★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その104)ビートルズのテレビ出演(その2)

1 ようやくテレビで放送される

「Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey!のオリジナルは、リトル・ウィリー・リトルフィールドが制作しました。それをリトル・リチャードがカヴァーし、さらにそのヴァージョンをビートルズがカヴァーしました。ビートルズがリチャードのヴァージョンをカヴァーしたことは、1959年にそれがリリースされた時にHey-Hey-Hey!が付け加えられたことからも分かります。ビートルズは、遅くとも1961年のドイツのハンブルク巡業の頃にはこの曲をレパートリーに入れていました。

 

「Cansas City」のテープが終わると、クルーは撮影が終わったとビートルズに告げました。バトラーは、この時のライブの他の曲も収録したようですが、どうやら「Some Other Guy」と「Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey!」の2曲だけが生き残ったようです。後者は、1995年に「アンソロジー・ドキュメント」としてリリースされました。しかしながら、最初の1分間を聴くと、ピッチが遅く、ビートルズとマネージャーのブライアン・エプスタインがキャヴァーンでの思い出を語る声が被ってしまっていました。

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この約1か月後に、ビートルズは、記念すべきファーストシングルの「Love Me Do」をリリースし、レコード・デビューを果たします。この瞬間、彼らは「レコードを出していないプロ」から「レコードを出したプロ」にランクアップしたのです。

 

でも、まだこの頃は、彼らにはキャヴァーンで演奏するという契約が残っていました。彼らはそれから次々とヒットチャートNo.1を獲得し、やがてキャヴァーンを卒業することになります。もう少し、この頃の映像が残っていれば良かったですね。

しかし、再度収録したにもかかわらず、やはり、画質や音質が悪いため「Know The North」では放送されませんでした。その頃ビートルズは、まだ国民的なスターではありませんでしたから、放送されなかったとしても仕方なかったでしょう。ただ、幸いなことにこのフィルムは廃棄されることはなく、その後にビートルズが世界的なアーティストとなった時に、貴重な記録として残されたのでした。

 

グラナダ・テレビは、暫くテープの放送を見送っていましたが、ビートルズの人気が高まるにつれ、ようやく1963年11月6日に「シーン・アット・6:30」という番組で「Some Other Guy」を初放映しました。反響が大きかったのでしょう、グラナダ・テレビは、それ以降何度も繰り返し放送しました。番組名が変わっていますが、名前が変わっただけで同じ番組です。

 

2 テレビ業界で初めてビートルズを発掘した人物

実は、このグラナダテレビのシーン・アット・6:30という番組、地方のローカル局の番組と侮れないなかなかの目利きだったんです。ビートルズを始め、その後もハーマン・ハーミッツ、ホーリーズ、ザ・キンクスザ・フー、シーラ・ブラック、ローリング・ストーンズなどがここを訪れ、最新のレコードを視聴者に披露し、どこよりも早くイギリス北西部でブレイクするきっかけを作ったのです。

 

その立役者は、プロデューサーのジョニー・ハンプでした。彼は、ミュージシャンの資質を見抜く才能を備えていたのです。彼は、多くの才能ある若いミュージシャンを発掘し、彼らを勇気付け、テレビへ出演させたのです。以前、BBCラジオのピーター・ピルビームが業界人として初めてビートルズに着目したことを紹介しましたが、テレビ業界でビートルズに最初に着目したのはハンプです。やはり、何が一流かを見極める能力はこの業界で勝ち残るためには必須なんですね。彼は、テレビにおける音楽番組の黄金時代を築き上げた人物の一人です。

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グラナダテレビは、1984年1月1日に「ジ・アーリー・ビートルズ」と題するドキュメンタリーを放映しましたが、その時に使用された映像は、この最初のものではないかと考えられています。そして、市中で出回っているのは、この時放映された映像を録画したものではないかと言われています。

 

最初に収録された画像では、観客の側からのワンショットのみで撮影されています。しかし、その後出回っている画像は、左右にズームインしたりアウトしたりパンしたりしています。こういった違いがこの映像に関して様々な議論を生む要因になっています。

3    アセテート盤へのダビング

放送を観たブライアンはとても感激し、バトラーに依頼してテープから5枚のアセテート盤をプロモート用にダビングしてもらいました。(その10)でも少し触れましたが、A面が「Some Other Guy」、B面が「Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey!」です。このうち1枚をキャバーンの支配人のレイ・マックフォール、2枚をブライアン、1枚をキャヴァーンのDJのボブ・ウーラーに渡しました。

 

しかし、ウーラーは、保管していたアセテート盤を1993年に盗まれてしまいました。そして、同じ年にクリスティーズのオークションで16,000ポンドでアップルが落札しました。それがウーラーのものだったのかどうかは分かりません。それは、分割され、アンソロジーのTVシリーズに使用されました。

 

ところが、どういうわけか2013年7月の最後の週にインターネットに投稿があり、アセテート盤からノーマルのテンポに編集された曲が流れたのです。一体、誰が編集して投稿したんでしょうか?アップル内部の関係者でしょうか?

 

それにしても残りのアセテート盤は誰が所有しているんでしょうか?いつかオークションに出品されるかもしれませんね。ジョンのギターもそうですが、こういうお宝って突然現れたりしますからね。

 

4 マザー・テープの発見

その例として、アセテート盤ではなくオリジナルのオープン・リール・テープが、プロデューサーだったジョニー・ハンプの机の引き出しから2015年に発見され、リヴァプールでオークションに掛けられ、アップル・レコードが16,500ポンドで購入しました。ね、こんなこともあるんですよ。そのテープがこれです。箱に「THE BEATLES SOME OTHER GUY」とありキャヴァーン、1962年9月5日の日付とバトラーのサインがあります。

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このテープが発見されたのは本当に偶然でした。2014年5月のことです。音楽歴史家のポール・ワイルドは、ハンプが1960年代の音楽、特にテレビ番組で残した偉大な功績について取材していました。

 

取材中にハンプが「そういえば、こないだ机の引き出しを開けたらこんな物が見つかったよ。」と、ワイルドにある物を見せたのです。ワイルドは、目を疑いました。えええ〜〜っ、マジか⁉️これ、「Some Other Guy」のマザー・テープじゃん!(◎_◎;)アセテート盤があるのは知ってたけど、マザー・テープがあるなんて初めて聞いたよ!

 

もちろん、彼は、ビートルズの歴史についても熟知しており、彼らのキャヴァーンでのライヴが1962年8月25日と9月5日に2度に亘って収録されたことも知っていました。しかし、誰に聞いても9月5日に収録されたテープは紛失されたと信じられてきたんです。その「幻のお宝」がひょっこり目の前に現れたことがとても信じられなかったのです。まさか、50年もの間ハンプの事務所の机の中にあったのに、誰もそのことに気づかず今頃現れるなんて。

 

このお話の続きはまた次回に。

(参照文献)The Beatles Rarity, the beatles in manchester, THE SOURCE

 (続く)

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