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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズのアメリカ進出を実現させた男~シド・バーンスタイン(433)

ビートルズアメリカに招いたシド・バーンスタイン

1 ビートルズアメリカ進出を実現させた

シド・バーンスタインのことをご存知の方はそれほど多くないかもしれません。しかし、彼は、アメリカのプロモーターとして初めてビートルズを招き、彼らのアメリカ進出を実現させ、彼らが世界的スーパースターとなることに多大な貢献をした人物です。

彼は、ビートルズアメリカで初めて行ったコンサートツアーを企画し、彼らをアメリカの音楽ファンに紹介しました。彼は、ビートルズだけでなく、ローリング・ストーンズなど多くのイギリス出身のアーティストのアメリカ進出にも関わり、ブリティッシュ・インヴェイジョン(イギリスの侵略)と呼ばれる現象を陰で支えた一人でもありました。

音楽などのエンターテイメントで世界的な成功を収めるためには、まずアメリカで成功することが必要です。なぜなら、アメリカは巨大な市場であり、エンターテイメントの聖地であり、全世界に影響を及ぼす存在だからです。

 

 

2 ビートルズとの出会い

(1)アメリカでブレイクする前からビートルズの才能を見抜いていた

バーンスタインは、1918年にニューヨークで生まれました。音楽好きだった彼は、若い頃からプロモーターやマネージャーとして活動し、ジュディ・ガーランドフランク・シナトラなどの有名アーティストと仕事をしました。彼はまた、音楽雑誌やラジオ番組を通じて、世界中の音楽にも関心を持っていました。

1963年、彼はイギリスの音楽雑誌「New Musical Express」でビートルズの記事を読みました。彼は、彼らがイギリスで熱狂的な人気を得ていることを知り、興味を持ちました。彼は、ビートルズのレコード会社であるEMIに電話し、彼らのレコードを送ってもらいました。彼は、レコードを聴いて素晴らしいと感動しました。つまり、バーンスタインは、ビートルズがまだアメリカで全く知られていなかった時点で、すでに彼らの才能に気付いていたのです。

(2)自らプロモーションを引き受けた

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ビートルズアメリカに招いた経緯について語るバーンスタイン

しかし、ビートルズの獲得は容易ではありませんでした。彼はこの頃、ジェネラル・アーティスツ・コーポレーションで、コンサートのブッキングとプロモートで週給200ドルを稼いでいるほどの腕利きのプロモーターでしたが、会社は、全くビートルズに関心を示さなかったのです。そこで、バーンスタインは自らその仕事を引き受け、ビートルズにイギリスから渡米してカーネギー・ホールで2回公演を行う費用としてそれぞれ6,500ドルを支払いました。

バーンスタインは、1963年3月、ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインに電話をかけ、カーネギーホールでの公演を提案しました。ビートルズは、この頃ようやくイギリスでブレイクしたところでした。アメリカで小さなレーベルからリリースされたグループの初期のレコードはオンエアもされず、売れ行きも芳しくありませんでした。ブライアンも、まだアメリカでまったく売れていなかったビートルズに、アメリカツアーを持ち掛けてきたバーンスタインの提案に最初は懐疑的でした。しかし、バーンスタインは、「私はあなたたちを有名にすることができる」と自信満々に宣言しました。ブライアンは、バーンスタインの熱意に動かされ、彼の提案を受け入れたのです。

バーンスタインの目に狂いはなく、ようやく大手のキャピトルがビートルズと契約し「I Want To Hold Your Hand」を1964年1月14日にリリースすると、発売後1週間で80万枚、4週間で250万枚を売り上げ、2月1日にはビルボードのシングル・チャート1位を獲得しました。彼のアーティストの才能を見抜く力が正しかったことが証明されたのです。

 

 

3 アメリカ進出の成功

(1)4000人以上が空港で出迎えた

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1964年2月7日、ビートルズは、ニューヨークに到着しました。空港では4000人以上のファンが彼らを出迎えました。これは、バーンスタインが事前に報道機関やファンクラブに連絡して、彼らの到着を宣伝してくれたおかげでした。プロモーションがいかに重要であるかをこの事実は教えてくれています。現代のような情報化社会ではありませんでしたから、ガンガン派手にプロモーションをしなければ人々には伝わりません。

大群衆に出迎えられたビートルズは、驚きと喜びを感じました。彼らは、空港で記者会見を行い、ユーモアの才能と個性的なキャラクターを発揮しました。彼らの姿は、テレビや新聞で大きく取り上げられ、アメリカの人々の注目を集めました。

