
- はじめに
- 1 言葉を解体する快楽——ナンセンスの伝統
- 2 『I Am The Walrus』——意味を壊すことで意味を作る
- 3 『I'm So Tired』——皮肉という鎧
- 4 The White Album——皮肉の深化
- 5 ウィットと変換力の関係
- おわりに——ポールへの橋渡し
はじめに
第1回から第3回にかけて、ジョンの作詞の着想源、メロディと構成の感覚、そして感情を作品へ変える「変換力」を見てきました。しかしそのなかで、十分に触れられなかった側面があります。ジョンの詞に深く刻まれたウィットと皮肉の技法です。
ジョンの「変換力」については、怒りを皮肉へ、孤独を浮遊感へ、不安をポップソングの勢いへ変える力として論じてきました。しかしジョンには、感情を変換するだけでなく、言葉そのものをひっくり返し、意味を解体し、笑いとも怒りともとれない宙ぶらりんな地点へ聴き手を連れていく技法がありました。これは単なるユーモアではなく、もっと知的で鋭いものです。
同時代のイギリスで「アブサード(不条理)」と呼ばれた感覚——意味が崩れる瞬間に真実が顔を出すという逆説的な手法——と、ジョンの詞は深いところでつながっています。この第4回では、その技法をビートルズ時代の作品に即して掘り下げます。
1 言葉を解体する快楽——ナンセンスの伝統
(1)音楽の外にあったジョンの言語感覚

ジョンのウィットを理解するには、まず音楽以外の場所を見る必要があります。1964年に出版された詩文集『In His Own Write』と、翌年の『A Spaniard in the Works』です。これらはビートルズの全盛期に書かれた作品ですが、内容は歌詞とはまったく異なります。言葉遊び、造語、文法の故意の破壊、脈絡のないイメージの連鎖——そこにあるのは、意味を作ることへの反抗です。
これらの作品でジョンが受け継いでいるのは、イギリスのナンセンス文学の伝統です。ルイス・キャロルは『不思議の国のアリス』で、言葉の論理を表面上は守りながら、その内側で意味を徹底的に崩しました。エドワード・リアは、存在しない生き物と存在しない言葉を組み合わせ、意味のなさそのものを詩にしました。ジョンはこの流れの中にいます。
重要なのは、これが「くだらない言葉遊び」ではないという点です。言葉の意味を壊すためには、言葉の仕組みを深く理解している必要があります。文法を破るためには文法を知らなければならない。ジョンのナンセンスは、言語への深い親しみから生まれていたのです。
(2)歌詞への流入
この感覚は、ビートルズの歌詞にも静かに流れ込んでいます。初期の作品では目立ちませんが、1966年以降になると、言葉の解体という意識が前面に出てきます。ドラッグや東洋思想との出会いがあったことも事実ですが、それ以前から、ジョンの中に言語そのものへの鋭い関心があったことはこれらの詩文集が証明しています。言葉を壊したいという衝動は、外から来たものではなく、ジョンの内側にもともとあったものでした。
2 『I Am The Walrus』——意味を壊すことで意味を作る
(1)解釈を拒否する歌

ビートルズ期のジョンのウィットが最も鮮明に現れているのが『I Am The Walrus』です。セイウチ、エッグマン、警察官、半裸の老女——脈絡のないイメージが次々と現れ、どんな解釈も滑り落ちていくような感触があります。
ジョンは後年、ファンがビートルズの歌詞に隠された意味を読み解こうとするのを見て、意図的に意味のつかめない歌詞を書いたと語っています。つまり『I Am The Walrus』は、解釈を拒否することで、解釈という行為そのものを笑い飛ばす歌なのです。意味があるように聞こえる無意味を作ることで、逆に「意味とは何か」という問いを聴き手に突きつける。言葉を壊すことで、言葉の力を最大限に使うという逆説的な手法です。
(2)音もまた「解体」している
アレンジの面でも、この「解体」の感覚は一貫しています。チェロとホルンが不協和に絡み合い、途中でBBCのラジオ放送が挿入される。音の次元でも、意味の安定した着地点を意図的に壊しているのです。詞と音が同じ方向を向いて「解体」を演じているとき、その破壊はもはや単なる悪ふざけではなく、一つの美学になっています。
3 『I'm So Tired』——皮肉という鎧
(1)疲弊と自嘲の同居
ジョンの皮肉は笑いの道具であると同時に、感情を直接さらすことへの防衛として機能していました。その典型が『I'm So Tired』です。
この曲でジョンは、インド滞在中の不眠と精神的な疲弊をそのまま歌っています。ジョン自身、後年のインタビューでこの曲を「お気に入りの一つ」として挙げ、当時の自分の状態をそのまま反映していると語っています。しかしここで注目したいのは、歌の表面の質感です。切迫した内容を歌っているのに、曲全体にどこか乾いた自嘲の空気が漂っています。
