
1 二人は断絶していなかった
(1)徐々に変化していった関係
ビートルズ解散後のジョンとポールとの関係は、長いあいだ「確執」「対立」「決裂」といった言葉で説明されてきました。確かに1970年前後のインタヴューや発言を読むと、互いにかなり感情的な言葉を投げ合っていた時期があり、訴訟問題やマネジメントをめぐる争いも現実に存在していました。そのため、「二人の関係は完全に壊れたまま終わった」という印象が定着してしまったのも無理はありません。
しかし、資料を丁寧に読み直していくと、その見方がやや単純化されていることに気づかされます。人間関係は、ある時点で完全に断ち切られて固定されるとは限りません。距離の取り方を変えながら、別の形へと移行していくこともあります。ジョンとポールの場合、少なくとも1974年以降は、その「別の形」へ移行する過程に入っていました。
(2)ビジネス上の対立
1970年代前半の最大の対立点は、新たにマネージャーに就任したアラン・クラインとの契約問題に象徴されるビジネス上の衝突でした。ポールはクラインを信用せず、ジョンは彼を支持しました。この判断の違いが法的争いにまで発展し、感情的なしこりも残りました。
ただし、ここで重要なのは、どちらが正しかったかという単純な二元論ではありません。両者とも、ビートルズという存在を守ろうとした結果、異なる選択をした可能性が高いのです。方向は違っても、動機そのものは必ずしも敵対的ではなかった。その点を踏まえなければ、確執の時代を正確に理解することはできません。
2 幻に終わったテレビ出演
(1)テレビで再結成を求められた
すでに前回触れた1974年のセッション以降、二人の関係は少しずつほぐれていきました。その流れの中で起きた象徴的な出来事が、1976年4月のエピソードです。ポールは事前連絡もなく、ニューヨークにいたジョンの自宅を訪ねました。
この時ジョンは「来るなら前もって電話くらいくれよ。1950年代じゃないんだから」と冗談交じりにこぼしたとも伝えられています。空気が読めないポールらしいエピソードです。この時点で、二人が気軽に顔を合わせられる関係に戻っていたこと自体が、すでに大きな変化を示しています。
その日、二人は部屋でテレビを見ていました。たまたま映っていたのは当時人気のあったバラエティー番組である『サタデイ・ナイト・ライヴ』でした。番組内でプロデューサーのローン・マイケルズが、冗談めかして「ビートルズが出演してくれたら3,000ドル払う」とカメラに向かって話しかけたのです。
実はこの頃、ビートルズ再結成の噂が世間に飛び交っていたのです。マイケルズの呼びかけもそんな世間の空気を感じたからでしょう。それを聞いたジョンとポールは顔を見合わせ「行ってみるか?」と話したといいます。彼らがいた場所とテレビ局の距離はそれほど離れておらず、本当に行こうと思えば放送時間内に出演できた状況でした。
(2)動かなかった二人
しかし、二人は結局動きませんでした。後年、ジョンは「疲れていた」と語り、ポールも「本当に迷った」と回想しています。私は、サプライズで彼らが番組に登場していたら、どれだけ面白かっただろうと思います。
そしてこの二人の登場で、テレビ局は蜂の巣をつついたような大騒ぎになったでしょう。仰天して言葉を失うマイケルズを尻目に、ジョンとポールはニヤニヤしながら「おいおい、オレたちを差し置いてビートルズ再結成なんて軽々しく言わないでくれよ」「それにしても、3,000ドルとは随分安くみられたもんだな」などとジョークを飛ばしたことでしょう。
そして、その様子を見た世界中が「ビートルズが再結成するぞ!」と大騒ぎしたことでしょう。彼らが動かなかったのは、たとえジョークのつもりでも二人でテレビに登場したら、ビートルズ再結成を巡って世界中がパニックになることを懸念していた可能性も考えられます。
3 パン作りの電話


さらに興味深いのが、1980年にジョンが語った「パン作りの電話」の話です。当時のジョンは、音楽活動をほぼ休止し、家庭中心の生活を送っていました。料理をし、掃除をし、息子ショーンの世話をする日々。その中で、ポールと電話でパンの作り方を話していたというのです。「イースト菌はどこで入れる?」「生地はどのぐらいこねたらいい?」といった具体的なやり取りをしていたとされています。
1960年代に世界を席巻していた二人が、1970年代後半には何気ない日常生活の話をしている。この事実は、非常に印象的です。そこには競争も、優劣も、緊張もありません。ただの昔なじみの友人同士の会話があります。
私は、この「生活を共有する会話」こそが、和解の実体だったのではないかと考えています。再結成という派手な形を取らなくても、二人はすでに日常レベルでつながり直していたのです。
4 ポールがジョンにデモテープを送っていた
(1)ジョンの意見が聞きたい