(2)勘のいいプレイヤー

「私は勘のいいプレイヤーだ」とバーンスタインは、語っています。「何か月も前から注目していたこのグループを手に入れることができて本当に嬉しかった。彼らのレコードがラジオでオンエアされるまで、私が彼らを予約してから 8 か月かかった。私は、カーネギーホールと私の財政的支援者たちを説得して、当時無名だったこのグループにチャンスを掴むように説得しなければならなかった」いわゆる「青田買い」というべきものですが、ビートルズアメリカでの成功によほど自信があったんですね。

「私がアメリカで初めてビートルズを宣伝したのだが、エドサリヴァンは、自分のテレビ番組でビートルズをブッキングする前に、まず私にビートルズのことについて電話をかけてきたんだ」サリヴァンは、ビートルズのことを全く知らなかったので、事前にバーンスタインから情報を収集したのです。

 

 

(3)「エドサリヴァン・ショー」に出演、初のアメリカツアー

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ビートルズは、2月9日にCBSの人気番組「エドサリヴァン・ショー」に出演しました。この番組は全米に放送され、視聴者数は7300万人に達しました。これは当時のアメリカの人口の半分に相当します。ビートルズは「All My Loving」「She Loves You」「I Want to Hold Your Hand」などの曲を披露し、観客は熱狂しました。

ビートルズのパフォーマンスは、アメリカの音楽ファンに衝撃を与えました。彼らは、こぞってビートルズの音楽やファッションや髪型に魅了され、次々と彼らのマネをし始めました。ビートルズは、一夜にしてアメリカで大スターになったのです。たった一夜のテレビ放送が世界を変えたのです。

バーンスタインは、ビートルズアメリカで初じめてとなるツアーを企画しました。彼は、ニューヨークのカーネギーホールで2回、ワシントンD.C.で1回、フロリダ州マイアミで1回のコンサートを手配しました。チケットはすぐに完売し、コンサート会場にはファンが殺到しました。ビートルズは、素晴らしい演奏を披露し、ファンは歓声と涙と叫び声で応えました。ビートルズ初のアメリカツアーは大成功に終わりました。

 

4 シェイ・スタジアム公演

(1)史上初の野球場でのコンサート

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バーンスタインは、ビートルズの人気が高まるにつれて、より大きな会場でのコンサートを考えるようになりました。もはや1万人程度の音楽ホールではファンを収容しきれなくなっていたのです。かといって、当時はまだそんな巨大なホールはなかったので、彼は、ニューヨーク・メッツの本拠地であるシェイ・スタジアムでのコンサートをブライアンに提案しました。このスタジアムなら5万人以上の観客を収容できます。そして、これは史上初の野球場での音楽コンサートでした。

そんな広い施設でもしチケットが売れ残ったらとブライアンも最初は不安を覚えましたが、バーンスタインは自信満々でした。そこで、ようやくブライアンも再びバーンスタインの提案を受け入れたのです。この計画が正式に発表されると、音楽関係者は度肝を抜かれました。まさか、そんな場所でコンサートを開催するなんて誰も想像したことすらなかったのです。バーンスタインの大胆な発想とそれを実現する行動力の賜物です。今ではスタジアムをポピュラー音楽のライヴ会場にすることは当たり前になっていますが、バーンスタインの先見の明には恐れ入ります。

(2)チケットは完売

シェイスタジアムのポスターとバーンスタイン

1965年8月15日、ビートルズは、シェイ・スタジアムでコンサートを行いました。チケットは5万5000枚が発売され、わずか17分で完売しました。コンサート会場には6万人以上のファンが詰めかけました。ビートルズは、ヘリコプターで会場に到着し、野球場の内野に設置された小さなステージに登場しました。彼らは、「Twist and Shout」「Help!」「Yesterday」などの曲を演奏しましたが、ファンの絶叫があまりにも大きく、この頃はステージ上に返しのスピーカーもなかったため、彼ら自身も自分たちの音が聴こえませんでした。

しかし、それでも彼らは笑顔でパフォーマンスを続けました。このコンサートは、映画監督のリチャード・レスターによって記録され、後にドキュメンタリー映画ザ・ビートルズ・アット・シェイ・スタジアム(原題:The Beatles at Shea Stadium」として公開されました。このコンサートは、ビートルズの最高傑作の一つとして評価されています。これがモデルケースとなり、音楽のコンサートの多くがスタジアムで開催されるようになり、多数の観客が集まり、巨額のマネーが動くことになりました。

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映画「The Beatles at Shea Stadium」の一部

(参照文献)ニューヨークタイムズ、ハリウッドリポーター

(続く)  

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