「タバコを吸い、マッカートニーを呪う」という一節はその象徴です。深刻な疲弊の告白の途中に、突然この軽い一節が差し込まれる。本音と道化が同じ行に並ぶことで、どちらが本当の感情なのかを宙に浮かせてしまう。ジョンは感情をさらしているようでいて、その感情の正体を最後まで確定させません。
(2)末尾のつぶやきという遊戯
この曲のもう一つの特徴は、フェードアウト直前の逆再生のようなつぶやきです。これが「ポールは死んだ」と聞こえるという噂が、後年ポールの死亡説と結びつきました。ジョンがこれを意図したかどうかは定かではありませんが、意味をつかませない音の断片を曲の末尾に置くという感覚は、『I Am The Walrus』と同じ遊戯性の表れです。聴き手に「何かが隠されている」と思わせながら、その「何か」を永遠に確定させない。これはジョンのウィットの一つの極点です。
4 The White Album——皮肉の深化
(1)『Glass Onion』——自分の作品を皮肉の素材にする
1968年の The White Album になると、ジョンの皮肉はさらに多層になります。
『Glass Onion』では、ジョンが過去のビートルズの曲を自分で引用し、「これが答えだ」と言いながら答えを与えない。「セイウチはポールだった」という一節は、当時流れていたポールの死亡説への皮肉な応答です。ファンの解釈ゲームに乗っかりながら、そのゲームそのものを笑い飛ばす。ジョンは自分の作品を皮肉の素材にするという、一段上の距離感を持っていました。
これは自己言及という技法です。自分の過去の作品を引用することで、その作品に込められていたとされる意味を自ら解体する。ジョンは自分自身の神話化をも笑い飛ばす人でした。
(2)『Happiness Is A Warm Gun』と『Yer Blues』——文脈の移植と様式の自嘲
『Happiness Is A Warm Gun』のタイトルは、全米ライフル協会の機関誌の見出しをそのまま引用したものだと伝えられています。銃を礼賛するような言葉を、官能的で暗い歌に乗せる。引用元の文脈と歌の文脈のずれそのものが皮肉として機能しています。言葉そのものは変えずに、置かれる場所を変えることで意味を反転させる——これはポップアートと同じ感覚の手法です。
『Yer Blues』はまた別の角度から皮肉が働いています。この曲はブルースという形式を借りながら、その借用自体を意識的に演じています。「イングランドのブルースを歌いたい」という冒頭の宣言は、豊かなイギリス人がアメリカのブルースを演じることへの自己嘲笑を含んでいます。様式の借用そのものを笑いの対象にしながら、同時に本物の絶望を歌っている。自己皮肉と本音が同居しているこの感触は、ジョンならではのものです。
5 ウィットと変換力の関係
(1)言語の次元での変換
ここまで見てくると、ジョンのウィットと皮肉は「笑い」という言葉では収まりきらない複雑さを持っていることがわかります。言葉を壊すことで言葉を使い、感情をさらさないために皮肉を使い、他者の解釈を笑いながら自分の作品を深める。
第1回から第3回で見てきた「変換力」は、感情の次元での話でした。傷ついた気持ちをポップソングの勢いに変え、孤独を浮遊感に変える。ウィットと皮肉はその変換力が言語の次元でも働いているものです。感情だけでなく、言葉そのものの意味と機能を変換する——これがジョンの作詞の全体像を作っています。
(2)『Julia』——変換の静かな極点
最後に、ウィットや皮肉とは一見対極にある曲を取り上げます。『Julia』です。この曲は、亡き母ジュリアへの想いと、ヨーコへの感情が重なり合うように書かれています。しかし直接「母が恋しい」とは言いません。「Ocean Child(日本語で洋子)」「砂の女」「半透明な翼を持つ」——感情は自然のイメージへと変換され、直接の告白は最後まで現れません。
ウィットが「壊すことで伝える」技法だとすれば、『Julia』は「隠すことで伝える」技法です。方向は逆でも、根っこにあるのは同じ感覚です。感情をそのまま出さず、別の質感へ変換することで、かえって深く届ける。これがジョンの作詞の核心であり、第3回で論じた変換力の、最も静かな形です。
おわりに——ポールへの橋渡し
4回にわたってジョンの作詞を見てきました。着想の入口、音への変換、感情の変換力、そしてウィットと皮肉。これらはすべて「削る・隠す・変換する」という一つの軸でつながっています。
次に見るポール・マッカートニーは、これとはまったく対照的な場所から歌を作ります。ジョンが言葉を壊したり隠したりしながら進む人だとすれば、ポールは言葉と場面を丁寧に積み重ねる人でした。同じビートルズの中に、これほど違う二つの制作法が共存していたことが、あの音楽の豊かさの源だったのかもしれません。
(参照文献)
ビートルズ・バイブル、ビートルズ・インタビューズ、ザ・ビートルズ・アンソロジー、フィリップ・ノーマン『ジョン・レノン・ザ・ライフ』、ジョン・レノン『イン・ヒズ・オウン・ライト』、アラン・ポラック『ノーツ・オン』シリーズ
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