前回、カーネギーホールでのコンサートの収録についてAFM(American Federation of Musicians アメリカ音楽家協会)の許可が下りなかったと言う記事を書きました。その理由を今回書きます。 キャピトルは、カーネギーホールでのコンサートをライブ・アルバム…
ビートルズは、1964年2月12日、ニューヨークのカーネギーホールに舞台を移しました。このホールは、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団が本拠地としている格式高いコンサートホールです。 当然、クラシック音楽が演奏されるのが一般的で、ポピュラー音…
ビートルズは、記録を塗り替えた歴史的なエド・サリヴァン・ショーの翌日の10日に、シングル「I WANT TO HOLD YOUR HAND」の売り上げが100万枚、アルバム「MEET THE BEATLES」の売り上げが1万ドルを突破したことで、キャピトル・レコードのアラン・リヴィン…
1 オープニングは「オール・マイ・ラヴィング」 2 「シー・ラヴズ・ユー」で絶叫に変わる 3 あのデイヴィ・ジョーンズも出演していた 4 アメリカを制覇 5 大人たちには酷評されたが 1 オープニングは「オール・マイ・ラヴィング」 THE BEATLES - ALL M…
ジョージはまだ体調が回復していなかったので、彼を欠いたままビートルズは、2月8日午後1時30分に、エド・サリヴァン・ショーへの初出演のリハーサルをするために、BBCスタジオへ向かうリムジンでブロードウェイを走っていました。彼らの車は、ファンに追…
ビートルズは国内で成功した後、当然、アメリカへの進出を望んでいました。しかし、ポールは、マネージャーのブライアンにこう語っていました。「僕達の曲が全米チャートNo. 1になるまでは、アメリカへは行かないよ。」ブライアンもビートルズのアメリカへの…
「エド・サリヴァン・ショー」は、ニューヨーク・シティのスタジオ50で公開されました。そもそも、この番組にビートルズが出演するキッカケは、もちろん、マネージャーのブライアン・エプスタインが売り込んだからなんですが、実はそれには伏線があったんで…
年配者で最初からビートルズを受け入れた人は少数でした。ジョンは皮肉っていましたが、むしろそういう意味では、音楽評論家たちの方が、まだしも彼らを早く受け入れていました。彼らが尊敬していたフォーク・ソングの神様ボブ・ディランは、早くから彼らの…
1963年ビートルズはイギリスを制覇しましたが、巨大な市場であるアメリカでの成功はまだでした。今程通信手段が発達していませんでしたから、流行するのにも時間が掛かったんです。それに当時の世界のポピュラー音楽市場はアメリカ一色で、イギリス音楽が入…
1 究極のベスト・アルバム 2 リマスターされ音質や画質が改良された 3 ビートルズがMVやPVを普及させた 1 究極のベスト・アルバム www.youtube.com 「ビートルズ 1+」が2015年11月6日、全世界で同時発売され、日本を始め世界34か国のヒット・チャート…
1 ビートルズのカヴァー能力の高さ (1)4曲のカヴァー・ヴァージョン (2)オリジナルを凌駕した 2 負けじとポールもリードヴォーカルを 3 独創的なジャケット写真 (1)ただのアイドルではない (2)アルバムジャケットもアートにした 4 アルバムの概…
1 シンガー・ソング・ライターとしての能力を証明した 2 音楽評論家からも評価されるように (1)評価する評論家も現れた (2)ジョンは冷ややかな反応だった (3)大人にしては珍しくビートルズを評価 3 「 I wanna be your man 」をローリングストーン…
1963年9月15日、ロイヤル・アルバート・ホールのコンサート 1 ロイヤル・アルバート・ホールでのコンサート (1)格式高い劇場 (2)ポールとジェーン・アッシャーとの出会い 2 スウェーデンでラジオ番組の収録 (1)海外での収録 (2)サウンドが歪んだの…
1963年、ヒッポロドームのコンサートで路上に集結したビートルマニア 1 「ビートルマニア」の登場 2 「サンデイ・ナイト・アット・ザ・ロンドン・パラディアム」に出演 (1)出演することが憧れだった番組 (2)突進してくるビートルマニア (3)トップと…
1 She Loves Youの制作を開始 2 yeahを多用した (1)当時の若者言葉 (2)父親には反対された (3)エンディングのコードにも秘密が 3 初のミリオンセラー 4 アメリカではまだ売れなかった (1)キャピトル・レコードはリリースを拒否 (2)ヴィー・ジ…