1 ビートルズ再結成の噂
(1)再結成の噂が広がった
さて、ジョン・レノンとポール・マッカートニーがビートルズ解散後歴史的な和解を果たし、セッションまでしたという事実が50人もの関係者によって目撃されました。もちろん、箝口令が敷かれたわけではありませんから、この話はどんどん世間に広まっていったのです。
それにつれ、ビートルズ再結成の噂も広まっていきました。この噂は、70年代の中盤になって突然、どこにでも顔を出すようになったのです。ジョンとポールが和解したうえセッションまでしたとなれば、「すわ、ビートルズ再結成か?」と世間が色めき立ったのも当然でしょう。ビートルズ解散後に初めてリリースされたベストアルバム、いわゆる「赤盤」「青盤」がリリースされたのも1973年ですね。
(2)レコーディングではすでに協力していた
ビートルズが解散したといっても、それで元メンバー同士の交流が全く途絶えたわけではありませんでした。リンゴは、ジョンとジョージの最初のソロ・アルバムに参加していましたし、ジョージは、ジョンのセカンド・アルバムに参加しました。
そして、1973年にリリースされたリンゴのアルバム「Ringo」では、4人のビートルがそれぞれ別のパートでレコーディングに参加しており、ジョンとジョージは、ジョンが作曲した「I'm the Greatest」に、ポールは「Six O'Clock」にそれぞれ参加しています。レコーディングこそバラバラに行われたものの、レコードの中では、ビートルズが再結成されていたのです。
2 ビートルズ出演のオファー
(1)にわかに再結成の噂が飛び交った
ジョンとポールがロサンゼルスで会ったという噂は、にわかに注目を集めました。70年代半ば、ジョンは、こう語っています。「ポールとは、かなり難しい時期があったから一緒に仕事をしていなかった。でも、今ではかなり仲良くなったよ。」これは、ポールとのセッションが終わった後の発言です。ポールとの関係が修復したことを認めたんですね。
そんなジョンの発言で「ビートルズが再結成するという夢が現実になるのでは」と世間が騒ぎ始めました。最大の障害だったジョンとポールの不仲が解消したのですから、それは期待しますよね。それで、業界からビートルズ出演のオファーが次から次へと舞い込むようになりました。ジョンは、それらを検討しましたが、もちろん金銭的な理由からではありませんでした。
(2)ジョンは再結成する気になった
ジョンは、その時の心境をこう語っています。「不思議なもので、ある時期、人々が私にビートルズとしての出演をオファーしてきたとき、私は『いや、絶対にない。一体何なんだ?元に戻れって?』と言っていたからだ。しかし、彼は、70年代の中期頃の別のインタヴューでこう応えました。「ある時から『どうしても戻りたい』と思うようになった。」
ジョンの気持ちが再結成へ傾いたというのが重要なポイントです。彼を含めて元メンバー全員が充実したソロ活動を行っていました。その一方で、もうその頃には解散前後のわだかまりも消え、精神的な余裕も生まれて、今ならもう一度集まってセッションしてもいいと思えるような雰囲気になっていたのでしょう。
残念ながら、結果的には4人のビートルが一度に揃うことはありませんでした。ポールは、麻薬捜査のために一時的にアメリカへの入国を禁じられ、ジョンは、ビザの問題で出国できなかったからです。この障害さえなければと思うと残念ですね💦セッションとかレコーディングとかは抜きにして、何はともあれ、全員で旧交を温め合う機会があれば良かったなと思います。
3 無関心だったジョージ
現実に再結成を検討したジョンとは対照的に、ジョージは、その話題には無関心だったようです。彼は、1974年にソロとして初の全米ツアーをスタートさせている最中でしたが、そういった動きをまるで気にしていないかのように振る舞っていました。
記者会見では、「みんなソロで楽しんでいるよ。」と語っていました。そして、再結成についてはこう語りました。「我々は、10年間、箱の中に閉じ込められていたんだ。10年間閉じ込められていたから、ビートルズの再結成なんてすべてファンタジーさ。もし、もう一度やるとしたら、それはたぶん、金が必要だからだろう。」
おそらく、彼にしてみれば、せっかくビートルズという窮屈な箱から開放されて、充実したソロ活動を満喫しているのに、また元に戻るなんて冗談じゃないといったところでしょう。
4 再結成は実現したかもしれなかった
(1)人々はライヴを期待していたが
ジョンは、ビートルズがグループとして再びスタジオに戻ってくることができた場合にのみカムバックを検討すると語りました。「誰もがステージショーを思い描いている。僕は、スタジオでやれるんならOKだけど、新聞を見るとジョージが『僕はそんなことは言ってない!』と言ってるんだ。でも、しばらく離れている間にみんなが『(再結成しても)いいかもしれない。』と思ったことはあったと思う。」
