
- 1 ジョン・レノンの凄さは「未完成」ではなく「変換力」にある
- 2 告白をそのまま出さず、作品へ変える
- 3 『Help!』は弱さを隠している
- 4 記憶をそのまま書かず、別の質感へ変える
- 5 間奏も「本物ではない本物らしさ」を出している
1 ジョン・レノンの凄さは「未完成」ではなく「変換力」にある
(1)感情を別の物へ変えてしまう

ジョン・レノンの曲は、感情が整理されきらないまま響く強さがあります。ただ、そこで話を止めてしまうと、いちばん重要なところを取り逃がします。ジョンの凄さは、むき出しの感情をそのまま出さず、別のものへ変えてしまうところにありました。怒りは皮肉へ、孤独は浮遊感へ、不安はポップソングの勢いへ、私的な記憶は誰のものでもある追想へ。ジョンは、感情をあふれさせる人ではなく、感情の形を作り替える人だったのです。
ここを見落とすと、ジョンはただ「傷つきやすい人」に見えてしまいます。けれども実際のジョンは、もっと作家的で計画的です。本音を日記のように並べるのではなく、少し隠したり、ずらす。ときには録音の途中で、曲そのものの正体まで変えてしまう。その巧妙さがあるからこそ、ジョンの歌は単なる告白で終わらず、作品として何度も聴き返されるものになります。残るのは、生々しさそのものではなく、その生々しさが異様にうまく加工されているからです。
(2)ディランやポールとの違い
この「変換」という発想で考えると、ジョンはボブ・ディランと好対照をなします。ディランもまた私的な体験や時代への怒りを歌にしましたが、彼の場合は言葉の洪水で聴き手を圧倒する方向へ向かいました。『Like A Rplling Stone』や『Blowin' in the Wind』には、感情を変換するというより、感情を言葉の密度でそのまま押し出す強さがあります。対してジョンは、言葉の量を削り、隙間と曖昧さを武器にしました。同じ「告白する歌」でも、二人のアプローチはまるで逆を向いていたのです。
また、ビートルズの中でポール・マッカートニーと比べてみると、ジョンの「変換力」はさらに際立ちます。ポールは美しいメロディと物語性で人の心を動かすタイプです。『Yesterday』も『Hey Jude』も、感情の流れが非常にわかりやすく、初めて聴いた瞬間に「名曲だ」とわかります。ジョンの曲はその逆で、感情の所在が最後まで宙に浮いていてつかみづらいことが多いのです。
最初はよくわからないが、何度か聴くうちに少しずつ輪郭が見えてくる。何度も聴くとどんどん引き込まれていく。そのわかりにくさこそが、何度聴いても新しい発見をもたらす源になっているのです。
2 告白をそのまま出さず、作品へ変える
(1)『Norwegian Wood (This Bird Has Flown)』は本音を隠すための煙幕でもあった
この点がもっともよく見えるのが『Norwegian Wood (This Bird Has Flown)』です。この曲は長いあいだ、おしゃれで文学的なフォークソングとして語られてきました。けれども少し踏み込んで見ると、あの曖昧さは単なる詩情ではなく、現実の出来事をそのまま書けないからこそ必要になった煙幕でもあったのです。
ただ曖昧にするのではなく、場面の距離感や感情の湿度だけは残すのです。だから聴き手は意味を断定できないのに、妙に生々しい感じだけは受け取ってしまいます。ジョンは、個人的な出来事をそのまま暴露するのではなく、作品として残る形へ変えていました。
(2)ハロルド・ピンターの沈黙と省略
ここで思い出したいのが、同時代のイギリス劇作家ハロルド・ピンターです。彼の戯曲もまた、登場人物が肝心なことを直接口にしません。沈黙と省略の中に、言えないことのすべてが詰まっています。ジョンがピンターを意識していたわけではないでしょうが「言わないことで語る」という技法の水脈は、60年代のイギリス文化に広く流れていました。
『Norwegian Wood』のあの宙ぶらりんな結末——部屋に火をつけたのか、つけなかったのか——は、ピンター的な「説明しない誠実さ」と通じるものがあります。大事なことをあえて宙に浮かせたまま終わらせる。その不完全さそのものが、この曲の強さになっているのです。
シタールの音色がこの曲にエキゾチックな響きをもたらしていることも、煙幕の一部です。物語の舞台をどこか「異国」のように感じさせることで、現実との距離がさらに生まれる。リヴァプールやロンドンの話ではないような錯覚を与えながら、実はきわめて個人的な話を語っている。ジョンの「変換力」は、詞だけでなく、音のアレンジの選択にまで及んでいたのです。
3 『Help!』は弱さを隠している
(1)『Help!』は弱さにポップソングの仮面をかぶせた
ここで見逃せないのが『Help!』です。ジョンは本音を隠すとき、詞だけでなく、曲の表面そのものでも偽装していました。この曲の異質さは、内容と見た目がずれているところにあります。
ジョン自身、のちにこの曲を「本当に助けを求めていた歌だった」と振り返っています。当時のジョンはビートルズの絶頂期にありながら、体重が増え、薬に頼り、精神的にも追い詰められていました。ところが完成したレコードは、切羽詰まったバラードではなく、勢いのあるビートルズらしいヒット曲として世に出されました。ジョンは弱さをそのままさらすのではなく、売れるポップソングの仮面を被せることで、かえって本音を通しているのです。
