ビートルズの演奏がアメリカのテレビ番組で初めて流れたのは「エド・サリヴァン・ショー」と思われがちですが、実はそうではなかったのです。今回は、このことについてお話します。大阪で開かれたビートルズ展を参考にお話を進めます。
1 ビートルズのユーモアのセンス
4人ともみんなユーモアのセンスがありましたが、アメリカのレポーターの意地悪な質問にもこれで巧みに切り替えしていました。ジョン ・F・ケネディ空港に降り立ったビートルズたちにアメリカ人のレポーターが矢継ぎ早に質問しました。
あるレポーターは、「君たちのうちに何人がつるっパゲでそのカツラを被ってるんですか?」と投げかけました。メンバー達は「ああ、僕達は全員ハゲだよ。」と切り返し、さらにジョンは「僕なんか耳が聞こえないし、馬鹿なんだ」と付け加えました。
また、あるレポーターは、ポールに「デトロイトでビートルズ撲滅運動が起こっていますが、それについてどう思われますか?」と尋ねたところ、ポールは、「僕達もデトロイト撲滅運動の最中さ。」と上手くかわしました。
2 ジャック・パーのトーク番組
(1)Tonight Starring Jack Paar
これは、「Jack Paar’s TV show(正式な名称はTonight Starring Jack Paar)」というテレビ番組に出演した時のジョージとリンゴが、派手なシャツの上に上着を着ようとしているところですね。
でも、この頃にもうこんな派手な柄のシャツを着ていたんでしょうか?サージェント・ペパーの頃なら分かるのですが、彼らのステージ衣装といえばまず真っ白なシャツのイメージなんですけどね。初めてのアメリカツアーではなく、もっと後の写真かもしれません。
(2)この番組が初登場だった
ここで「Jack Paar’s TV show」のお話が出たのでついでに触れておきます。多くの人がビートルズのアメリカでのテレビ・デビューは、1964年2月9日の「エド・サリヴァン・ショー」だと思っています。
確かに、彼らがアメリカで大ブレイクしたきっかけとなったのはその番組ですが、実は、アメリカにおけるテレビ・デビューは、それよりも一か月以上前に既に済ませていたのです。
それがアメリカCBSの「トゥナイト・スターリング・ジャック・パー」というテレビ番組です。司会者のジャック・パーは「ワイドショーのパイオニア」と呼ばれている人物であり、「トークショーの歴史は二つに分けられる。パーが登場する前とその後だ。」と言われた程、アメリカのトーク番組に大きな足跡を残した名司会者でした。
彼は、1963年秋にイギリスを訪問した際にビートルズの演奏を観ていたのです。その時同行していたTV局の撮影クルーが演奏を撮影し、1964年1月3日に同番組で放映されました。
もっとも、これは、ビートルズが演奏しているところをアメリカのテレビ局が初めて放映したという意味では正しいのですが、ビートルズ自身がアメリカのテレビ局に出演して演奏したわけではありません。また、この時はそれほどの反響はありませんでした。
ただ、この放映は決して無駄に終わったわけではなく、一部のアメリカの若者たちの心を捉えたことは確かなようです。いわば起爆剤か、導火線の役割を果たしたといったところでしょうか?