ジョンが指摘したように、多くの人々は、ビートルズの4人が再びステージに立つことを思い描いていました。実際、2021年11月公開の映画「Get Back」でも路上でインタヴューを受けた若い女性は、「ショーを観たい」と応えていましたね。ビートルズがライヴをやらなくなってから、かなりの年月が経っていましたから。
(2)スタジオでのレコーディングであれば
しかし、ジョンが考えていたのは、あくまでスタジオでのレコーディングであって、多くの人々が期待するライヴではなかったのです。このことについてメンバー全員が一堂に会して話し合ったというわけではなく、ジョンの推測によれば、みんながもうそろそろ再結成してもいいかもしれないと考えていたということです。
あくまでも彼の推測なので、本当にみんながそう考えていたかどうかは分かりません。しかし、当時の状況を振り返ってみると、元メンバーは、もう解散前後のゴタゴタも忘れて、おだやかな気持ちになっていたのではないかと思います。少なくともジョンとポール、リンゴの3人は、再結成に前向きな姿勢だったでしょう。
微妙だったのはジョージですね。記者のインタヴューには「まったくそんなつもりはない。」とハッキリと否定していましたから。ただ、彼にしてもスタジオでのレコーディングでみんなが集まるということであれば、彼の性格からしてあえてそれを拒否することはなかったと思います。ただし、ポールが彼の演奏に口出ししなければの話ですが(笑)
5 あともう一歩で再結成していた!
(1)リンゴが打ち明けた話
2021年10月、リンゴは、1973年にビートルズが再結成に最も近づいたことを明らかにしました。この事実は、「ザ・ニュー・ヨーカー」誌に掲載されたポールの新しいプロフィールから明らかになりました。リンゴは、ビートルズが解散した後も世間が彼らに対して関心を持ち続け、再結成についての問い合わせが絶えなかったことについて、インタヴュアーに応えています。
彼によれば、4人の元メンバーそれぞれが永遠に別れたままになってしまうのはイヤだなと思い始めていた頃に、再結成しないかというオファーが持ち込まれたとのことです。彼らは、よりを戻すというよりも、互いに「ケンカ別れ」したまま生涯を終えるというのは、あまりにも寂しいと思うようになっていて、ちょうどそのタイミングでこの話が持ち込まれたのです。
「たとえ離れ離れになっても、いつかまた会える日が来るかもしれない。」正に「Let It Be」の歌詞を地で行くようなお話ですね。
(2)オファーを断った
しかし、このオファーには、男がサメと格闘するというオープニングアクトがあることが分かり、リンゴは頭に来ました。元メンバーは、互いに盛んに電話を掛け合って真剣に話し合いました。
「我々は、お互いに電話して『やめておこう。』と話した。」とリンゴは語っています。「我々は、もう自分たちの道を歩んでいるんだから。」彼らは、リンゴが「大金」と呼んだオファーを断り、自分たちの道を進み続けました。もし、やったとしたらとんだ茶番劇になっていたでしょう。
「サメとの格闘」というふざけたオープニングアクトを考えたアホなプロモーターが誰だったかは分かりませんが、4人のビートルが再結成する寸前までいったのです。そして、その千載一遇の大チャンスはおバカな企画のために頓挫し、二度と訪れることはありませんでした💦
ここで重要なのは「オープニングアクト」というキーワードです。そうです、企画されていたのは、レコーディングではなくコンサートだったのです!「再結成するとしても、レコーディングだけでショーはやらない。」と語っていたジョンがその気になっていたんですよ。
(3)もし実現していたとしたら
もし、仮にこの企画が実現していたとしたら、アイドル時代のように13曲しか演奏しないということはなかったでしょう。少なくとも、20曲くらいは演奏したと思います。
でも、流石にアイドル時代の曲は、大人になった彼らには恥ずかしくてできなかったでしょうね(^_^;)おそらく「White Album」以降の曲になったと思います。そして、それぞれのソロ曲も演奏したでしょう。シメはもちろん「Imagine」ですね。
今思えば「夢物語」ですが、本当に現実になりかけたんです。しかし、それは一瞬にして泡のように消え、さらにジョンが亡くなった瞬間、完全に「見果てぬ夢」と終わりました。
(参照文献)アルティメット・クラシックロック、ファー・アウト
(続く)
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