★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(209)レノン=マッカートニーは、「Yesterday」よりも先にオーケストラを導入した楽曲を制作していた

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1 「I’m in Love」~ザ・フォーモスト


I'm in Love

(1)アーサー・アレキサンダーとは?

ジョンは、「I’m in Love」の印象に残るデモをレコーディングしましたが、これは、ビートルズが初期にしばしばカヴァーしたアーサー・アレキサンダーやガールズグループの影響を受けたものです。

「アーサー・アレキサンダーって誰だ?」と思う方が殆どだと思いますが、ビートルズは、彼の「Anna (Go To Him)」をアルバムに収録しています。ビートルズがこの曲をカヴァーしたことにより注目を集めました。

60年代のアメリカの歌手で、本国ではあまりヒットに恵まれませんでしたが、ビートルズローリングストーンズ等のイギリスのバンドがこぞってカヴァーし、イギリスのポピュラー音楽に影響を与えた歌手の一人とされています。

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(2)ザ・フォーモストがリリース

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ジョンは、1971年のインタヴューでは「ザ・フォーモストのために制作した」と応えていますが、1980年のインタヴューではあまりはっきりと覚えていないと応えています。現在では、主にジョンが制作してポールが手伝ったのではないかと考えられています。

ビートルズは、クレイマーに対してアレキサンダーの印象的なヴォーカルを見習うようコーチしました。彼らは、レコーディングはしたもののリリースは見送り、結局、ザ・フォーモストがシングルとしてリリースすることになりました。

(3)ダコタスはなぜリリースしなかったのか?

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ダコタスは、かなりの数の楽曲をレノン=マッカートニーから提供されたのは、これまでお話ししてきた通りですが、リリースしなかった曲も多くあります。その中の一つに大ヒット曲があったのは前回ご紹介しました。

彼らがなぜ提供を断ったのかは分かりませんが、あまりにレノン=マッカートニーに「おんぶに抱っこ」状態だったのを嫌ったのかもしれません。まあ、その気持ちもわからないわけでもありませんが、どうせ自分たちでは作れなかったんですから、そこは素直に乗っかっておけばよかったのではないでしょうか?「たられば」の話をいくらしても仕方ありませんが(笑)

ザ・フォーモストのヴァージョンは、1963年11月15日にリリースされ、UKチャート17位を獲得しました。この曲の制作を終えた後、ジョンは、本の執筆と映画の制作に集中しました。

 

2 「It’s For You」~シラ・ブラック〜「Yesterday」よりも先にオーケストラを導入した

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シラ・ブラックは、バート・バカラックのカヴァー曲である「Anyone Who Had a Heart」でUKチャート1位を獲得しました。その後、ポールは、ジャズっぽいワルツのようなこの作品を制作しました。

これは、有名なミュージカル「ウエストサイド・ストーリー」の挿入歌、「A Boy Like That」からヒントを得たものです。

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ポールは、ジョージ・マーティンのオーケストラをバックにピアノを弾きました。彼は、その年の記者会見でレノン=マッカートニーの最高の作品の一つだと強調しました。

この作品は、1964年7月31日にリリースされ、イギリスではチャート7位にランクインしたものの、アメリカでは79位と低迷しました。それでも、それまでのビートルズの作品とは異なるパターンの芸術的な作品となり、その後、1965年にリリースされた「Yesterday」よりも先にオーケストラを導入したのです。「Yesterday」は、ビートルズが初めてオーケストラを採用した楽曲ですが、レノン=マッカートニーは、それより先にポピュラーミュージックに導入していたんです。

「Yesterday」でオーケストラをバックに挿入するというアイディアはマーティンが提案したものですが、当初、ポールは「ロックにオーケストラなんてあり得ない。」と拒否したことは有名です。もっとも、ロックといってもバラードですから、何ら不自然ではないどころか、彼は、前年にブラックへ提供した作品とはいえ、既に導入済みでしたからね(^_^;)

他のミュージシャンに提供した楽曲だったために、ポールがそのことを忘れてしまっていたのか、あるいは、自分で演奏する曲だから拒否したのかは分かりません。マーティンもたった一言「シラの「It’s For You」の時にだってオーケストラを導入したじゃないか!」と言えば済んだはずですが、彼も忘れてたんでしょうか。

 

3 「I Don’t Want to See You Again」〜ピーター&ゴードン

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この作品は、マーティンのプロデュースではありませんでした。しかし、この曲にも甘いストリングスがフィーチャーされています。とすると、ポールが自らストリングスを導入したということになります。Yesterdayの時はあれほど頑なに拒否していたのに、自ら導入したのは何故でしょうか。

