★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(206)まだあるビートルズが他のミュージシャンに提供した楽曲~あのストーンズにも

Os Beatles e um rock em estilo engomadinho, no começo da carreira. Inspiração para o dia do rock!

1 「I Call Your Name」~ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタス

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これは、「Bad to Me」のB面としてリリースされました。

ジョンがビートルズを結成する前に書いた曲でポールが手伝ったのですが、どう見ても失恋を歌った曲に思えます。しかし、ポールは、ふと「これは、ジョンが両親から捨てられた経験を歌った曲ではないのか?」という疑念を抱きました。ただ、ジョンは、そのことについて何も語らなかったので、ポールもあえて聞きませんでした。なので、真相はわかりません。

これまた理由がはっきりしませんが、ビートルズは、1年後にアレンジを変えてセルフカヴァーしました。これは、アルバム「ア・ハード・デイズ・ナイト」の制作の時にレコーディングされましたが、テイク1の前にジョンが「ビリー・Jのイントロとソロになっちゃってるかな?どっちみちオレたちの曲なんだけどさ。」と話している声がマイクで拾われています。レコーディングしたものの、結局、アルバムには収録されませんでした。

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この曲は、私の大のお気に入りなんですが、クレイマーのアレンジも決して悪くはないと思います。特に、キーボードが光ってますね。ただ、ビートルズのヴァージョンと比較するとパンチに欠けるというか、メリハリが効いているのはビートルズの方ですね、って、これまたひいきし過ぎかな(笑)

 

2 「Tip of My Tongue」〜トミー・クイックリー

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ビートルズは、1962年11月にアルバム「Please Please Me」のセッションでこの曲をレコーディングしましたが、ブライアンがマネジメントしていたクイックリーにさっさと渡してしまいました。アルバムに収録するクオリティーには達していないと判断したのでしょう。

この曲は、1963年7月30日にリリースされましたが、チャート入りはできませんでした。ってことは、彼らの判断が正しかったということですね。

3 「Hello Little Girl」〜ザ・フォーモスト

(1)ジョンが初めて制作した曲

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この曲は、1957年にジョンが作曲しました。母親がコール・ポーターが作曲した「It's De-Lovely」を歌っているのを聴いてヒントを得て書いたもので、生まれて初めて書いた曲です。ビートルズは、これをリヴァプールのクラブで演奏していた頃からのバンド仲間であるザ・フォーモストに提供し、1963年8月30日にリリースされました。

(2)デッカのオーディションで演奏

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この曲は、ビートルズが1962年1月1日のデッカレコードで、プロとして初めてレコーディングしたオーディションで演奏した3曲のオリジナルのうちの1つです。

しっかりとした「ドゥー・ワップ」スタイルのハーモニーと、温かいハミングでクオリティーのある曲にもかかわらず、ビートルズがアルバムに収録しなかったのは不思議です。

これは私の勝手な憶測ですが、ビートルズのオリジナルにしては、ちょっと「らしくない曲」なんですよね。彼らが嫌っていた甘ったるい白人のポピュラーミュージックに近い印象を受けます。それで外されたのかもしれません。

それとも、「オーディションに落とされた時のゲンの悪い曲」だったからでしょうか(笑)でも、それなら「Till There Was You」だって同じですけどね。やっぱり、曲自体が気に入らなかったのでしょう。

フォーモストの最初のヴァージョンでは、曲の冒頭からガンガン、ファルセットが入っていたのですが、その後、彼らは、ビートルズのデモに忠実に再現しました。ビートルズのアレンジの方が優れていると判断したのでしょう。

この曲は、イギリスのシングルチャート9位を獲得しました。ビートルズが要らないと思った曲ですら、トップ10入りするんですから本当にモンスターバンドです。

 

4 「Love of the Loved」~シラ・ブラック

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1963年9月27日にシラ・ブラックは、デッカレコードから「Love of the Loved」をリリースしました。

彼女は、下積み時代のビートルズが演奏していたリヴァプールのキャヴァーン・クラブで客のコートを預かる仕事をしていました。やがて彼女は、ブライアンがマネジメントする唯一の女性ミュージシャンになりました。

彼女は、シャーリー・バッシー(映画007の主題歌「ゴールドフィンガー」を歌った歌手)と似たタイプの声量のある歌手となり、「Love of the Loved」は、彼女のデビューシングルとしてリリースするため、キャバレー風の曲に微調整されました。

ポールは、1958年頃に制作したと思われるこの曲を、初期のビートルズラテン音楽のスタイルで演奏していました。それは、彼にとって英雄であったエルヴィスをオマージュしたものでした。その当時エルヴィスは、イタリア風のバラードでヒットを飛ばしていたのです。

彼は、マリアッチ・ブラス(1960年代から活動しているジャズバンド)風の作品に仕上げています。「Love of the Loved」というこのタイトルをどう翻訳したらいいのか、ちょっとよく分かりません(^_^;)

UKチャートでは35位でしたから、まあそこそこヒットしたというところでしょうか?

ビートルズ・ヴァージョンはこちらです。

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5 「I Wanna Be Your Man」~ローリングストーン

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ビートルズが他のミュージシャンに提供した楽曲としては、これが最も有名でしょうね。

ビートルズの元広報担当だった19歳のアンドリュー・オールダムは、彼が管理していた新人であるローリングストーンズのシングル曲が欲しいとポールに語りました。

彼らは、チャック・ベリーの「カム・オン」をカヴァーしたシングルを1963年6月7日にリリースし、UKチャートで21位にランクインし、デビューを飾ることができました。しかし、その後は鳴かず飛ばずで、ヒットするシングル曲を喉から手が出るほど欲しかったのです。当時、ミック・ジャガーキース・リチャーズは、まだ自分たちのオリジナル曲を作っていませんでした。

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ポールがこの話を聞いた時点では、まだ「I Wanna Be Your Man」のコーラス部分しかできていませんでした。ジョンとポールは、ストーンズとスタジオでレコーディングしていた彼らに合流し、20分で彼らのために作りかけの曲を完成させました。

自分たちの目の前で、ジョンとポールが曲をみるみる完成させていく様子を見せつけられたミックとキースの二人は大いに刺激を受け、自分たちもコンビで曲を作ろうと決意したのです。そして、彼ら自身のレコードとは別に、1963年から1964年にかけて他のアーティストのために19以上の曲を書きました。

ストーンズのヴァージョンは1963年11月1日に発売され、UKチャート12位を獲得し、彼らにとって最初のトップ20入りを果たしたヒット曲になりました。リンゴは、その3週間後にリリースしたアルバム「With the Beatles」でこの曲を歌いました。これは、彼の十八番(おはこ)になりました。

 

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6 「I’ll Keep You Satisfied」~ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタス

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またまたダコタスですよ(^_^;)ビートルズが、よほど彼らを気に入っていたのか、それともブライアンが力を入れていたんでしょうか?

ストーンズが自分たちのシングルをリリースした同じ日に、クレイマーは、ポールが制作したこの曲をリリースしました。これは、「From Me To You」をダコタス向けに作り直したものです。UKチャートでは4位、USチャートでは30位を獲得しました。

ポールの自伝によると、彼は、今でも庭仕事をしている時にこの曲を口笛で吹いているそうです。

このシリーズ、もうちょっと続けます。

 

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(参照文献)SLATE

(続く)