ、彼らの曲が1位になっていたはずだったのです。

結果論になりますが、ビートルズがこの曲を温存しておいて自分たちでリリースすれば、チャート1位を獲得した曲がもう1曲増えたことになったでしょう。

レノン=マッカートニーの作品が同時にチャートの1位と2位を独占したのは特筆に値します。でも、これってシングルB面の曲なんですよ。それがチャート2位になるなんてすごくないですか?

この曲は、明らかにバディ・ホリーの叙情的なサウンドスタイルから影響を受けています。彼の1959年の「It Doesn’t Matter Anymore」のように、失意から立ち直ろうとする主人公の気持ちを表現しています。

ただ、ビートルズは、デッカのオーディションでもEMIのセッションでも、この曲は演奏しませんでしたし、シングルカットもせずアルバムにも収録しませんでした。

1963年4月4日にBBCラジオで素晴らしい演奏を披露しましたが、この曲は、後に1994年のコンピレーションアルバム「Live At the BBC」に収録されました。これが唯一音源として残されています。ひいき目に見るせいかもしれませんが、ビートルズのアレンジの方が優れています。

歌詞を読めば、失恋した主人公が恋人に別れを告げる切ない心境を歌った曲だと分かりますが、ビートルズがしっとりとした演奏でそれを表現しているのに、クレイマーのアレンジでは明るくポップなイメージになっていて、歌詞とミスマッチな感じがします。

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この曲は、ポールが後に制作した「I’ll Follow the Sun」のデモ・ヴァージョンともいえるもので、その輝くばかりのバディ・ホリー風のギターは、愛が冷めてしまった時のほろ苦さを表現しています。

ぜひ、聴き比べて下さい。それから歌詞も比較してみると類似点が多くあることに気づきます。

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4 「Bad to Me」~ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタス

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ジョンは、上記の曲だけでは足りないと考えたのか、ダコタスに「Bad to Me」も提供しました。なんとまあ、気前が良いというか、至れり尽くせりですね(^_^;) 

この曲は、彼が後に制作した「If I Fell」のように、主人公が恋人に対して、絶対に自分を傷つけないと約束してくれと求める内容の歌詞になっています。

皮肉なことに、ジョンは、ブライアンとスペインで休暇している間にこの曲を制作しました。何が皮肉なのかというと、ブライアンは、ホモセクシュアルだったのです。その背景を考慮に入れると、この曲は、まるでジョンがブライアンに対して、恋愛感情を抱いているかのような内容になってしまいます。

こちらがビートルズのヴァージョンです。

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ブライアンがジョンに対して恋愛感情を抱いていたのは事実で、そのことは、メンバーやスタッフもみんな知っていました。しかし、ジョンにはそれを受け入れる気はありませんでした。あくまでも、ブライアンの片想いだったということですね(^_^;)

1963年7月26日にリリースされると、この曲は、イギリスでチャート1位を獲得しました。1964年にはアメリカで9位を獲得しました。ダコタスは、ビートルズのおかげでイギリスだけでなく、アメリカでも成功したのです。正にビートルズさまさまですね。

っていうか気前良すぎだろ、ビートルズ

長くなるので、この続きは次回で。

 

(参照文献)BROWBEAT, The-Paulmccartney-Project

(続く)

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