3 パーもイギリスのビートルマニアを冷ややかに見ていた
(1)ご多分に漏れず
パーは、イギリスの熱狂的なビートルマニア現象を目の当たりにしても、それはあくまで一時的な流行にすぎず、いずれはすたれるだろうと思っていたのです。まあ、当時の大人としてはごく普通の反応でしょう。
逆に、あの時代の30代以上の大人でビートルズを理解できた人がいたら、その方が凄かったかもしれません。
「私の7年間のCBSの番組の中でロックンロールをかけたことはありません。でも、私は、ビートルズに対して社会現象として興味を持っているので、今日皆さんにお見せしたいと思います。」
「彼らは、リヴァプール港の近くというイギリスでも非常に厳しい環境から生まれてきましたが、なかなかのユーモアのセンスがあります。」
「『リヴァプール港の近くで生活するって何がエキサイティングなの?』と聞かれて答えたそうです。『ただサバイバルするだけでエキサイティングだよ(笑)』」
「まず、最初に見てもらいたいのはイギリスの観客が、ビートルズが演奏する前にどのような反応を見せるかです。」
そして、イギリスのビートルマニアの熱狂ぶりが放映されます。「一体、イギリスの若者たちは何をあんなに大騒ぎしているんだ?頭がおかしくなったのか?」と冷ややかに見ていたのが分かりますね。
(2)後でフォローはしたが
後年になってその当時のことを語るパーです。
ビートルズを最初に紹介したアメリカのテレビ番組は、エド・サリヴァン・ショーだと言われているが、実はそうではなくて私のテレビ番組が最初だったと自慢しています。
でも、その時はパー自身が「イギリスの文化的レベルがようやく我が国に追いついたということを記憶に留めておきましょう(笑)2月にエド・サリヴァンはビートルズのライヴを放映しましたが、私のことをいつも支持してくださっている彼らよりは大人の聴衆の皆さんにお見せしたかっただけです。」なんて皮肉っていたんですね。
ビートルズが素晴らしいアーティストとして世界中で受け入れられるようになってから、このVTRを見て穴に入りたい心境になったのは、他ならぬ彼自身でしょう(笑)
(3)相変わらず
しかし、それでもめげずに「これは私だけが思っていることですが」と前置きして「彼らが偉大なアーティストになり、彼らの姿を見る度に悲しい思いをするのは、リンゴだけが解散した時に4人のうちの1人ではなかったことです(つまり他の3人に比べて実力が劣っていた)」と語っています。
この手のリンゴに対する誤解は、一般人だけではなく彼のような一流のジャーナリストの中にもあったんです。実際、リンゴは、作詞も作曲もあまりしていませんでしたから、解散したら著作権料も入ってこないし、生活に困るだろうとは誰しもが思い浮かべたでしょう。
ああ、そうそう、パーさん、もうご存知でしょうが、2018年3月20日、リンゴは、ウィリアム王子から「ナイト」の勲位を授与されたんですよ。天国で祝福してあげて下さいな。
4 ビートルズハリケーン、アメリカに上陸
(1)ビートルズの貴重なプライヴェート・フィルム
1964年2月7日、ニューヨークの朝、アルバート、デヴィッド・メイスルズ兄弟は、スタジオである電話を受けました。カメラを担いでいるのがアルバートです。
電話は、イギリスのグラナダテレビ局からで「ビートルズがあと2時間で到着するんだけれど、3~4週間ぐらい彼らと一緒に仕事しないか?」という内容だった。そこで、僕はデヴィッドに『ビートルズっていいバンドなの?』と聞くと彼は『いいバンドだよ』と答えたので、そのまま電話で即座に仕事の交渉をすませ大急ぎで空港に向かった。」
2人の若いムービーメーカーは、ビートルズとその後2週間にわたって行動を共にしました。想像力に満ちたミニシアターで上映されるようなプライヴェート感あふれる環境で撮影した映画は、グループのアメリカデビューに際し最も重要な記録となりました。
これは、当時を回想するデヴィッドと、彼らが撮影した貴重なフィルムです。
このフィルムが何より貴重なのは、ビートルズが初めてアメリカを訪問した時の記録であるとともに、滅多に見られないツアーで移動中の彼らの様子を知ることができる点です。デヴィッド自身もそう語っています。
(2)リラックスしたビートルズ
マイアミのドーヴィルホテルに宿泊していた時のビートルズが、とてもリラックスしている様子が伝わってきますね。ジョージの横顔を描いたのはポールでしょうか?ちらっとしか見えませんが結構うまいですね。
リンゴ「君の彼女をこないだ見たよ。どういう意味だか分かるかい?」
ジョージ「どういう意味?」
リンゴ「The wind was blowin(風が吹いていた)」
ジョージ「僕の彼女を吹き飛ばした?」
リンゴ「僕は彼女を壊した」
おそらくですが、ボブ・ディランの「風に吹かれて」の歌詞のThe answer is blowin’ in the windに引っ掛けたんでしょうね。
(3)幸運な少女
移動中の列車でリンゴの隣に座っている女の子が可愛いですね。「私のおばさんが今ここにいたら、ああ~、おばさんはね、え~っと、Cu,Cu...、パパ、これってどう言ったらいいの?」
パパ「Curiosityかい?」
少女「そう、それ!」
パパ「この子は、結構長い単語を知ってるんですよ。」
リンゴ「それ、どういう意味?」
少女「何にでも首を突っ込むってこと!」(笑)
この女の子は、信じられないくらい幸せな瞬間を過ごしたことになるのですが、おそらくこの時はまだそんな実感はなかったでしょう。後で自分は、とんでもないスーパースターの隣に座って話をしていたんだと気づいたでしょうね(笑)
(参照文献)ULTMATE CLASSIC ROCK
(続く)