1975年頃にポールがジョンにデモテープを送っていたという証言も、こうした流れの中で理解すると、よりはっきりした意味を持ってきます。ジョンは1980年のインタヴューで、「ポールは時々、新しい曲のテープを送ってきていた」と語っています。この一文は短いですが、内容は非常に重いものです。
デモテープを送るという行為は、「評価してほしい」「意見を聞きたい」という意思表示にほかなりません。もし本当に関係が冷え切っていたなら、そんなことは起こらなかったはずです。ポールにとって、新曲を最初に聴かせたい相手が、今でもジョンだったという事実は、二人の間に残っていた信頼関係を如実に示しています。
(2)二人の関係性を物語っている
ビートルズ時代、ジョンとポールは互いの曲に率直な意見をぶつけ合いながら作品を磨いてきました。時には衝突しながらも、そのやり取りが名曲を生み出してきたのです。その関係性は、解散後も完全には失われていませんでした。表面的には別々に活動していても、創作の根幹では、依然として深く結びついていたと言えるでしょう。
ポールは、今でも新曲を制作する時に行き詰まると「ジョンだったら、ここはどうしただろう」と思い浮かべることがあると語っています。これは、二人の関係性をよく示している言葉ではないでしょうか。
私がこのエピソードに強く惹かれるのは、ここに「再結成とは別の形の共同作業」が見えるからです。スタジオに集まって曲を書くことはなくなっても、精神的な意味での「共同作業」は続いていました。デモテープのやり取りは、その象徴だったのではないでしょうか。
(3)ポールの『Coming Up』にジョンが刺激された

1980年の『Playboy』誌でのインタヴューで、ジョンはポールについて繰り返し肯定的な発言を残しています。『Coming Up』を聴いて「何かしなければと思った」と語り、創作意欲を刺激されたことを認めているほか、「今でも偉大なソングライターだ」と率直に評価しています。さらに、二人の関係については「兄弟のようなものだった」と総括しています。これらの発言からは、対立の時代を越えて、深い信頼と敬意が残っていたことがはっきりと読み取れます。
当時のジョンは、約5年間にわたって音楽活動から距離を置いていました。家庭生活に重きを置き、公の場に姿を見せることも少なくなっていた時期です。復帰するかどうか、本人の中でも迷いがあったことは、多くの証言から明らかです。
そのジョンの背中を押した一因がポールの新曲だったという事実は、非常に重要です。ビートルズ時代と同じように、相手の作品が創作意欲を刺激する関係がまだ生きていたのです。
その後ジョンが制作に取りかかったアルバムが『Double Fantasy』でした。もし『Coming Up』を聴かなければ、彼の復帰はもっと遅れていたか、あるいは、別の形になっていた可能性もあります。そう考えると、ポールの一曲がジョンの創作活動に与えた影響は、決して小さくありません。
5 事実と都市伝説

ところで、ネットで広く共有された話として、ショーン・オノ・レノンが幼い頃、父親のジョン・レノンがビートルズにいたことを知らず、テレビで父親を見て「パパはビートルズだったの?」と尋ね、父親がビートルズのメンバーだったことを初めて知ったと言われています。ジョンが、その言葉を受けて音楽活動を再開したというエピソードです。
しかし、そのエピソードを裏付ける確かなインタヴューや信頼できる資料は存在しません。流布されている情報のほとんどは、ショーン自身が信頼できる主要メディアで長時間インタヴューを受けた一次情報源ではありません。
ショーンは1975年生まれで、1980年にジョンが殺害された時はまだ5歳でした。それ以前に、彼がテレビで父親のビートルズ時代の映像に触れた可能性は少ないでしょう。また、彼が大人になってからのインタヴューで、ショーンはビートルズの遺産を受け継いで育ったことの難しさや、父と母の音楽的遺産を守るために努力してきたことについて語っていますが、テレビの質問の話のような特定の子供時代の瞬間については語っていません。
残念ながら、これはSNS上で拡散された微笑ましいエピソードかもしれませんが、信頼できる情報源によって確認されたわけではありません。いわゆる「都市伝説」の類です。
なお、今回の記事の内容は下記の参照文献のほか、日本では2026年2月19日の1日だけ劇場公開された映画『マン・オン・ザ・ラン』でも裏付けられています。
(参照文献)
【参考文献】
・ジョン・レノン『プレイボーイ・インタヴュー』(1980年)
・デヴィッド・シェフ『オール・ウィー・アー・セイイング』
・バリー・マイルズ『メニー・イヤーズ・フロム・ナウ』
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