(2)ミック・ジャガーとは対照的
この「仮面をかぶせた告白」という構造は、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーとの比較で際立ちます。ミックは怒りや欲望を誇張してキャラクターに転化することで距離を保ちました。「ミック・ジャガー」という人格を前面に出すことで、個人を守るというスタイルです。
ジョンの方法はその逆で、あくまで「自分」として歌いながら、音楽の形式そのもので本音を包みます。本気で傷ついているときほど、そのままでは出しません。ロックンロールの勢いで包みます。そうすることで、歌は「助けてくれ」という裸の叫びではなく「みんなが口ずさめる名曲」として流通します。そのねじれこそが『Help!』の強さです。ジョンは弱さを隠していたのではありません。隠し方まで作品にしていたのです。
のちにジョンは、完成した『Help!』のテンポが速すぎたと語っています。もっとゆっくりと、バラードのように歌いたかった、と。のちに流通した1970年前後の『Help!』のデモ音源を聴くと、ジョンがこの曲をより遅く、内省的なかたちで捉え直していた可能性がうかがえます。少なくとも公式の『Anthology 2』で確認できるのは1965年のライヴ版であり、後年のスローな再演は別系統の資料として受け取るのが自然でしょう。
4 記憶をそのまま書かず、別の質感へ変える
(1)『In My Life』は地名の歌から普遍的な追想へ変わった

『In My Life』も、ジョンの変換力を考えるうえで欠かせない曲です。この曲は、過去の恋人や友人や時間そのものを静かに見つめる、美しく普遍的な歌です。けれども出発点は、もっとローカルなものでした。ジョンは当初、自宅から街へ向かう道筋に沿って、リヴァプールの地名を並べるような歌を書こうとしていたのです。
普通なら、その草稿をさらに具体的にして「私的な回想」として仕上げそうなものです。ところがジョンは逆を行きました。場所の名前を削り、景色の説明を減らし、思い出の地図を感情の地層へ変えてしまうのです。その結果『In My Life』はリヴァプールの歌であることをやめずに、同時に「過去を持つ人なら誰でも入れる歌」になりました。これは、細部を捨てることで記憶の輪郭だけを残す、高度な編集でした。
(2)フィリップ・ラーキンが使った方法
この編集の発想は、イギリスの詩人フィリップ・ラーキンが使った方法と驚くほど似ています。ラーキンもまた、イングランドの具体的な風景や地名から出発しながら、最終的には「誰にでも当てはまる喪失の感触」へと詩を着地させる人でした。代表作の『チャーチ・ゴーイング』では、廃れかけた教会という具体的な場所から出発しながら、最後には「信仰とは何か」という静かな問いへと着地させます。ジョンがラーキンを読んでいたかはわかりませんが、戦後イギリスの感受性として「ローカルな具体を普遍へ変換する」という方法は、詩にも音楽にもそれらの底辺で静かに流れていたのでしょう。
5 間奏も「本物ではない本物らしさ」を出している
(1)『In My Life』の間奏は記憶をたどる音を作っている
この曲の中心にあるのは詞だけではありません。中間部に置かれた古風で気品のある間奏もまた、過去を静かに振り返るようなこの曲の感触を支えています。
あのソロは、ただクラシカルで美しいだけではありません。実際には、ジョージ・マーティンがピアノで弾いたものをテープの速度を落として録音し、再生時に速く聴こえるようにした、いわばスタジオの「ギミック」です。あの音が実在のピアノとも実在のチェンバロとも微妙にずれた質感を持つのは、そのためです。本物の楽器ではなく「楽器らしさ」を人工的に作ったものとして鳴っています。
(2)「本物ではない本物らしさ」
生々しい街の記憶や人の記憶が、その間奏によって急に時間の距離を持ちはじめます。記憶が、現実の再現ではなく、あとから頭の中で整えられたもののように聴こえてくるのです。この「本物ではない本物らしさ」という感覚は、同時期のポップアートがやっていたこと——アンディ・ウォーホルが「缶スープの絵」を描くことで「缶スープより缶スープらしいもの」を作ったこと——と根っこが繋がっています。スタジオで作られた「記憶の人工物」として聴くと、この曲の面白さはさらに深くなります。
つまり『In My Life』は、詞が普遍的なだけでなく、音のほうでも記憶を抽象化しています。詞の編集と音の偽造が二重になって「記憶らしさ」が作り出されている。ジョンの内省だけでなく、スタジオという場そのものが、この曲の共作者だったといえるかもしれません。
参考文献
・ビートルズ(著)『ザ・ビートルズ・アンソロジー』
・フィリップ・ノーマン(著)『ジョン・レノン』
・ジョン・ウィーナー(著)『ジョン・レノン ザ・ライフ』
・ビートルズ・バイブル
・ローリング・ストーン
・ビービーシー
・ユーチューブ
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