彼が63年から66年までジェーンの自宅に同居している間に制作した、恋人同士のいざこざをテーマにした多くの楽曲のうちの一つです。架空の話ならいいんですが、ボールとジェーンとのいざこざは現実の話ですから、どういう心境で歌えばいいのか戸惑いますよね(^_^;)

おまけにピーターの方は、彼女の実の兄ですから。それでも、この2人は、大人びた感じでうまく歌いました。

1964年9月11日にリリースされ、アメリカではチャート16位にランクインしました。しかし、本国のイギリスではチャートインできませんでした。

 

4 ビートルズはなぜこれらの作品を手放したのか?

(1)残された謎

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これで、ビートルズが他のミュージシャンに提供した楽曲の解説は終わりますが、ここで大きな疑問が一つ沸いてきます。

それは、ビートルズは、なぜこれらの作品を他のミュージシャンに提供したのか?」ということです。それらの中には全くどうしようもない作品もありましたが、チャート1位を取った曲も数多く含まれていました。

それなら、他のミュージシャンに提供せず、ビートルズ自らが演奏していれば、間違いなく彼らのシングルチャート1位の曲はもっと増えたはずです。少なくとも、アルバムに収録されたオリジナル曲ももっと増えていたに違いありません。

(2)初期のビートルズは、ジョンが主導していた

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その謎を解き明かすためには、「初期のビートルズは、ジョンが主導していた」という事実を認識する必要があります。その頃は、彼の主導の下でシングルやアルバムが制作され、ポールが主導権を握る余地はありませんでした。その結果、他のミュージシャンに提供された楽曲の多くは、ポールが制作したものとなりました。

ビートルズのリーダーはジョンだ。だから、彼の方針に従う。」というのが彼らの中の暗黙の了解でした。もっとも、それは、ジョンが決してビートルズを独裁的に支配していたことを意味するわけではありません。その証拠に重要なことは4人で話し合って決め、1人でも反対すればやらないというのも暗黙の了解でしたから。

というより、当時、彼から溢れ出る才能が凄まじく、ポールは、それをサポートすることが多くて、結果的にシングルA面は、彼の曲で占められることになったと説明した方がより実態に近いかもしれません。

(3)ポールの才能を重要視していなかったのか?

Paul McCartney 1966. | The beatles, Paul mccartney, Beatles songs

ピーター&ゴードンに提供した曲のように、その頃、既にポールは、ジョンとデュエットできるクオリティーの高い曲を数多く制作していたのです。にもかかわらず、それらは、ビートルズのシングルA面はおろか、アルバムにすら採用されませんでした。

この頃のビートルズ、そして、ポール自身も自らの創造的なエネルギーの多さにまだ気づいていなかったのかもしれません。本当に軽い気持ちで提供していたのでしょう。その証拠に、彼が自分の才能を明確に認識するようになった1964年以降の3年間になると、彼は、1年に1曲しか他のミュージシャンに提供しなくなりました。

もちろん、これは「後になって考えてみれば」ということであって、当時の彼らには「良い曲を他のミュージシャンに提供するのは惜しい」といったケチな考えは毛頭ありませんでした。他のミュージシャンなら喉から手が出るほど欲しがる曲であっても、彼らは、「そんなものはいくらでも作れる」という自信があったし、実際に作ってきたからです。

(4)ビートルズにはふさわしくなかったのか?

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それともう一つ、「確かに良い曲だけど、自分たちがレコードにする曲じゃない」と判断したのかもしれません。もちろん、彼らが演奏すれば素晴らしい作品になったに違いありません。しかし、「それでは却って、自分たちの個性が失われてしまう」というリスクを懸念したとも考えられます。

最初から他のミュージシャンに提供するつもりで制作した作品はもちろん、元々は自分たちのレコードに収録するつもりで制作したものも、冷静に分析した結果、どうも自分たちにはふさわしくないと考えたとしても不自然ではありません。

かといって、ポピュラーミュージックは生ものですから、そのまま寝かしておけば古くなってしまって使い物になりません。それなら、他のミュージシャンに提供した方が、印税を稼げるだけずっとメリットが大きいわけです。

ただ、一ファンとしてみると、「何かもったいないことをしたなあ〜。ビートルズがレコードにしてくれれば良かったのに。」という気がしなくもありません(^_^;)

長くなりましたが、これでこのシリーズは終わりとします。次のテーマは…考え中です(笑)

 

(参照文献)SLATE

(続く)

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